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方角バラバラ噺
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現在我々が日常的に使用している地図は”北”が上に配置されているが、江戸時代に使用されていた古地図は上にくる方角がバラバラだという。
実際に博物館で展示されているものを見たりするとわかると思うが、江戸時代の古地図は”西”が上になっていることが多く、大坂図や伏見図、奈良図では”東”が上、長崎図では”西北西”が上になっているとのこと。
なぜ上にくる方角がバラバラなのかというと、当時は方角ではなくて、城を基準にしていたからだ。
地図を作成する際、まずは城を図の上の方に配置して、それから町全体を描いたのである。
例えば江戸図の場合、江戸城を上に配置し、その下に日本橋などの下町を配置。
すると、江戸の東方に位置する日本橋が下にくるので、必然的に”西”が上になるのだ。
ちなみに、北が上の地図が習慣化したのは、欧米から地図作成の技術が導入された明治以降のことである。
では、今回はこの辺で失礼をば。
実際に博物館で展示されているものを見たりするとわかると思うが、江戸時代の古地図は”西”が上になっていることが多く、大坂図や伏見図、奈良図では”東”が上、長崎図では”西北西”が上になっているとのこと。
なぜ上にくる方角がバラバラなのかというと、当時は方角ではなくて、城を基準にしていたからだ。
地図を作成する際、まずは城を図の上の方に配置して、それから町全体を描いたのである。
例えば江戸図の場合、江戸城を上に配置し、その下に日本橋などの下町を配置。
すると、江戸の東方に位置する日本橋が下にくるので、必然的に”西”が上になるのだ。
ちなみに、北が上の地図が習慣化したのは、欧米から地図作成の技術が導入された明治以降のことである。
では、今回はこの辺で失礼をば。
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