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慶喜と弁当箱噺
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江戸幕府最後の将軍といえば、ご存じ徳川慶喜。
慶喜は胃腸が弱かったらしく、そのせいか食べ物に関してとても神経質だったとのこと。
食あたりも心配だったようで、外出の時は弁当持参だったという。
それはずいぶんと徹底されていたようで、接待や会食など、あらかじめ予定されていたものは別にして、出先で出された食べ物は基本的に口にせず、弁当を持参しなかった場合は空腹の方を選んだとのこと。
1903年、67歳になっていた慶喜は大阪の砲兵工廠を訪れ、そこで製造されていたアルミニウムの飯盒をもらって帰った。
気に入って使っていた慶喜だが、ある日「アルミニウムで炊いたご飯を毎日食べて体に害はないのか?」と疑問を抱き、工廠に問い合わせたがはっきりした答えが返ってこず、結局慶喜は一塊の銀を工場に送り、新しく銀製の飯盒を作らせて愛用したとのことだ。
では、今回はこの辺で失礼をば。
慶喜は胃腸が弱かったらしく、そのせいか食べ物に関してとても神経質だったとのこと。
食あたりも心配だったようで、外出の時は弁当持参だったという。
それはずいぶんと徹底されていたようで、接待や会食など、あらかじめ予定されていたものは別にして、出先で出された食べ物は基本的に口にせず、弁当を持参しなかった場合は空腹の方を選んだとのこと。
1903年、67歳になっていた慶喜は大阪の砲兵工廠を訪れ、そこで製造されていたアルミニウムの飯盒をもらって帰った。
気に入って使っていた慶喜だが、ある日「アルミニウムで炊いたご飯を毎日食べて体に害はないのか?」と疑問を抱き、工廠に問い合わせたがはっきりした答えが返ってこず、結局慶喜は一塊の銀を工場に送り、新しく銀製の飯盒を作らせて愛用したとのことだ。
では、今回はこの辺で失礼をば。
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