よもやまメモ噺

いんじんリュウキ

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河童の恩返し噺

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 江戸時代、浅草に喜八という男が住んでいました。

 喜八は新堀川にかかる橋のたもとで商売をしていたのですが、この川は川幅が狭く生活用水まで流れこむため、大雨の時などはたびたび水が溢れていました。

 そこで喜八は、地元への恩返しに、店が繁盛したおかげで貯まった金を使って、川の改修工事を行うことを考え、早速行動に移りました。

 そんなある日、川べりを歩いていた喜八は怪我をした子どもの河童を見つけました。
 
 自分の商う品が”雨合羽”だったこともあり、喜八はその河童を介抱して川に放してやりました。

 それから間もなくして、喜八念願の工事が始まりました。

 それは川底を掘削し、土地に余裕があれば川幅を広げ、新しい掘割も造るという大規模な治水工事で、喜八の寄付金で雇った人足だけでなく、大勢の地元民も工事に参加しました。

 ところが、いくら大勢での作業とはいえ、工事の進捗が予想以上に早かったのです。

 そのうち、夜になると川から工事の音や人足らしい声が聞こえてくることに気づき、不審に思った地元の人たちが恐る恐る様子を見てみると、なんと大勢の河童たちが作業をしていたのです。
 彼らは喜八が子どもを救ってくれたことに深く感謝し、恩返しとして工事の手伝いをしていたのでした。

 こうして新堀川の改修工事は無事に終了し、地元の人たちは費用を出してくれた喜八への感謝と、工事を手伝ってくれた河童への思いを込めて、この治水が完成した川にかかる橋に「合羽橋」という名前を付けたのでした。

 これが、現在道具街としても知られる浅草・合羽橋の名前の由来とされています。

 では、今回はこの辺で失礼いたします。
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