禁断☆ラビリンス

animalier

文字の大きさ
上 下
10 / 13
第2章 死都の貴婦人

2 狂った馬

しおりを挟む


 商館の入口に、荷台つきの馬車が待機している。茶色い毛並みの馬が一頭つながれて、おとなしく佇んでいた。

 その横で、イヴォルゾの使用人モルテンは、いくつかの荷物を運び出そうとしていた。

「よっこらせと」

 中年男のモルテンは、しばしば痛む腰に顔をしかめつつ、重い木箱や樽を荷台に積んでいく。

「その声はモルテンかい? 今日もせいが出るねえ」

 と言ったのは、近くで小さな椅子に座る盲目の吟遊詩人だった。彼は常にハープを抱え、街のあちこちや、時には貴族たちの家で、歌ったり演奏したりするのが生業である。

 モルテンは吟遊詩人と顔見知りだったので、

「詩人さん、あんたも仕事熱心だな。『ユゼスの胃袋』の次はここでやるのかい?」

「ああ。市はもうじき終わるからね。今度はこのブレン通りがにぎやかになる。早く場所を取っとかないと」

 吟遊詩人はハープを収めたトランクを開けながら答えた。実際、通りを行き交う人の数は、徐々に増えてきている。

「もうちょっと早く来てくれりゃあ、おれもあんたのハープを聴けたんだが。何せ、これだけの荷を一人で運べっていうんだから、旦那も人使いが荒いよ。そのくせ大事な荷だから丁重に扱えなんて、まいっちまう」

 億劫そうにぼやくモルテンだったが、吟遊詩人は、トランクを開ける手をぴたりと止めた。

「あれ、そこにいるのはあんただけか?」

「そうさ。どうかしたかい?」

 訊ねている間も、モルテンは忙しく荷を積み続ける。

「おかしいな。もう一人いるような気がしたんだが」

 吟遊詩人はそう呟くと、しんと黙りこんだ。

「ええ? ここにはさっきからおれしかいないよ。他に人の出入りもなかったし――」

 合点がいかず、首を傾げるモルテン。

 しかし、モルテンは吟遊詩人の感覚が、ただ目が見えるだけの者より遥かに優れていると知っていた。視覚を持たない分、彼は聴覚や嗅覚、触覚などを駆使し、人や物が動く際のかすかな空気の流れさえ感じ取るのだ。

「そんなら、私の勘違いかな」

 吟遊詩人はそれ以上話すのを避けた。本当は、商館からモルテンが出てきた時、彼とは別の衣ずれの音が聞こえた気がしたのだが、言ったところで、相手を怖がらせるだけだろう。

「そうだよ、まったく」

 モルテンはほっとして、最後に残っていた木箱を荷台に乗せることにした。それは貴重な彫像が入っているとかで、主のイヴォルゾから、特に取り扱いに注意するよう厳命された品だった。


 一方、レーリエたちも市での買い物を終え、話しながら歩くうちに、ブレン通りに入っていた。

(そういえば、いつの間にかこんな所まで一緒に来ちゃったぞ)

 野菜やチーズを入れたカゴを手に、レーリエははたと気づいた。

 道中、レーリエはこの街に来て間もないシルビーたちに、人々の暮らしなどを色々と語った。シルビーはもちろん、当初はツンツンしていたオデットでさえ、その話に興味深く聞き入って、ついレーリエも彼らにつられてしまったのだ。

(商館が見えてきた。もうじき分かれ道だ)

 一行を率いるガイの屋敷と、レーリエの家は逆方向だった。

(じゃ、そろそろお別れか……)

 そう思うと、レーリエの目は我知らず、先頭をいくガイを追っていた。すると、ガイも同じようにレーリエを見つめており、その瞳は意外なほど黒く澄んでいる。二人のまっすぐな視線が、ひとつにとけあった。

 その時、

「ヒヒイイイイン!!」

 突如、耳をつんざくような馬の鳴き声が響き渡る。

 レーリエたちが鳴き声のした方を見ると、商館の前で荷台をひいていた馬が、けたたましく鳴き出していた。

「モルテン、どうかしたのか?」

 周囲の通行人がどよめく中、吟遊詩人も、ただ事ではない気配を感じていた。

「わからない、馬が急に……!」

 御者台へ乗りこみかけていたモルテンが、慌てて馬のそばへ走っていく。

「ヒイイイン!!」

 だが、馬は目をカッと見開いたまま、前足を蹴りあげて大きくのけ反った。その勢いで荷台が傾いて、樽や木箱が宙へ放り出されてしまう。

「うわあっ!」

 馬をなだめようとしたモルテンも振り落とされ、石畳に転ぶ。

「危ない!」

 モルテンの上にバランスを崩した馬が倒れかけるのを見て、レーリエはとっさにカゴを置くと、両手を組んで叫んだ。

「ゴーレム!」

 すると、馬のそばの荷車に山積みされていた干し草が巨大な人形ゴーレムとなり、ぬうっと立ち上がる。

「守りたまえ!」

 レーリエが続けて唱えた直後、干し草の人形はすばやい動きで、馬を寸前で受け止めた。同時にそれは緩衝材の目も果たし、馬の直撃を免れたモルテンが、命からがら干し草から這い出してくる。

