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南極点噺
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20世紀初頭、3つの国の探検隊が極地である南極点への到達を目指していた。
ひとつがスコット率いるイギリスの探検隊。
スコット隊はイギリス政府の大々的な支援を受け、最新式のディーゼルエンジン付きソリ2台、馬ぞり19台という潤沢な装備を有していた。
もうひとつがアムンゼン率いるノルウェーの探検隊。
犬ぞり19台と、スコット隊に比べて装備は劣っていたが、隊長のアムンゼンは探検家として豊富な経験を有していた。
そして最後が白瀬率いる日本の探検隊。
犬ぞり2台と、他の2国に比べて装備はかなり貧弱だった。
最初に動いたのはアムンゼン隊で、1911年10月19日にベースキャンプを出発。
北極のイヌイットを手本にした犬ぞりは快調に進み、12月14日に人類初の南極点到達を成し遂げる。
次はスコット隊で、アムンゼンに遅れること5日、10月24日にベースキャンプを出発。
ところが、エンジン付きのソリは雪ですぐさま故障し、頼みの馬も寒さで次々と脱落してしまい、ついには人力でソリをひいて南極点を目指すことになる。
必死の思いで南極点に到達したスコット隊であったが、そこに翻るノルウェーの国旗を見て、人類初の栄誉をアムンゼン隊にとられたことを知り、大きなショックを受ける。
さらに失意のスコット隊を猛吹雪が襲い、全員が遭難。その後、捜索隊によって遺体が発見された。
最後は白瀬隊で、1912年1月20日にベースキャンプを出発。
この時、まだアムンゼン隊が南極点に到達していたことはわかっていなかった。
白瀬隊はなんとか南緯80度の地点まで到達したが、これ以上進むことは危険と判断。
その地帯を「大和雪原」と名付け、日章旗を立てて無事帰路についた。
こうして同時期に南極点を目指した3つの探検隊は、それぞれ異なる運命を歩むことになったのである。
では、今回はこの辺で失礼いたします。
ひとつがスコット率いるイギリスの探検隊。
スコット隊はイギリス政府の大々的な支援を受け、最新式のディーゼルエンジン付きソリ2台、馬ぞり19台という潤沢な装備を有していた。
もうひとつがアムンゼン率いるノルウェーの探検隊。
犬ぞり19台と、スコット隊に比べて装備は劣っていたが、隊長のアムンゼンは探検家として豊富な経験を有していた。
そして最後が白瀬率いる日本の探検隊。
犬ぞり2台と、他の2国に比べて装備はかなり貧弱だった。
最初に動いたのはアムンゼン隊で、1911年10月19日にベースキャンプを出発。
北極のイヌイットを手本にした犬ぞりは快調に進み、12月14日に人類初の南極点到達を成し遂げる。
次はスコット隊で、アムンゼンに遅れること5日、10月24日にベースキャンプを出発。
ところが、エンジン付きのソリは雪ですぐさま故障し、頼みの馬も寒さで次々と脱落してしまい、ついには人力でソリをひいて南極点を目指すことになる。
必死の思いで南極点に到達したスコット隊であったが、そこに翻るノルウェーの国旗を見て、人類初の栄誉をアムンゼン隊にとられたことを知り、大きなショックを受ける。
さらに失意のスコット隊を猛吹雪が襲い、全員が遭難。その後、捜索隊によって遺体が発見された。
最後は白瀬隊で、1912年1月20日にベースキャンプを出発。
この時、まだアムンゼン隊が南極点に到達していたことはわかっていなかった。
白瀬隊はなんとか南緯80度の地点まで到達したが、これ以上進むことは危険と判断。
その地帯を「大和雪原」と名付け、日章旗を立てて無事帰路についた。
こうして同時期に南極点を目指した3つの探検隊は、それぞれ異なる運命を歩むことになったのである。
では、今回はこの辺で失礼いたします。
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