よもやまメモ噺

いんじんリュウキ

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104歳まで生きた噺

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 1600年に起きた関ヶ原の戦いで敗れた石田三成は、逃亡を図るも捕らえられ、京都の六条河原で斬首された。

 ところが、家康に刃向かった三成の長男である重家は、関ヶ原後も生き延びたうえ、104歳まで生きていたという。

 重家は関ヶ原の合戦前から人質として大坂城に入っており、城内で父親の敗北を知ったとのこと。

 敗北を知った重家は、城を脱出して京都の妙心寺の寿聖院に逃れる。

 寿聖院は、三成が父・正継のために創建した寺であった。

 住職は逃げ込んできた重家を即座に出家させ、京都の奉行所にそのことを届け出たうえで家康に除名嘆願を行ったのである。

 仏門に入った人間を処刑するわけにはいかなかったのか、家康は重家を許した。

 そして寿聖院で修業に励んだ重家は、諸説あるものの104歳で没したという。

 では、今回はこの辺で失礼をば。
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