「干し草でゴーレムを造るとは、なかなか面白いな」

 レーリエの機転と魔術を目にしたガイが、低く呟いた。

「大丈夫ですかっ!?」

 レーリエが真っ先にモルテンのもとへ向かう。

「グーグー、荷物を見ていてくれ」

「かしこまりましたぁ、ガイさま」

 グーグーに食材を預け、ガイたちも後に続いた。

「馬が、いきなり暴れて……」

 モルテンは何が起こったのかわからず、茫然と道にへたりこんでいた。

「馬の足は折れてないと思うよ。でも、何かにすごく怯えているみたいだ」

 シルビーが冷静に馬の状態を見て、気遣わしげに言う。

「普段は穏やかな馬なんだ。でも今日は、なぜか荷を乗せた途端に――」

「一体、何事じゃ!?」

 モルテンが言いかけた矢先に、物音を聞きつけたイヴォルゾが、青ざめた顔で商館から飛び出してきた。

「だ、旦那さま……」

「モルテン、これはどういうことじゃ!?」

 イヴォルゾは頭を抱えながら使用人を問いつめたが、倒れている馬や一面の干し草、そして散乱した積み荷が目に入るなり、悲痛な声を上げた。

「わしの商品が!」

 道端に落ちた樽の一部からはぶどう酒が漏れ、割れた木箱からは香辛料などが散らばっていた。

 けれども、それらは彼にとって最も大事な物ではなかった。

「彫像! 貴婦人の胸像は!?」

 イヴォルゾは血眼になって荷物を確認し始める。

 レーリエの傍らで、その姿を見ていたガイが、

「もしや、イヴォルゾ殿ではありませんか?」

 思い出したように商人に言葉をかけた。

「ガイ殿……」

 犬のごとく荷物を探し回っていたイヴォルゾだったが、ガイに気づくと、驚きをありありと浮かべた表情で答えた。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

さよならの合図は、

15
BL
君の声。

とろとろ【R18短編集】

ちまこ。
BL
ねっとり、じっくりと。 とろとろにされてます。 喘ぎ声は可愛いめ。 乳首責め多めの作品集です。

処女姫Ωと帝の初夜

切羽未依
BL
αの皇子を産むため、男なのに姫として後宮に入れられたΩのぼく。  七年も経っても、未だに帝に番われず、未通(おとめ=処女)のままだった。  幼なじみでもある帝と仲は良かったが、Ωとして求められないことに、ぼくは不安と悲しみを抱えていた・・・  『紫式部~実は、歴史上の人物がΩだった件』の紫式部の就職先・藤原彰子も実はΩで、男の子だった!?というオメガバースな歴史ファンタジー。  歴史や古文が苦手でも、だいじょうぶ。ふりがな満載・カッコ書きの説明大量。  フツーの日本語で書いています。

キサラギムツキ
BL
長い間アプローチし続け恋人同士になれたのはよかったが…………… 攻め視点から最後受け視点。 残酷な描写があります。気になる方はお気をつけください。

生贄として捧げられたら人外にぐちゃぐちゃにされた

キルキ
BL
生贄になった主人公が、正体不明の何かにめちゃくちゃにされ挙げ句、いっぱい愛してもらう話。こんなタイトルですがハピエンです。 人外✕人間 ♡喘ぎな分、いつもより過激です。 以下注意 ♡喘ぎ/淫語/直腸責め/快楽墜ち/輪姦/異種姦/複数プレイ/フェラ/二輪挿し/無理矢理要素あり 2024/01/31追記  本作品はキルキのオリジナル小説です。

【R-18】僕は堕ちていく

奏鈴
BL
R-18です。エロオンリーにつき苦手な方はご遠慮ください。 卑猥な描写が多々あります。 未成年に対する性的行為が多いですが、フィクションとしてお楽しみください。 初投稿につき読みづらい点もあるかと思いますがご了承ください。 時代設定が90年代後半なので人によっては分かりにくい箇所もあるかもしれません。 ------------------------------------------------------------------------------------------------- 僕、ユウはどこにでもいるような普通の小学生だった。 いつもと変わらないはずだった日常、ある日を堺に僕は堕ちていく。 ただ…後悔はしていないし、愉しかったんだ。 友人たちに躰をいいように弄ばれ、調教・開発されていく少年のお話です。 エロ全開で恋愛要素は無いです。

少年野球で知り合ってやけに懐いてきた後輩のあえぎ声が頭から離れない

ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
少年野球で知り合い、やたら懐いてきた後輩がいた。 ある日、彼にちょっとしたイタズラをした。何気なく出したちょっかいだった。 だがそのときに発せられたあえぎ声が頭から離れなくなり、俺の行為はどんどんエスカレートしていく。

友達が僕の股間を枕にしてくるので困る

ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
僕の股間枕、キンタマクラ。なんか人をダメにする枕で気持ちいいらしい。

処理中です...