よもやまメモ噺

いんじんリュウキ

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ナウマンvs森鴎外噺

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 フォッサマグナの命名者であり、ナウマンゾウにもその名を残すドイツの地質学者ナウマン。

 日本通としても知られたナウマンは、ドイツへ帰国後、日本の文物の紹介にもつとめたのだが、その際ドイツ留学中であった森鴎外と論争になったのである。

 というのも、ナウマンの日本紹介は決して好意的なものではなかったからだ。

 1886年3月、ドレスデンの地学協会年会でナウマンは日本について講演したのだが、それは日本の後進性を強調したもので、たまたまこれを聞いていた鴎外はいたたまれない気持ちになった。

 だが主賓の講演に対して反論するわけにもいかず、黙って聞いていたものの、ナウマンが答辞で仏教を批判すると我慢できずに反論したという。

 その後ナウマンはミュンヘン大学の講師になり、同時に鴎外もミュンヘン大学で衛生学の勉強していたので、二人の論争はミュンヘンでも続いたとのことだ。

 では、今回はこの辺で失礼をば。
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