29 / 88
こんなつもりじゃなかった【楓視点】
29
しおりを挟む
その日をきっかけに、俺は小春との一時的な結婚の用意と、裁判の準備でよく小春と小春の家族に会う様になった。
小春の前ではつい弁護士としての毅然とした態度で接してしまうので、どこか怯えられているような気がしてならない。長らく独り身で、異性とは依頼人や仕事関係以外で接していなかったからだろうか。どうしても異性に――他人に心を許すということが出来ない。
小春とは夫婦以前に依頼人と弁護士の関係なのでこの姿勢でも間違ってはいないだろうが、ずっと肩肘を張り続けるというのも疲れるものだ。
小春の両親も決して悪い人達ではなかったが、一人娘の小春をずいぶんと甘やかしていたようで、小春の世間知らずなところは両親が関係しているのだろうと考える。
同居した当初、小春が料理や洗濯といった家事が全く出来なかったのも、時折、小春のおっとりした言動や態度に腹が立ってしまうのも両親が原因かと合点がいったものだった。
小春の世間知らずも家事が全く出来ないのも、それは両親から愛情を与えられた証拠であり、決して悪いものではない。
小春を見ていてたまにイラついてしまうのは、自分には無かった両親からの愛情を受けているからだろう。
どこかで羨ましいとさえ、思っているのかもしれない。
その時、急にバスが停まった。降車予定の停留所に着くには早かったので乗降客がいたのだろう。また外に視線を向けると、両親に見送られてスクールバスに乗り込む子供の姿を見つけて、じっと見入ってしまう。
(両親からの愛情か……)
俺には両親がいない。弁護士だった父親と専業主婦だった母親は、俺が四歳の時に交通事故に遭って死んだ。酒帯運転のトラックと正面衝突して即死だったらしい。たまたま祖父母に預けられていた俺だけが助かった。
両親が亡くなる直前の記憶があまりないので、後に祖母に聞いたところ、祖父母の家に両親と俺の三人で遊びに行った時に、遊び疲れて昼寝をした俺を祖父母に預けて、父が運転する車で買い物に行き、そこで事故に遭ったらしい。
昼寝から目が覚めた後は、祖父母が血相を変えて、あちこちに電話をしていた。その後、すぐに両親の葬儀があったのはなんとなく覚えている。犯人は現行犯逮捕で捕まり、裁判で有罪判決を受けた。俺は祖父母に引き取られたが、両親がいない寂しさはほとんど感じず、ただ住む場所が変わったくらいで、何も不自由なかった。
高等裁判所の元裁判官で、近所の大学の名誉教授だった祖父の元には、いつも大勢の法曹関係者が訪れていた。祖父の関係者から裁判に関する話を聞くのは面白く、俺もいつか法律関係の仕事をしたいと考えるようになった。祖母は料理上手で、俺に合わせていつもハンバーグや甘口カレーなどの子供向けの料理を作ってくれた。毎年、誕生日にはケーキを手作りしてくれた。
裁判も終わり、全ては事なきを得たはずだった。
ところが小学生になると、両親がいない俺の事を周囲の人達が同情的な目で見ている事に気づいてしまう。
両親がいなくてもそれなりに充実した生活を送っていたのに、周囲は「両親がいなくて可哀想」、「大変そう」だと不憫な子として見てくる。テストで満点を取っても、読書感想文の大会で一位を取っても、何をしても。いつしかそれに耐えられなくなった。
こんな思いをするくらいなら、両親と一緒に事故で死んでしまえば良かったと、一度だけ祖父の前で話した事がある。案の定、祖父には殴られたが、それくらい当時の俺は周囲に追い詰められていた。
それからは周囲の視線から逃れるように、俺はがむしゃらに勉強に集中した。父と同じ弁護士になって、自分と同じ様に、事故で両親を亡くして、苦労している人達を救いたかった。それなのに――。
しばらくして目的地である事務所近くの大通り名のアナウンスが聞こえてくると、俺は降車を知らせて眼鏡を掛ける。バスが停まって降車すると、事務所に向かって歩き出したのだった。
事務所に着くと、始業にはまだ大分早いが、既に事務所の鍵が開いていた。これ幸いと事務所の中に入ると、シャワールームに直行して汗を流してしまう。仕事柄、事務所に泊まり込んで仕事をする日も多いので、事務所内に自由に使えるシャワールームがあるというのはありがたかった。日本の法律事務所は、雑居ビルの一室に構えているだけが多い。徹夜で仕事をした後、シャワーと着替えの為だけに自宅に帰る日も珍しくない。
(そういえばいつの頃からか、徹夜明けで家に帰ると、小春が着替えと食事を用意してくれていた)
頭から熱いシャワーを浴びながら思い出そうとする。
(最初に気が付いたのは、確か小春の裁判で敗訴して、小春が仕事を辞めた直後だった)
小春の前ではつい弁護士としての毅然とした態度で接してしまうので、どこか怯えられているような気がしてならない。長らく独り身で、異性とは依頼人や仕事関係以外で接していなかったからだろうか。どうしても異性に――他人に心を許すということが出来ない。
小春とは夫婦以前に依頼人と弁護士の関係なのでこの姿勢でも間違ってはいないだろうが、ずっと肩肘を張り続けるというのも疲れるものだ。
小春の両親も決して悪い人達ではなかったが、一人娘の小春をずいぶんと甘やかしていたようで、小春の世間知らずなところは両親が関係しているのだろうと考える。
同居した当初、小春が料理や洗濯といった家事が全く出来なかったのも、時折、小春のおっとりした言動や態度に腹が立ってしまうのも両親が原因かと合点がいったものだった。
