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『王都の降星祭はそれは華やかだそうですね、街中が飾りつけられて、通りの端から端まで市が立つと聞きました。私がこの地を離れることはないでしょうが、一度実物を見てみたいです』
『別に大したものじゃない、王都は大規模な結界のせいで星が見えにくいし、昼は昼で来客が絶えなくて煩わしい。ここで空を眺める方がずっといい』
『ふふ、そうですか? ではいつかアルクス様がシルヴァの降星祭にいらっしゃることがあれば、星が一番よく見える場所にご案内しますね』
『…………その言葉、覚えておく』
降星祭は晩秋から初冬にかけての季節、星詠みと呼ばれる天候予知に秀でた魔法使いが定めた日に行われる。クゥラという赤い実のジャムを入れた紅茶を飲みながら家族や恋人、友人と満天の星を楽しみ、穏やかな冬と美しい春の訪れを祈る祝祭の日。
リシア家とソル家は降星祭が近付くと領地の村々を回り、一年の報告を聞きつつ魔力を用いた明かりを灯すのが毎年の流れだった。私もお父様を手伝って屋敷近くの村を訪問し、白く煌めく光を放つ篝火が広場を照らす様を眺めた。
アルクス様は婚約前と同様、然る二等貴族の別邸に滞在している。シルヴァに着いた翌日にお父様お母様と言葉を交わしたそうだけど、すぐに私を連れて王都に帰るという話はされていないようだった。
安堵の反面、結果を先送りにしている収まりの悪さもあった。けれど不利を承知で話の場を設ける気にもなれず、務めを理由に故郷で普段通りの日々を送ることを選んだ。大切な人たちとの、静かな時間。もちろんそんなものは長続きせず、最も望ましくない形での変化が訪れたけど。
その日は気温が低く、朝から小雨が降っていた。
こんな天気の日は地中の魔力が乱れやすい。先日小規模な爆発が起きたこともあって、私は地中に打ち込んで魔力を流すための短杭を携えて森に出ていた。
(ここ、また地表近くに魔力が溜まってる。とりあえず杭を打っておくけど、一度ちゃんと調べないと)
膝を折り、濡れた地面に手のひらで触れる。厚手の布地に覆われた背中の火傷跡が、引き攣れるような痛みを訴えていた。雨の日はいつもこうで、魔法によって地中に沈んでいく杭を見ながら溜め息まじりに立ち上がる。
――そこに、アルクス様が立っていた。
何の前触れもなかった。十歩も離れていない霧の中に、無言で立ち尽くす背の高い影。水晶の眼差しで見据えられていることに気付いた時、最初に私の頭をよぎったのは果たしてこれは偶然なのかという疑問だった。
アルクス様には、霧の立ち込める中わざわざ森に出る理由などない。けれどアルクス様は、こういう日に私が一人で森に出ることをご存知のはず。頭をちらつく夜の記憶と、乾いた唇の感触。不穏な予感が背中を這い上がって、無意識に唇をこわばらせる私の心を読み取ったように、影がゆっくりと動いた。
「先日の爆発を考えれば、君がここを訪れることは予測できる」
「……こんな、雨の中でお待ちにならなくても」
「屋敷で話をしたところで他の人間を同席させるだろう」
宵闇を繊細に切り取ったような美しい黒髪、同色の外套には銀糸と留具の宝玉によって緻密な魔法が施されているようで、降りしきる雨をほぼ完全に弾いている。私の正面に立つと、アルクス様は地面に視線を注いだ。
「……潤沢な魔力を有する土地には事故が付きものだが、シルヴァの地は菫水晶による管理で抑制できると考えている」
予想外の話題に、私は目を瞬かせた。
「水晶、ですか?」
「今の力を他方に流す方法は直感に頼りすぎているし、後々影響が出る可能性もある。呪文を刻んだ水晶内で魔力を循環させる方が危険性が低い」
「長期的な循環は魔力の濃度を高めるのではないでしょうか。自然に流す方が何か起きた際の被害が小さいと思いますが」
「菫水晶は魔力との結びつきが強く、取り込んだ魔力によって硬化する。破裂したところで魔力が噴き出すような事態にはならないだろう。もちろん定期的な巡回は不可欠だが」
静かに言葉を紡ぐアルクス様。こんな風に構えずに話をするのは婚約前以来だった。全身に絡みつく緊張感がかすかに緩み、冷え切った心臓にぬくもりが宿る。
「興味深い話ですが、地中の魔力を循環させる呪文を設計するのは容易なことでは……」
「基本的な設計はすでに済ませている。降星祭が終わり次第リシア、ソル両家の裁可を得るつもりだ」
え? と、疑問の声が口をつく。
アルクス様が?
