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第1章 北条家騒動
親子の対面
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奈々は上座の方へ向き直すと、家臣を介して、書状を氏元に渡した。
氏元は吉右衛門の様子を気にしながら書状に目を通していたが、ご落胤に関する一文を読んだ瞬間、大きく目を見開いて夏のことを見た。
「……そなたが、七松丸であるというのか」
七松丸というのは、氏元が夏に授けた幼名であった。
「……はい」
夏がうなずくまでに、十数秒ほどの間があった。
特に感情的な理由があったわけではなく、単純に自分の幼名を知らなかったので、反応が遅れてしまったのだ。
「そうか。生きておったのか……」
氏元は目を潤ませた。
「……」
その一方で、夏には感動の再開という認識はない。
夏にとって、眼前にいる人物は“小田原城主の北条氏元”でしかなかった。
氏元も夏のそういった心情を察しているのか、夏を呼び寄せるようなことはせず、再び書状を読み始めた。
「高秀、我當と権十郎をこれへ」
書状を読み終えると、氏元はそばに控えていた家臣の松田高秀に命じて、氏勝の守役である河原崎我當と、氏勝の主治医である泉権十郎をこの場に呼んだ。
「お呼びとのことで」
「我當に尋ねる。そちは河越に刺客を放って、そこにいる七松丸を害そうとしたらしいが、これに相違ないか」
「……相違ございません」
我當は言い訳することもなくあっさりと認めた。
その様子を見て、辰巳がポツリと疑問をつぶやく。
「お殿様にしろ、あの家来にしろ、全然疑ったりしないな。これってやっぱり、羽田さんが関係しているのかな?」
「少なからず影響はしているでしょうね。だって、幕府の最高権力者みたいな人が事実だと思っているわけですから。よほどのことでもない限り、目の前で疑ったり否定したりなんかできないですよ。家来の人の方も、たぶん呼ばれた時に、『こういう状況だから波風立てるなよ』くらいのことは言われてるんじゃないですか」
ユノウの推測はおおよそ的を射ており、高秀は呼びに行った際、この場の状況を説明するとともに、返答についても色々と言い含めていた。
「左様か。では、権十郎に問う。氏勝の体の具合はどうなっているか。正直に見立てを申してみよ」
「は。万全であるとまでは申し上げられませぬが、食欲はあり、軽い運動もなされております」
「うむ、私もそのように聞いている。ではなにゆえ、江戸や河越では氏勝が重病であるという流言がはびこっているのだ」
「それは……」
権十郎が口籠るのを見て、我當が代わりに返答した。
「それは、お方様のご遺命にございます」
「お亀の遺命だと?」
「はい。お方様は亡くなられる直前、私と権十郎殿を枕元に呼び、自分が身まかったら、氏勝重病の噂を流して、“毒虫”を燻り出すようにと仰せになられました」
「“毒虫”とは、氏吉のことか?」
「御意にございます」
我當がうなずくのを見て、氏元は大きなため息を吐く。
氏吉と亀の関係が良くないことは、氏元も当然知っており、その理由についても耳に入っていた。
「それほどまでに、氏吉を警戒していたのか」
「お方様は、氏勝様の行く末を大変にご案じなされておられました。また、子の成長を見届けられぬ無念さを、嘆いてもおられました。我らはそのお気持ちを汲み、行動した次第でございます」
「それで、噂を流した結果、氏吉が動いたというわけか」
氏元の表情が険しくなった。
「御意にございます」
「では、七松丸を害そうとしたのも、お亀の遺命なのか?」
我當はかぶりを振った。
「いえ、七松丸君がご存命であったことは、お方様が亡くなられた後、江戸様の謀を調べている際に偶然わかったことにございます。されど、もしわかっていれば、必ずそう仰せになられたはずです」
氏元は心が苦しくなった。
氏元は吉右衛門の様子を気にしながら書状に目を通していたが、ご落胤に関する一文を読んだ瞬間、大きく目を見開いて夏のことを見た。
「……そなたが、七松丸であるというのか」
七松丸というのは、氏元が夏に授けた幼名であった。
「……はい」
夏がうなずくまでに、十数秒ほどの間があった。
特に感情的な理由があったわけではなく、単純に自分の幼名を知らなかったので、反応が遅れてしまったのだ。
「そうか。生きておったのか……」
氏元は目を潤ませた。
「……」
その一方で、夏には感動の再開という認識はない。
夏にとって、眼前にいる人物は“小田原城主の北条氏元”でしかなかった。
氏元も夏のそういった心情を察しているのか、夏を呼び寄せるようなことはせず、再び書状を読み始めた。
「高秀、我當と権十郎をこれへ」
書状を読み終えると、氏元はそばに控えていた家臣の松田高秀に命じて、氏勝の守役である河原崎我當と、氏勝の主治医である泉権十郎をこの場に呼んだ。
「お呼びとのことで」
「我當に尋ねる。そちは河越に刺客を放って、そこにいる七松丸を害そうとしたらしいが、これに相違ないか」
「……相違ございません」
我當は言い訳することもなくあっさりと認めた。
その様子を見て、辰巳がポツリと疑問をつぶやく。
「お殿様にしろ、あの家来にしろ、全然疑ったりしないな。これってやっぱり、羽田さんが関係しているのかな?」
「少なからず影響はしているでしょうね。だって、幕府の最高権力者みたいな人が事実だと思っているわけですから。よほどのことでもない限り、目の前で疑ったり否定したりなんかできないですよ。家来の人の方も、たぶん呼ばれた時に、『こういう状況だから波風立てるなよ』くらいのことは言われてるんじゃないですか」
ユノウの推測はおおよそ的を射ており、高秀は呼びに行った際、この場の状況を説明するとともに、返答についても色々と言い含めていた。
「左様か。では、権十郎に問う。氏勝の体の具合はどうなっているか。正直に見立てを申してみよ」
「は。万全であるとまでは申し上げられませぬが、食欲はあり、軽い運動もなされております」
「うむ、私もそのように聞いている。ではなにゆえ、江戸や河越では氏勝が重病であるという流言がはびこっているのだ」
「それは……」
権十郎が口籠るのを見て、我當が代わりに返答した。
「それは、お方様のご遺命にございます」
「お亀の遺命だと?」
「はい。お方様は亡くなられる直前、私と権十郎殿を枕元に呼び、自分が身まかったら、氏勝重病の噂を流して、“毒虫”を燻り出すようにと仰せになられました」
「“毒虫”とは、氏吉のことか?」
「御意にございます」
我當がうなずくのを見て、氏元は大きなため息を吐く。
氏吉と亀の関係が良くないことは、氏元も当然知っており、その理由についても耳に入っていた。
「それほどまでに、氏吉を警戒していたのか」
「お方様は、氏勝様の行く末を大変にご案じなされておられました。また、子の成長を見届けられぬ無念さを、嘆いてもおられました。我らはそのお気持ちを汲み、行動した次第でございます」
「それで、噂を流した結果、氏吉が動いたというわけか」
氏元の表情が険しくなった。
「御意にございます」
「では、七松丸を害そうとしたのも、お亀の遺命なのか?」
我當はかぶりを振った。
「いえ、七松丸君がご存命であったことは、お方様が亡くなられた後、江戸様の謀を調べている際に偶然わかったことにございます。されど、もしわかっていれば、必ずそう仰せになられたはずです」
氏元は心が苦しくなった。
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