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上皇あきらめない噺
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1221年、鎌倉幕府を打倒すべく決起したのが後鳥羽上皇であった。
当時幕府の実権を握っていた執権の北条義時追討の院宣を発し、幕府打倒に動き出したものの、応じた武士は少なく、北条政子の演説によって奮い立った幕府軍によって捕らえられ、幽閉された後に隠岐に流されてしまったのだ。
これが世にいう承久の乱であるが、隠岐に流された後も後鳥羽上皇は意気消沈することなく精力的に活動したという。
もともと上皇は文武両道に秀でた人物で、幕府打倒を夢見て武芸の鍛錬はもちろん、刀剣の作成にも励んだ。
さらに文化活動にも力を入れ、「遠島御百首」や「後鳥羽御口伝」に「無常講式」などといった数多くの著作を残しただけでなく、「新古今和歌集」の校閲をしたり、京都の歌人たちと手紙を歌合せもしていたという。
ただ、その後も流罪を解かれることはなく、上皇は無念の思いを抱いたまま隠岐で60歳の生涯を閉じたのだ。
では、今回はこの辺で失礼をば。
当時幕府の実権を握っていた執権の北条義時追討の院宣を発し、幕府打倒に動き出したものの、応じた武士は少なく、北条政子の演説によって奮い立った幕府軍によって捕らえられ、幽閉された後に隠岐に流されてしまったのだ。
これが世にいう承久の乱であるが、隠岐に流された後も後鳥羽上皇は意気消沈することなく精力的に活動したという。
もともと上皇は文武両道に秀でた人物で、幕府打倒を夢見て武芸の鍛錬はもちろん、刀剣の作成にも励んだ。
さらに文化活動にも力を入れ、「遠島御百首」や「後鳥羽御口伝」に「無常講式」などといった数多くの著作を残しただけでなく、「新古今和歌集」の校閲をしたり、京都の歌人たちと手紙を歌合せもしていたという。
ただ、その後も流罪を解かれることはなく、上皇は無念の思いを抱いたまま隠岐で60歳の生涯を閉じたのだ。
では、今回はこの辺で失礼をば。
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