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目も1000噺
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手が多いことのたとえとしても用いられる千手観音。
正式には「千手千眼観自在菩薩」と呼ぶのだが、その名のとおり手だけでなく目も1000あるのだ。
しかもその目は顔ではなく、掌にひとつずつ付いているのである。
このように手が1000本あり、それぞれに目が付いているのは、たくさんの手と目によって余すところなく衆生を救うためで、1000本の手ですべての人々の苦悩を取り去り、1000の目ですべてを見て、人々を教え導くのだという。
ただ、千手観音像を見たことがある人はわかると思うが、基本的に像は手が1000本もなく、左右21本ずつの42本というのがほとんどだ。
これは1000本もの手を作るのが大変だというのが本音らしいのだが、42本というのにもちゃんと意味があるとのこと。
左右21本のずつのうち、腕の前で合唱している合掌手と、腰のあたりで鉢を持っている宝鉢手を両腕で1本とすると、合計で40本になる。
その各1手が、すべての世界を意味する二十五有界の人々救済すると考え、40に25を1000になるということで、この本数になっているとのこと。
では、今回はこの辺で失礼をば。
正式には「千手千眼観自在菩薩」と呼ぶのだが、その名のとおり手だけでなく目も1000あるのだ。
しかもその目は顔ではなく、掌にひとつずつ付いているのである。
このように手が1000本あり、それぞれに目が付いているのは、たくさんの手と目によって余すところなく衆生を救うためで、1000本の手ですべての人々の苦悩を取り去り、1000の目ですべてを見て、人々を教え導くのだという。
ただ、千手観音像を見たことがある人はわかると思うが、基本的に像は手が1000本もなく、左右21本ずつの42本というのがほとんどだ。
これは1000本もの手を作るのが大変だというのが本音らしいのだが、42本というのにもちゃんと意味があるとのこと。
左右21本のずつのうち、腕の前で合唱している合掌手と、腰のあたりで鉢を持っている宝鉢手を両腕で1本とすると、合計で40本になる。
その各1手が、すべての世界を意味する二十五有界の人々救済すると考え、40に25を1000になるということで、この本数になっているとのこと。
では、今回はこの辺で失礼をば。
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