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巨大な犬小屋噺
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江戸幕府5代将軍徳川綱吉。
「生類憐みの令」という動物愛護の極みのような法令を定めたことでも知られているが、特に自身が戌年だったこともあって、犬を大切に扱った。
その綱吉、1695年に野犬保護を目的として、中野に巨大な犬小屋を新設した。
この犬小屋は、中野御用屋敷や中野御囲と呼ばれ、16万坪にも及ぶ広大な敷地を有していたとのこと。
犬小屋の中は5つの囲いに分けられ、「壱之御囲」が3万4538坪、「弐之御囲」「参之御囲」「四之御囲」がそれぞれ5万坪、「五之御囲」が5万7178坪であった。
さらに犬小屋は1棟25坪で290棟、日除け場が7坪半ずつ295棟、餌飼所が141棟、子犬養生所が59ヶ所、他に役人衆居宅、御用屋敷長屋、女犬養生所などがあったという。
この巨大な犬小屋では、4万2000匹ほどの飼育されていたというが、綱吉の死とともに役目を終えて廃された。
ちなみに、犬小屋の跡地には、8代将軍徳川吉宗の時代になってから桃園が造られたとのこと。
では、今回はこの辺で失礼をば。
「生類憐みの令」という動物愛護の極みのような法令を定めたことでも知られているが、特に自身が戌年だったこともあって、犬を大切に扱った。
その綱吉、1695年に野犬保護を目的として、中野に巨大な犬小屋を新設した。
この犬小屋は、中野御用屋敷や中野御囲と呼ばれ、16万坪にも及ぶ広大な敷地を有していたとのこと。
犬小屋の中は5つの囲いに分けられ、「壱之御囲」が3万4538坪、「弐之御囲」「参之御囲」「四之御囲」がそれぞれ5万坪、「五之御囲」が5万7178坪であった。
さらに犬小屋は1棟25坪で290棟、日除け場が7坪半ずつ295棟、餌飼所が141棟、子犬養生所が59ヶ所、他に役人衆居宅、御用屋敷長屋、女犬養生所などがあったという。
この巨大な犬小屋では、4万2000匹ほどの飼育されていたというが、綱吉の死とともに役目を終えて廃された。
ちなみに、犬小屋の跡地には、8代将軍徳川吉宗の時代になってから桃園が造られたとのこと。
では、今回はこの辺で失礼をば。
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