禁断☆ラビリンス

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第2章 死都の貴婦人

1 古代の遺物

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 同じ頃。

 ユゼスの市場から少し離れた商館の一室で、盗賊シーフのロックは、古い宝箱と対峙していた。

「どうじゃロック、開けられそうかの?」

 ロックの後ろから、小柄で丸々とした齢60過ぎの男が不安げに訊ねる。彼はこの街きっての大商人で、名をイヴォルゾといった。

「だいぶ古い錠みたいだけど、開けられるとは思うぜ。ただ――」

 ロックは箱の前にしゃがんで、あちこち観察した後、彼にしては珍しく言葉を濁した。

 宝箱は銅製で大きく、上部には古い文字の彫られた小さなプレートが付いている。

「ただ、何じゃ?」

 イヴォルゾが続きを急かす。

「二つ、気になるな。まずはこのプレート。オレには古代文字はわかんねーけど、解読できたのか? そもそも最初からあったのか、鍵かけてから付けたのか……」

 イヴォルゾに答える間も、ロックはプレートを凝視する。が、錆びや変色の具合は箱本体と同程度で、いつ付けられたのか判断できなかった。

「プレートがもし後付けの場合、箱を開けようとする奴への警告って可能性もある。やっぱり字の解読が先だな」

「解読は、頼んでみたんじゃが……」

 そこで、商人は残念そうに首を横に振った。

「学者でも見たことのない字が入っとるとかで、わからずじまいじゃった。しかし、せっかく掘り当てたお宝じゃ。ただでさえ、これまでに現地への渡航費や人件費、果ては護衛費まで、莫大な金を出資しとる。この箱が開けば、かかった費用、もしくはそれ以上の儲けを得られるはずなんじゃ。お前さんの報酬も弾むぞ?」

 説明するうちに、イヴォルゾの頭の中できらびやかな皮算用が展開される。いつしか話にも熱意がこもっていくが、

「莫大っつっても、投資は昔からおっちゃんの趣味だろ? 気持ちはわかるけど、オレだって身の安全がかかってる。いくら高い金もらっても、危険なシロモノに手は出せねえよ」

 ロックは冷静にそう言うと、立ち上がって帰りかけた。

「あ~、待て待て!」

 イヴォルゾが慌ててロックに取りすがる。

「わしらの家は先祖代々の付き合いじゃろうが。お前の祖父さんや親父さんにはわしも世話になっとる。その後継ぎのお前に、危ない仕事はさせんて。安心せい、この箱は事前にまじない師に調べさせておる。解錠しても、魔術や呪いはないそうじゃ」

 商家だが古今東西の宝の鑑定や売買なども行ってきたイヴォルゾの家と、由緒正しい盗賊稼業であるロックの家は、古くから交流があった。ロックが彼を『おっちゃん』と呼ぶのも、親しさの表れなのだ。

「まじない師って、魔術師より格下じゃねえか。鑑定代ケチっただろ、おっちゃん」

 半眼で商人をにらむロック。まじない師も魔力を持つが、用いる術の範囲や精度は魔術師より劣るといわれている。

「そりゃ人聞きが悪いぞ。経費削減と言ってくれ。うちも近ごろは大変なんじゃ」

 イヴォルゾは猫みたいなすまし顔で言い、鼻の下にたくわえた髭を指で軽く整えた。

「で、ロックよ。もう一つの気になる点とは?」

「オレのカン。何となく、こいつは開けない方がいい気がする」

 ロックは沈黙する宝箱を見下ろして、低く呟いた。

「オレはベテランの奴らに比べりゃ、経験が浅いのは自覚してる。それでも、盗賊としての直感が、この箱はやめとけって言ってるみたいでさ」

 この箱にふれた時、ロックはかすかだが重い不快さを感じた。宝箱には盗難防止の罠が施される場合もあるが、そういった仕掛けへの警戒とは異なっていた。

「それはお前、臆病風に吹かれたんじゃろう。さすがのジャン=ロックも、ケルーアの宝には恐れをなしたか」

 直感だと聞いて、わっはっはと笑い出すイヴォルゾに、

「だ~っ、まじめに聞けよ!」

 ロックは気を悪くしてがなり立てた。

「なに、若いもんにはよくあることじゃ。成功を切に求めながら、実は恐れている。未知の度合いが大きいと尚のことな。思えば、わしにもそんな時期があったのう」

 イヴォルゾは両手を後ろで組むと、遠い目をして、一人うんうんと頷いた。

「だから、オレのカンを青春の1ページ扱いすんなって!」

 ロックは年寄り風を吹かせるイヴォルゾに呆れつつも、

(まあ、オレの考えすぎか)