「他に適任がいない限り私が全ての工程を担うが、不安があるなら兄上に確認を……」
「お、お待ちください、理由もなくそのようなことをしていただくわけには」
媒体に特殊な呪文を刻むことで魔法を発動させる手法は結界術などで使用されるものだけど、当然ながら、規模が大きくなればなるほど呪文の設計が複雑かつ難解になる。
通常なら莫大な見返りを求められる創術を一等貴族が手ずから? 有りえない。なのにアルクス様は、私がおかしなことを言ったかのように片目を細めた。
「理由など、君が傷を負ったことだけで十分だろう」
その言葉が合図だったかのように、地面を叩く雨音が不意に大きくなった。先ほどまでの柔らかさが嘘のように勢いを増した雨脚に、私は慌てて外套の前をかき集めて首を横に振った。
「アルクス様、一度この場を離れましょう。近くに……」
そこから先を伝えて良いものか迷い、一度口を噤んでから続ける。いくら強力な魔術布をお召しとはいえ、風に煽られる雨粒は防ぎきれない。客人に風邪を引かせるわけにはいかないと、自身に言い聞かせて。
「近くにリシア家の所有するコテジがございますので、そちらで雨宿りを」
それが、決して口にしてはいけない言葉だったなんて夢にも思わずに。
『別に大したものじゃない、王都は大規模な結界のせいで星が見えにくいし、昼は昼で来客が絶えなくて煩わしい。ここで空を眺める方がずっといい』
『ふふ、そうですか? ではいつかアルクス様がシルヴァの降星祭にいらっしゃることがあれば、星が一番よく見える場所にご案内しますね』
『…………その言葉、覚えておく』
降星祭は晩秋から初冬にかけての季節、星詠みと呼ばれる天候予知に秀でた魔法使いが定めた日に行われる。クゥラという赤い実のジャムを入れた紅茶を飲みながら家族や恋人、友人と満天の星を楽しみ、穏やかな冬と美しい春の訪れを祈る祝祭の日。
リシア家とソル家は降星祭が近付くと領地の村々を回り、一年の報告を聞きつつ魔力を用いた明かりを灯すのが毎年の流れだった。私もお父様を手伝って屋敷近くの村を訪問し、白く煌めく光を放つ篝火が広場を照らす様を眺めた。
アルクス様は婚約前と同様、然る二等貴族の別邸に滞在している。シルヴァに着いた翌日にお父様お母様と言葉を交わしたそうだけど、すぐに私を連れて王都に帰るという話はされていないようだった。
安堵の反面、結果を先送りにしている収まりの悪さもあった。けれど不利を承知で話の場を設ける気にもなれず、務めを理由に故郷で普段通りの日々を送ることを選んだ。大切な人たちとの、静かな時間。もちろんそんなものは長続きせず、最も望ましくない形での変化が訪れたけど。
その日は気温が低く、朝から小雨が降っていた。
こんな天気の日は地中の魔力が乱れやすい。先日小規模な爆発が起きたこともあって、私は地中に打ち込んで魔力を流すための短杭を携えて森に出ていた。
(ここ、また地表近くに魔力が溜まってる。とりあえず杭を打っておくけど、一度ちゃんと調べないと)
膝を折り、濡れた地面に手のひらで触れる。厚手の布地に覆われた背中の火傷跡が、引き攣れるような痛みを訴えていた。雨の日はいつもこうで、魔法によって地中に沈んでいく杭を見ながら溜め息まじりに立ち上がる。
――そこに、アルクス様が立っていた。
