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第七章 招かれざる客
第四十八話
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ハシャラの接近に気付いたハサルは、最初は彼女をギッと強気に睨みつけていた。
しかし自分を見下ろす彼女の瞳があまりにも冷たいことに気がつくと、段々と目から力が抜けていき、身体を震わせて恐怖の表情を浮かべていた。
「た、助けてくれ……! ぼ、僕は君たちと争うつもりはないんだ!」
震える口で懸命にそう伝えると、ハシャラは見下ろしていた視線をふいっとそらし、移動していく。
ハサルは少しほっとしながらも、恐怖を孕んだ視線でハシャラを見つめ続けていた。
ハシャラが向かった先には、アルがいた。
虫魔物と鳥魔物の争いが起きていたことなどまるで気付いていないように、ただ床だけを見つめて、呆然と涙を流し続けていた。
そんなアルのそばで、ハシャラは膝をつくと、ゆっくりと口を開いた。
「アル様。あとはあなたが決着をつけてくださいませ。……過去と、お別れをする時です」
そう言われたアルは、呆然とした表情のまま顔を上げ、ハシャラの顔を見つめる。
ハシャラの表情は、真剣そのもので……まっすぐにアルを見つめていた。
それを見たアルはまた悲しげな表情をして、泣きそうな瞳でハシャラを見つめ返すけれど、ハシャラが表情を変えることはなかった。
そして、それだけ言うとハシャラは立ち上がって、階段を登って玄関ホールを後にした。
階段の上でミミズたちとすれ違う時、ハシャラが「皆、ありがとうございました」と告げると、一様に「おやすみなさいませ、姫様」と頭を下げて彼女を見送っていた。
その後のことは、ハシャラは預かり知らない。
ただ自室に戻って聞こえたのは二人の人間の話し声と、ハサルの悲痛な叫び声と、アルの獅子のような雄叫びだけだった。
けれどそれもすぐに聞こえなくなって、屋敷にはやっと静寂が戻ってきた。
収穫祭の夜とは思えないほど、屋敷には静かで重たい空気が流れていた。
自室に戻ると、ナラではなく別のアリが出迎える。
一瞬、ナラと見間違ったハシャラは……そんなことがあるわけないと自嘲気味に笑い飛ばしつつ、アリを見やる。
「お疲れ様でした、姫様。湯浴みをしてから、ゆっくりとお休みくださいませ」
アリにそう言われて、ハシャラは答えることはできなかったが、言われた通りにバスルームへと移動する。
全身ナラの血まみれだった身体を、お風呂で洗いながしてから湯船で身体を温める。
湯船に浸かりながら、ハシャラは何も考えることができずに、ただぼんやりとしていた。
『姫様、長湯なさるとのぼせてしまいますよ』
どれくらいそうしていたのか、ぼーっとしていると、ナラの声が聞こえた気がした。
ハシャラが長湯していると、ナラがいつもグラスに水を注いで持ってきてくれて、飲むように促していた。
けれど、ナラはいない。
ナラの代わりにハシャラの入浴を手伝ってくれたアリは、静かにバスルームの壁際で待機していた。
ハシャラはいつもとの違いに寂しさを感じながら、お風呂から上がった。
新しい寝間着に着替えて、自室へと戻って……ベッドに横になる。
「おやすみなさいませ、姫様」
「……おやすみなさい、アリ」
そしてアリとおやすみの挨拶を交わして、アリは部屋を出ていった。
明かりがベッドサイドに置かれたままだったのは、アリが忘れたからなのか、気遣いからなのか……ハシャラには分からなかった。
ハシャラはいつもよりも明るい部屋で天井を見上げて、またぼんやりとしていた。
「……ナラ……」
そして小さな声で、彼女の名前を呼んだ。
彼女は生きているだろうか、痛みは引いているだろうか……ナラのことが、心配でしょうがなかった。
ただある事にふっと気がついて、ベッドから立ち上がって部屋を出ようとすると……扉の外にはハチがいた。
ハチも……いつも身辺警護をしてくれているハチとは、別のハチだった。
「いかがなさいましたか? 姫様」
ハチにそう問われて、ハシャラは戸惑いながら声を掛ける。
「……いつものハチは、大丈夫ですか?」
彼女も傷だらけになりながら、懸命にハシャラを守ってくれていた。
ナラのことばかり考えていたが、自分はそんな傷だらけの彼女にかなり無理をさせてしまった。
申し訳無さを感じながら尋ねると、ハチが冷静な表情で答える。
「彼女は負傷のために休んでおります。今宵は、彼女の代わりに私が姫様の護衛にあたります。姫様は必ずお守りしますので、ご安心ください」
ハチにも、やはりいつものハチの面影を見てしまう。
アリたち、ハチたちはやはり同種族で顔が似ているため、どうしてもいつもの彼女たちを連想してしまう。
けれど……今夜はいない。
そのことを理解したハシャラは「よろしく、お願いします……」と力なく返事をして、部屋へと戻っていった。