 内心では、少し迷いが生じていた。

(プレートは気になるけど、一応まじない師が見てんなら、大きな問題はねえはず)

 ケルーアとは、遥か西に位置する古代都市の遺跡だ。三千年以上前に繁栄したが、なぜか一夜で滅んだという。以来、不吉の地とされ、どの種族も足を踏み入れてこなかった中、近年になり、人間族が発掘に乗り出した。

(並みの冒険じゃ出会えねえ逸品なのは確かだ。ここで退くのは、盗賊の名折れか……)

 もの言わぬ遺物に堆積した長い時と、謎に包まれた歴史の香り。一度はロックに注意を促した危うさが、今度は魅力的な顔を見せ、彼の冒険心を誘惑する。

 しばらく考えた末、

「わかった。おっちゃん、やってみる」

 ロックは宝箱の解錠を決めた。

「本当か?」

 たちまち、イヴォルゾの表情が明るくなる。

「ただし、オレは解錠だけだ。箱を開けるのは、おっちゃんがやってくれよな」

 それだけ言い渡すと、ロックは作業に取りかかった。

 宝箱の錠は古い型だったが、複雑ではなく、むしろロックを招き入れるように、簡単に解けた。

「よし。開いたぜ、おっちゃん」

「おお!」

 仕事を終えたロックと入れ替わり、イヴォルゾが喜び勇んで箱の前に立つ。

「これで、わしも大儲けじゃ!」

 両手をすりすりと合わせ、箱に飛びつきそうなイヴォルゾに、

「おっちゃんも気をつけた方がいいんじゃねーの。中身がお宝どころか、骸骨とか、とんでもねーもんかも知れないぜ?」

 ロックが先ほどの仕返しとばかりに、ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべて言った。

「バ、バカもん! 大人をからかうな!」

 イヴォルゾは声を荒げたが、金銀財宝の幻想から、何が入っているかわからないという現実に意識が戻り、やにわにへっぴり腰になった。

 それでも、彼は商人の意気を奮い起こし、軋む宝箱をゆっくりと開ける。

 そこに入っていたのは、金銀や宝石ではなかった。

 地下牢を思わせる、カビくさく湿った匂い。まず出てきたのは朽ちかけた内蓋の板で、イヴォルゾがおずおずとそれを取りのけたところ、ぎっしり詰められた古い綿布の隙間に、二つの黒い目が光っていた。

「ひゃああっ!!」

 イヴォルゾは悲鳴を上げ、その場にひっくり返る。

「おっちゃん、どうした!?」

「あわわ、目が、目が……」

 イヴォルゾはすっかり腰が抜けてしまい、震える指で箱をさすばかりだ。

「目?」

 ロックが再び宝箱へ近づく。

 内部を覗いてみると、綿布や土くずに覆われ、茶色い布が埋もれていた。奇妙なことに、布の一部が切り裂かれたように破れ、そこから黒い物が見えていたのだ。

「これ、黒曜石じゃねえのか」

「えっ?」

 ロックはイヴォルゾの腰が立つのを待たず、茶色い布に手を伸ばした。重く硬い物がくるまれている。彼はそれを慎重に床に置き、そうっと布を取り去った。

 ヴェールを脱ぐように、布の下から現れたのは、若い女の胸像であった。

「何と――!」

 イヴォルゾもロックも、その美しさに驚嘆せずにいられなかった。

 それは大理石の彫刻だった。台座を含めて傷やひび一つなく、奇跡的な状態の良さを保っている。女の高く結った髪やうなじが艶やかに彫りこまれ、顔は完璧な均整を実現していた。さらに瞳の部分には黒曜石がはめこまれ、それがこの像を生きた人間のごとく見せている。

「すばらしい! 見事な彫刻じゃ!」

 イヴォルゾは胸像に這い寄り、ほれぼれと眺めた。

「見てみい、ロック! 知性と優美さに満ちたこの微笑を! 黒い目も、見る者の心を捕らえて離さん深みがある。これぞ、まさに古代の至宝じゃ!」

 女の像に魅了されたイヴォルゾだが、ロックの方は、わずかに眉をひそめていた。

 彫像の、形よく吊り上げられた左右の口角。

 ロックには、それが女の薄ら笑いに見えたのだ。

 
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