何の前触れもなかった。十歩も離れていない霧の中に、無言で立ち尽くす背の高い影。水晶の眼差しで見据えられていることに気付いた時、最初に私の頭をよぎったのは果たしてこれは偶然なのかという疑問だった。
アルクス様には、霧の立ち込める中わざわざ森に出る理由などない。けれどアルクス様は、こういう日に私が一人で森に出ることをご存知のはず。頭をちらつく夜の記憶と、乾いた唇の感触。不穏な予感が背中を這い上がって、無意識に唇をこわばらせる私の心を読み取ったように、影がゆっくりと動いた。
「先日の爆発を考えれば、君がここを訪れることは予測できる」
「……こんな、雨の中でお待ちにならなくても」
「屋敷で話をしたところで他の人間を同席させるだろう」
宵闇を繊細に切り取ったような美しい黒髪、同色の外套には銀糸と留具の宝玉によって緻密な魔法が施されているようで、降りしきる雨をほぼ完全に弾いている。私の正面に立つと、アルクス様は地面に視線を注いだ。
「……潤沢な魔力を有する土地には事故が付きものだが、シルヴァの地は菫水晶による管理で抑制できると考えている」
予想外の話題に、私は目を瞬かせた。
「水晶、ですか?」
「今の力を他方に流す方法は直感に頼りすぎているし、後々影響が出る可能性もある。呪文を刻んだ水晶内で魔力を循環させる方が危険性が低い」
「長期的な循環は魔力の濃度を高めるのではないでしょうか。自然に流す方が何か起きた際の被害が小さいと思いますが」
「菫水晶は魔力との結びつきが強く、取り込んだ魔力によって硬化する。破裂したところで魔力が噴き出すような事態にはならないだろう。もちろん定期的な巡回は不可欠だが」
静かに言葉を紡ぐアルクス様。こんな風に構えずに話をするのは婚約前以来だった。全身に絡みつく緊張感がかすかに緩み、冷え切った心臓にぬくもりが宿る。
「興味深い話ですが、地中の魔力を循環させる呪文を設計するのは容易なことでは……」
「基本的な設計はすでに済ませている。降星祭が終わり次第リシア、ソル両家の裁可を得るつもりだ」
え? と、疑問の声が口をつく。
アルクス様が?
「他に適任がいない限り私が全ての工程を担うが、不安があるなら兄上に確認を……」
「お、お待ちください、理由もなくそのようなことをしていただくわけには」
媒体に特殊な呪文を刻むことで魔法を発動させる手法は結界術などで使用されるものだけど、当然ながら、規模が大きくなればなるほど呪文の設計が複雑かつ難解になる。
通常なら莫大な見返りを求められる創術を一等貴族が手ずから? 有りえない。なのにアルクス様は、私がおかしなことを言ったかのように片目を細めた。
「理由など、君が傷を負ったことだけで十分だろう」
その言葉が合図だったかのように、地面を叩く雨音が不意に大きくなった。先ほどまでの柔らかさが嘘のように勢いを増した雨脚に、私は慌てて外套の前をかき集めて首を横に振った。
「アルクス様、一度この場を離れましょう。近くに……」
そこから先を伝えて良いものか迷い、一度口を噤んでから続ける。いくら強力な魔術布をお召しとはいえ、風に煽られる雨粒は防ぎきれない。客人に風邪を引かせるわけにはいかないと、自身に言い聞かせて。
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