そして再びベッドで横になると、ハシャラは静かに目を瞑った。
眠れる気は、全くしなかった。
しかし自分を見下ろす彼女の瞳があまりにも冷たいことに気がつくと、段々と目から力が抜けていき、身体を震わせて恐怖の表情を浮かべていた。
「た、助けてくれ……! ぼ、僕は君たちと争うつもりはないんだ!」
震える口で懸命にそう伝えると、ハシャラは見下ろしていた視線をふいっとそらし、移動していく。
ハサルは少しほっとしながらも、恐怖を孕んだ視線でハシャラを見つめ続けていた。
ハシャラが向かった先には、アルがいた。
虫魔物と鳥魔物の争いが起きていたことなどまるで気付いていないように、ただ床だけを見つめて、呆然と涙を流し続けていた。
そんなアルのそばで、ハシャラは膝をつくと、ゆっくりと口を開いた。
「アル様。あとはあなたが決着をつけてくださいませ。……過去と、お別れをする時です」
そう言われたアルは、呆然とした表情のまま顔を上げ、ハシャラの顔を見つめる。
ハシャラの表情は、真剣そのもので……まっすぐにアルを見つめていた。
それを見たアルはまた悲しげな表情をして、泣きそうな瞳でハシャラを見つめ返すけれど、ハシャラが表情を変えることはなかった。
そして、それだけ言うとハシャラは立ち上がって、階段を登って玄関ホールを後にした。
階段の上でミミズたちとすれ違う時、ハシャラが「皆、ありがとうございました」と告げると、一様に「おやすみなさいませ、姫様」と頭を下げて彼女を見送っていた。
その後のことは、ハシャラは預かり知らない。
ただ自室に戻って聞こえたのは二人の人間の話し声と、ハサルの悲痛な叫び声と、アルの獅子のような雄叫びだけだった。
けれどそれもすぐに聞こえなくなって、屋敷にはやっと静寂が戻ってきた。
収穫祭の夜とは思えないほど、屋敷には静かで重たい空気が流れていた。
自室に戻ると、ナラではなく別のアリが出迎える。
一瞬、ナラと見間違ったハシャラは……そんなことがあるわけないと自嘲気味に笑い飛ばしつつ、アリを見やる。
「お疲れ様でした、姫様。湯浴みをしてから、ゆっくりとお休みくださいませ」
アリにそう言われて、ハシャラは答えることはできなかったが、言われた通りにバスルームへと移動する。
全身ナラの血まみれだった身体を、お風呂で洗いながしてから湯船で身体を温める。
湯船に浸かりながら、ハシャラは何も考えることができずに、ただぼんやりとしていた。
『姫様、長湯なさるとのぼせてしまいますよ』
どれくらいそうしていたのか、ぼーっとしていると、ナラの声が聞こえた気がした。
ハシャラが長湯していると、ナラがいつもグラスに水を注いで持ってきてくれて、飲むように促していた。
けれど、ナラはいない。
ナラの代わりにハシャラの入浴を手伝ってくれたアリは、静かにバスルームの壁際で待機していた。
ハシャラはいつもとの違いに寂しさを感じながら、お風呂から上がった。
新しい寝間着に着替えて、自室へと戻って……ベッドに横になる。
「おやすみなさいませ、姫様」
「……おやすみなさい、アリ」
そしてアリとおやすみの挨拶を交わして、アリは部屋を出ていった。
明かりがベッドサイドに置かれたままだったのは、アリが忘れたからなのか、気遣いからなのか……ハシャラには分からなかった。
ハシャラはいつもよりも明るい部屋で天井を見上げて、またぼんやりとしていた。
「……ナラ……」
そして小さな声で、彼女の名前を呼んだ。
彼女は生きているだろうか、痛みは引いているだろうか……ナラのことが、心配でしょうがなかった。
ただある事にふっと気がついて、ベッドから立ち上がって部屋を出ようとすると……扉の外にはハチがいた。
ハチも……いつも身辺警護をしてくれているハチとは、別のハチだった。
「いかがなさいましたか? 姫様」
ハチにそう問われて、ハシャラは戸惑いながら声を掛ける。
「……いつものハチは、大丈夫ですか?」
彼女も傷だらけになりながら、懸命にハシャラを守ってくれていた。
ナラのことばかり考えていたが、自分はそんな傷だらけの彼女にかなり無理をさせてしまった。
申し訳無さを感じながら尋ねると、ハチが冷静な表情で答える。
「彼女は負傷のために休んでおります。今宵は、彼女の代わりに私が姫様の護衛にあたります。姫様は必ずお守りしますので、ご安心ください」
ハチにも、やはりいつものハチの面影を見てしまう。
アリたち、ハチたちはやはり同種族で顔が似ているため、どうしてもいつもの彼女たちを連想してしまう。
けれど……今夜はいない。
そのことを理解したハシャラは「よろしく、お願いします……」と力なく返事をして、部屋へと戻っていった。
そして再びベッドで横になると、ハシャラは静かに目を瞑った。
眠れる気は、全くしなかった。
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