よもやまメモ噺

いんじんリュウキ

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女性の仇討噺

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 江戸時代、厳しいルールが定められていたものの、仇討というものが法的に認められていた。

 そしてやはりというべきか、仇を討った側も討たれた側も侍が圧倒的に多かったが、女性が行ったケースも少ないながら確認されている。

 これは1724年の春、石見国浜田藩江戸屋敷での出来事で、奥女中頭の道が、気難しいお局様の沢野に辱められて自殺を遂げるという事件が発生した。

 日頃道を姉のように慕っていた女中の初は義憤にかられ、ついには沢野を刺殺してしまう。

 その後、初の行動は「主人の仇討」と認めれ、罪に問われることはなかったとのことだ。

 また、とませという女性は、6歳の時に母を殺され、以来仇敵の源八郎の行方を探し続け、53年という気が遠くなるような探索人生を送った後、ついに源八郎を見つけ出して見事討ち取っているが、これが仇討にかかった最長記録となっている。

 では、今回はこの辺で失礼をば。
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