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たーまやー噺
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東京の夏の風物詩といえば隅田川の花火大会。
その歴史は非常に古く、1733年に享保の飢饉で犠牲になった人たちの慰霊のために行われたのが起源とされています。
さて、この時代に活躍したのが花火への掛け声でもお馴染みの「鍵屋」と「玉屋」でした。
もともとは江戸の花火といえば「鍵屋」の独壇場でしたが、1808年に「鍵屋」からのれん分けを許された玉屋市兵衛さんが「玉屋」を開業してからは、両者が人気を二分するようになっていったのです。
両国の川開きでは、上流で「玉屋」下流で「鍵屋」が花火を打ち上げてそれぞれの技量を競い、それぞれを応援する見物客が「たーまやー!」「かーぎやー!」と応援の声を上げ、それが現在まで掛け声として残っているとのこと。
なお、「玉屋」は師匠である「鍵屋」を凌ぐ人気と実力を有していたものの、1843年に火事を出してしまったことで江戸を追放になり、35年でその歴史を閉じることになってしまったのです。
では、今回はこの辺で失礼いたします。
その歴史は非常に古く、1733年に享保の飢饉で犠牲になった人たちの慰霊のために行われたのが起源とされています。
さて、この時代に活躍したのが花火への掛け声でもお馴染みの「鍵屋」と「玉屋」でした。
もともとは江戸の花火といえば「鍵屋」の独壇場でしたが、1808年に「鍵屋」からのれん分けを許された玉屋市兵衛さんが「玉屋」を開業してからは、両者が人気を二分するようになっていったのです。
両国の川開きでは、上流で「玉屋」下流で「鍵屋」が花火を打ち上げてそれぞれの技量を競い、それぞれを応援する見物客が「たーまやー!」「かーぎやー!」と応援の声を上げ、それが現在まで掛け声として残っているとのこと。
なお、「玉屋」は師匠である「鍵屋」を凌ぐ人気と実力を有していたものの、1843年に火事を出してしまったことで江戸を追放になり、35年でその歴史を閉じることになってしまったのです。
では、今回はこの辺で失礼いたします。
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