小春の世間知らずも家事が全く出来ないのも、それは両親から愛情を与えられた証拠であり、決して悪いものではない。
小春を見ていてたまにイラついてしまうのは、自分には無かった両親からの愛情を受けているからだろう。
どこかで羨ましいとさえ、思っているのかもしれない。
その時、急にバスが停まった。降車予定の停留所に着くには早かったので乗降客がいたのだろう。また外に視線を向けると、両親に見送られてスクールバスに乗り込む子供の姿を見つけて、じっと見入ってしまう。
(両親からの愛情か……)
俺には両親がいない。弁護士だった父親と専業主婦だった母親は、俺が四歳の時に交通事故に遭って死んだ。酒帯運転のトラックと正面衝突して即死だったらしい。たまたま祖父母に預けられていた俺だけが助かった。
両親が亡くなる直前の記憶があまりないので、後に祖母に聞いたところ、祖父母の家に両親と俺の三人で遊びに行った時に、遊び疲れて昼寝をした俺を祖父母に預けて、父が運転する車で買い物に行き、そこで事故に遭ったらしい。
昼寝から目が覚めた後は、祖父母が血相を変えて、あちこちに電話をしていた。その後、すぐに両親の葬儀があったのはなんとなく覚えている。犯人は現行犯逮捕で捕まり、裁判で有罪判決を受けた。俺は祖父母に引き取られたが、両親がいない寂しさはほとんど感じず、ただ住む場所が変わったくらいで、何も不自由なかった。
高等裁判所の元裁判官で、近所の大学の名誉教授だった祖父の元には、いつも大勢の法曹関係者が訪れていた。祖父の関係者から裁判に関する話を聞くのは面白く、俺もいつか法律関係の仕事をしたいと考えるようになった。祖母は料理上手で、俺に合わせていつもハンバーグや甘口カレーなどの子供向けの料理を作ってくれた。毎年、誕生日にはケーキを手作りしてくれた。
裁判も終わり、全ては事なきを得たはずだった。
ところが小学生になると、両親がいない俺の事を周囲の人達が同情的な目で見ている事に気づいてしまう。
両親がいなくてもそれなりに充実した生活を送っていたのに、周囲は「両親がいなくて可哀想」、「大変そう」だと不憫な子として見てくる。テストで満点を取っても、読書感想文の大会で一位を取っても、何をしても。いつしかそれに耐えられなくなった。
こんな思いをするくらいなら、両親と一緒に事故で死んでしまえば良かったと、一度だけ祖父の前で話した事がある。案の定、祖父には殴られたが、それくらい当時の俺は周囲に追い詰められていた。
それからは周囲の視線から逃れるように、俺はがむしゃらに勉強に集中した。父と同じ弁護士になって、自分と同じ様に、事故で両親を亡くして、苦労している人達を救いたかった。それなのに――。
しばらくして目的地である事務所近くの大通り名のアナウンスが聞こえてくると、俺は降車を知らせて眼鏡を掛ける。バスが停まって降車すると、事務所に向かって歩き出したのだった。
事務所に着くと、始業にはまだ大分早いが、既に事務所の鍵が開いていた。これ幸いと事務所の中に入ると、シャワールームに直行して汗を流してしまう。仕事柄、事務所に泊まり込んで仕事をする日も多いので、事務所内に自由に使えるシャワールームがあるというのはありがたかった。日本の法律事務所は、雑居ビルの一室に構えているだけが多い。徹夜で仕事をした後、シャワーと着替えの為だけに自宅に帰る日も珍しくない。
(そういえばいつの頃からか、徹夜明けで家に帰ると、小春が着替えと食事を用意してくれていた)
頭から熱いシャワーを浴びながら思い出そうとする。
(最初に気が付いたのは、確か小春の裁判で敗訴して、小春が仕事を辞めた直後だった)
1
お気に入りに追加
73
あなたにおすすめの小説
【完結】お飾りの妻からの挑戦状
おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。
「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」
しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ……
◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています
◇全18話で完結予定
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
【改稿版・完結】その瞳に魅入られて
おもち。
恋愛
「——君を愛してる」
そう悲鳴にも似た心からの叫びは、婚約者である私に向けたものではない。私の従姉妹へ向けられたものだった——
幼い頃に交わした婚約だったけれど私は彼を愛してたし、彼に愛されていると思っていた。
あの日、二人の胸を引き裂くような思いを聞くまでは……
『最初から愛されていなかった』
その事実に心が悲鳴を上げ、目の前が真っ白になった。
私は愛し合っている二人を引き裂く『邪魔者』でしかないのだと、その光景を見ながらひたすら現実を受け入れるしかなかった。
『このまま婚姻を結んでも、私は一生愛されない』
『私も一度でいいから、あんな風に愛されたい』
でも貴族令嬢である立場が、父が、それを許してはくれない。
必死で気持ちに蓋をして、淡々と日々を過ごしていたある日。偶然見つけた一冊の本によって、私の運命は大きく変わっていくのだった。
私も、貴方達のように自分の幸せを求めても許されますか……?
