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貴女の命を私に下さい

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「それからもやっぱり体調が悪くて、何度か仕事当日の朝に急に休みを貰いました。そうしたら、今度は他の上司から、シフトの都合上、急に休まれると困ると言われてしまって……。問題の上司からも休み明けの度に、体調管理がなってないのは社会人としての自覚が足りず、周囲にどれだけ迷惑をかけているか理解していない私が悪いと説教をされて……。繰り返し、社会人としての常識や自覚が足りないって言われる内に、悪いのは自分ではないかと思えてきて、仕事に行くのも、何をするにもやる気がなくなってしまって……」
「今は体調はどうですか? 救急車が必要か、あるいは横にならなければならないくらい酷いという事は?」
「今は平気です。職場じゃないからというのもありますが、今すぐ悪いという程ではないです」

 これまであった事を一気に話したからか喉が渇いてしまった。私が温くなった緑茶に口を付けると、若佐先生はそっと息を吐いたのだった。

「他の人には相談しなかったんですか。本社や外部の機関に」
「本社に相談して、上司を注意してもらいましたが、その時は良くなってもまたすぐに元通りになってしまって……本社の人もあまり繰り返し注意しても効果がないからと、そう頻繁に注意出来ないと言われてしまって……」

 話している内にだんだん涙が出てきた。鼻をすすっていると、若佐先生は足を組んだ。

「……どうして、世の中はそうやって性格に難のある人ばかりが上に行って、優秀な人材ばかりが損をしてしまうんですかね」
「それは……」
「答えなくていいです。貴女はその上司とその上司を雇う会社を提訴する事だけを考えて下さい」
「会社を……訴えるんですか?」
「貴女の話を聞いて、貴女にはその上司とその上司を野放しにしている会社を訴える権利があります。どうでしょう? 訴えるなら、私が労基法に詳しい弁護士を紹介しますが……」
「そ、そんな! そこまでしなくていいです……」

 私が尻すぼみになりながら答えると、若佐先生は納得出来ないというように「何故ですか?」と尋ねてくる。

「貴女は心身共に深く傷つけられたんです。体調を崩して、死ぬ事さえ考えた。訴える権利があります」
「お、お金! 裁判費用も、弁護士費用も、結構な金額がかかると聞きました。私はそんなお金が無いので……」
「ですが……」

 未だ言い足りない若佐先生を見ないようにしながら、トートバッグを掴んでベッドから立ち上がると、「お茶、ご馳走様でした」と早口に言って、書き物机の書類の間に空になったカップを置く。

「訴えるとか、裁判とか、そこまで考えていません。嫌なら今の会社を辞めれば良いだけです! ですから、失礼します!」
「待って下さい!」

 若佐先生の引き留める声が聞こえてくるが、私はそれにも背を向けて部屋の出入り口に向かう。
 ホテルの廊下に出て、歩き出したところで、ようやく息を吐き出せたのだった。
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