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第2章 死都の貴婦人
2 狂った馬
しおりを挟む商館の入口に、荷台つきの馬車が待機している。茶色い毛並みの馬が一頭つながれて、おとなしく佇んでいた。
その横で、イヴォルゾの使用人モルテンは、いくつかの荷物を運び出そうとしていた。
「よっこらせと」
中年男のモルテンは、しばしば痛む腰に顔をしかめつつ、重い木箱や樽を荷台に積んでいく。
「その声はモルテンかい? 今日もせいが出るねえ」
と言ったのは、近くで小さな椅子に座る盲目の吟遊詩人だった。彼は常にハープを抱え、街のあちこちや、時には貴族たちの家で、歌ったり演奏したりするのが生業である。
モルテンは吟遊詩人と顔見知りだったので、
「詩人さん、あんたも仕事熱心だな。『ユゼスの胃袋』の次はここでやるのかい?」
「ああ。市はもうじき終わるからね。今度はこのブレン通りがにぎやかになる。早く場所を取っとかないと」
吟遊詩人はハープを収めたトランクを開けながら答えた。実際、通りを行き交う人の数は、徐々に増えてきている。
「もうちょっと早く来てくれりゃあ、おれもあんたのハープを聴けたんだが。何せ、これだけの荷を一人で運べっていうんだから、旦那も人使いが荒いよ。そのくせ大事な荷だから丁重に扱えなんて、まいっちまう」
億劫そうにぼやくモルテンだったが、吟遊詩人は、トランクを開ける手をぴたりと止めた。
「あれ、そこにいるのはあんただけか?」
「そうさ。どうかしたかい?」
訊ねている間も、モルテンは忙しく荷を積み続ける。
「おかしいな。もう一人いるような気がしたんだが」
吟遊詩人はそう呟くと、しんと黙りこんだ。
「ええ? ここにはさっきからおれしかいないよ。他に人の出入りもなかったし――」
合点がいかず、首を傾げるモルテン。
しかし、モルテンは吟遊詩人の感覚が、ただ目が見えるだけの者より遥かに優れていると知っていた。視覚を持たない分、彼は聴覚や嗅覚、触覚などを駆使し、人や物が動く際のかすかな空気の流れさえ感じ取るのだ。
「そんなら、私の勘違いかな」
吟遊詩人はそれ以上話すのを避けた。本当は、商館からモルテンが出てきた時、彼とは別の衣ずれの音が聞こえた気がしたのだが、言ったところで、相手を怖がらせるだけだろう。
「そうだよ、まったく」
モルテンはほっとして、最後に残っていた木箱を荷台に乗せることにした。それは貴重な彫像が入っているとかで、主のイヴォルゾから、特に取り扱いに注意するよう厳命された品だった。
一方、レーリエたちも市での買い物を終え、話しながら歩くうちに、ブレン通りに入っていた。
(そういえば、いつの間にかこんな所まで一緒に来ちゃったぞ)
野菜やチーズを入れたカゴを手に、レーリエははたと気づいた。
道中、レーリエはこの街に来て間もないシルビーたちに、人々の暮らしなどを色々と語った。シルビーはもちろん、当初はツンツンしていたオデットでさえ、その話に興味深く聞き入って、ついレーリエも彼らにつられてしまったのだ。
(商館が見えてきた。もうじき分かれ道だ)
一行を率いるガイの屋敷と、レーリエの家は逆方向だった。
(じゃ、そろそろお別れか……)
そう思うと、レーリエの目は我知らず、先頭をいくガイを追っていた。すると、ガイも同じようにレーリエを見つめており、その瞳は意外なほど黒く澄んでいる。二人のまっすぐな視線が、ひとつにとけあった。
その時、
「ヒヒイイイイン!!」
突如、耳をつんざくような馬の鳴き声が響き渡る。
レーリエたちが鳴き声のした方を見ると、商館の前で荷台をひいていた馬が、けたたましく鳴き出していた。
「モルテン、どうかしたのか?」
周囲の通行人がどよめく中、吟遊詩人も、ただ事ではない気配を感じていた。
「わからない、馬が急に……!」
御者台へ乗りこみかけていたモルテンが、慌てて馬のそばへ走っていく。
「ヒイイイン!!」
だが、馬は目をカッと見開いたまま、前足を蹴りあげて大きくのけ反った。その勢いで荷台が傾いて、樽や木箱が宙へ放り出されてしまう。
「うわあっ!」
馬をなだめようとしたモルテンも振り落とされ、石畳に転ぶ。
「危ない!」
モルテンの上にバランスを崩した馬が倒れかけるのを見て、レーリエはとっさにカゴを置くと、両手を組んで叫んだ。
「ゴーレム!」
すると、馬のそばの荷車に山積みされていた干し草が巨大な人形となり、ぬうっと立ち上がる。
「守りたまえ!」
レーリエが続けて唱えた直後、干し草の人形はすばやい動きで、馬を寸前で受け止めた。同時にそれは緩衝材の目も果たし、馬の直撃を免れたモルテンが、命からがら干し草から這い出してくる。
「干し草でゴーレムを造るとは、なかなか面白いな」
レーリエの機転と魔術を目にしたガイが、低く呟いた。
「大丈夫ですかっ!?」
レーリエが真っ先にモルテンのもとへ向かう。
「グーグー、荷物を見ていてくれ」
「かしこまりましたぁ、ガイさま」
グーグーに食材を預け、ガイたちも後に続いた。
「馬が、いきなり暴れて……」
モルテンは何が起こったのかわからず、茫然と道にへたりこんでいた。
「馬の足は折れてないと思うよ。でも、何かにすごく怯えているみたいだ」
シルビーが冷静に馬の状態を見て、気遣わしげに言う。
「普段は穏やかな馬なんだ。でも今日は、なぜか荷を乗せた途端に――」
「一体、何事じゃ!?」
モルテンが言いかけた矢先に、物音を聞きつけたイヴォルゾが、青ざめた顔で商館から飛び出してきた。
「だ、旦那さま……」
「モルテン、これはどういうことじゃ!?」
イヴォルゾは頭を抱えながら使用人を問いつめたが、倒れている馬や一面の干し草、そして散乱した積み荷が目に入るなり、悲痛な声を上げた。
「わしの商品が!」
道端に落ちた樽の一部からはぶどう酒が漏れ、割れた木箱からは香辛料などが散らばっていた。
けれども、それらは彼にとって最も大事な物ではなかった。
「彫像! 貴婦人の胸像は!?」
イヴォルゾは血眼になって荷物を確認し始める。
レーリエの傍らで、その姿を見ていたガイが、
「もしや、イヴォルゾ殿ではありませんか?」
思い出したように商人に言葉をかけた。
「ガイ殿……」
犬のごとく荷物を探し回っていたイヴォルゾだったが、ガイに気づくと、驚きをありありと浮かべた表情で答えた。
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