※後半、壊れてる人が登場します。苦手な方はご注意下さい。
※このお話は私独自の設定もあります、ご了承ください。ご都合主義な場面も多々あるかと思います。
※『幸せは人それぞれ』と、いうような作品になっています。苦手な方はご注意下さい。
※こちらの作品は小説家になろう様でも掲載しています。
届かぬ温もり
HARUKA
恋愛
夫には忘れられない人がいた。それを知りながら、私は彼のそばにいたかった。愛することで自分を捨て、夫の隣にいることを選んだ私。だけど、その恋に答えはなかった。すべてを失いかけた私が選んだのは、彼から離れ、自分自身の人生を取り戻す道だった·····
◆◇◆◇◆◇◆
すべてフィクションです。読んでくだり感謝いたします。
ゆっくり更新していきます。
誤字脱字も見つけ次第直していきます。
よろしくお願いします。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
家出したとある辺境夫人の話
あゆみノワ@書籍『完全別居の契約婚〜』
恋愛
『突然ではございますが、私はあなたと離縁し、このお屋敷を去ることにいたしました』
これは、一通の置き手紙からはじまった一組の心通わぬ夫婦のお語。
※ちゃんとハッピーエンドです。ただし、主人公にとっては。
※他サイトでも掲載します。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
働かなくていいなんて最高!貴族夫人の自由気ままな生活
ゆる
恋愛
前世では、仕事に追われる日々を送り、恋愛とは無縁のまま亡くなった私。
「今度こそ、のんびり優雅に暮らしたい!」
そう願って転生した先は、なんと貴族令嬢!
そして迎えた結婚式――そこで前世の記憶が蘇る。
「ちょっと待って、前世で恋人もできなかった私が結婚!?!??」
しかも相手は名門貴族の旦那様。
「君は何もしなくていい。すべて自由に過ごせばいい」と言われ、夢の“働かなくていい貴族夫人ライフ”を満喫するつもりだったのに――。
◆メイドの待遇改善を提案したら、旦那様が即採用!
◆夫の仕事を手伝ったら、持ち前の簿記と珠算スキルで屋敷の経理が超効率化!
◆商人たちに簿記を教えていたら、商業界で話題になりギルドの顧問に!?
「あれ? なんで私、働いてるの!?!??」
そんな中、旦那様から突然の告白――
「実は、君を妻にしたのは政略結婚のためではない。ずっと、君を想い続けていた」
えっ、旦那様、まさかの溺愛系でした!?
「自由を与えることでそばにいてもらう」つもりだった旦那様と、
「働かない貴族夫人」になりたかったはずの私。
お互いの本当の気持ちに気づいたとき、
気づけば 最強夫婦 になっていました――!
のんびり暮らすつもりが、商業界のキーパーソンになってしまった貴族夫人の、成長と溺愛の物語!
溺愛彼氏は消防士!?
すずなり。
恋愛
彼氏から突然言われた言葉。
「別れよう。」
その言葉はちゃんと受け取ったけど、飲み込むことができない私は友達を呼び出してやけ酒を飲んだ。
飲み過ぎた帰り、イケメン消防士さんに助けられて・・・新しい恋が始まっていく。
「男ならキスの先をは期待させないとな。」
「俺とこの先・・・してみない?」
「もっと・・・甘い声を聞かせて・・?」
私の身は持つの!?
※お話は全て想像の世界になります。現実世界と何ら関係はありません。
※コメントや乾燥を受け付けることはできません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
クリスマスに咲くバラ
篠原怜
恋愛
亜美は29歳。クリスマスを目前にしてファッションモデルの仕事を引退した。亜美には貴大という婚約者がいるのだが今のところ結婚はの予定はない。彼は実業家の御曹司で、年下だけど頼りになる人。だけど亜美には結婚に踏み切れない複雑な事情があって……。■2012年に著者のサイトで公開したものの再掲です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる