よもやまメモ噺

いんじんリュウキ

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幻の徳川内閣噺

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 15代将軍であった徳川慶喜の大政奉還によって、徳川の時代は終わったが、その後再び徳川家の人間が国政を担う可能性があったのだ。

 その人物とは、隠居した慶喜の跡を継いで徳川宗家の当主となった徳川家達である。

 4歳で家督を継いだ家達は、5年のイギリス留学を経て、1890年に貴族院議員となり、1903年には貴族院議長に任命されるなど政治家として活躍していた。

 そして1914年、年齢や見識、10年以上にわたって貴族院議長を務め続けてきた実績によって、元老たちから総理大臣に推す声があがり、ついに大正天皇から内閣を組織すべしとの内命が与えられたのだ。

 ところが家達は内命を固辞し、元老たちからの説得にも頑として首を縦に振らず、結局大隈重信が総理に就任することになってのである。

 なぜ総理大臣にならなかったのか。

 これには、勝海舟の助言が影響したといわれ、勝海舟は生前、家経に対し徳川家の地位が利用されないよう、政治に関わり過ぎないようにとアドバイスしたという。

 実際、家達は文部大臣や東京市長に請われた際が、いずれも断っている。

 その後、家達は日本赤十字社の社長や東京オリンピック招致委員会の会長を務め、1940年に76歳でこの世を去ったのだ。

 では、今回はこの辺で失礼をば。 
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