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家斉と川崎大師噺
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1796年、11代将軍徳川家斉は24歳の前厄祈願のために川崎大師を参詣した。
川崎大師にとって、将軍が厄除けのために参詣したという事実は厄除け大師としての名前を江戸の町にアピールするのに絶大な効果をもたらす。
将軍が自身の厄除けのためにわざわざ出向いて参詣したということは、厄除けにご利益があると将軍からお墨付きをもらったようなものだからだ。
本厄の時には参詣しなかったものの、26歳の後厄祈願の折には参詣している。
将軍が厄除けで参詣した際、川崎大師は普段配管できない本尊を特別に開帳しているのだが、その後「御成跡開帳」と称して15日間に渡って一般にも本尊を開帳し、参詣者を増やそうとしたのだ。
この家斉参詣を追い風に、川崎大師は1805年、両国橋近くの回向院で江戸出開帳を行い、大勢の参拝客を集めて、江戸っ子の間に厄除け大師としてのネームバリューを浸透させるのに成功したのである。
では、今回はこの辺で失礼をば。
川崎大師にとって、将軍が厄除けのために参詣したという事実は厄除け大師としての名前を江戸の町にアピールするのに絶大な効果をもたらす。
将軍が自身の厄除けのためにわざわざ出向いて参詣したということは、厄除けにご利益があると将軍からお墨付きをもらったようなものだからだ。
本厄の時には参詣しなかったものの、26歳の後厄祈願の折には参詣している。
将軍が厄除けで参詣した際、川崎大師は普段配管できない本尊を特別に開帳しているのだが、その後「御成跡開帳」と称して15日間に渡って一般にも本尊を開帳し、参詣者を増やそうとしたのだ。
この家斉参詣を追い風に、川崎大師は1805年、両国橋近くの回向院で江戸出開帳を行い、大勢の参拝客を集めて、江戸っ子の間に厄除け大師としてのネームバリューを浸透させるのに成功したのである。
では、今回はこの辺で失礼をば。
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