37 / 58
塩むすびは友との約束と忘れがたき味ー現代②ー
【37】
しおりを挟む
「ここで使用している水や米、塩などはどこから入手しているんですか?」
「本殿があった地域で昔から食されているものを手に入れて使用している。お前がいつもここに来る時に通ってくる桜の木が植えられている辺りが、本殿が建っていた場所だ」
「あの公園一帯に蓬さんの本殿やセイさんの神社が建っていたんですね」
「区画整理で本殿だけではなく神社や近隣の民家、野畑も含めて全て跡形も無く取り壊されてしまったが、食文化は残っている。その頃から彼の地で生活している生き字引ともいうべきあやかしに教えてもらった。米は品種改良がされて、セイが握っていた頃よりも食べやすい形と食感になっていたな。寒暖差にも強くなったことで、遥かな昔よりも育てやすくなったと。味にはあまり変化はなかったから、米に問題はないと判断したが」
「じゃあ、塩や水も?」
「同じだ。昔からこの辺りで流通している食塩を使用している。ただ水については、当時の水源が枯れていたこともあって、完全に同じものを用意出来なかった。清水として捧げられてきた湧き水もな。代用品として、あの辺りで古くから飲料水として飲まれており、かつての水源と近い水を使用している。人の世と繋げて、店の水道から出てくるように工事をしてもらった」
これまでは店を開ける前に水を汲みに行く必要があったが、金魚の夫から人の世の水道に詳しいあやかしを紹介してもらい、神域にある蓬の店の水道と莉亜が住む人の世の水道を繋げてもらったらしい。これにより水を汲みに行く手間が省けるようになり、おにぎり作りに専念できるようになったという。
「じゃあ、皿を流しているこの水道水も、私たちの世界から引いているんですか?」
「ああ。飲んでみろ」
試しに洗剤を流したばかりの湯飲みで汲んだ水道水を飲んでみる。莉亜が一人暮らししている部屋の水道水とは多少味が違うものの、確かに浄水場で消毒された微かなカルキ臭がする水道水であった。
「人の世から移住したあやかしや神ほど、人の世と同等の生活を送りたがる者がいる。そこで人間の振りをして人の世で仕事をしているあやかしを通して、人の世と同じように生活を整えてもらう。水道以外のガスや電気もだ。実際に工事に来るのも、支払いなどのやり取りをするのもあやかしだから、こっちも気兼ねする必要がない。その代わり、人の世から来る分、出張費込みでかなりの金額を請求されるが」
「……もしかして、私たちの世界の生活の深いところまであやかしって入り込んでいますか?」
「そうだな。今に始まった話ではないが、人の世の至るところにあやかしたちは潜んでいる。政治や行政の中枢、生きていく上で必要な生活線、教育や商売、芸能にも深く関わっている。滅多に表には出てこないが、裏で人間を支えているぞ」
「知らなかったです……」
知らず知らずのうちに、人間とあやかしと共存していたことに呆気に取られる。莉亜たち人間がつつがなく日々の生活を送れるのも、見えないところであやかしたちが尽力しているからだろう。様々な事情から表に出て来られない分、決して感謝されることも、羨まれることもないが、莉亜たちが今の快適な生活を送るためにはいなくてはならない存在であることは間違いない。これからはもう少しありがたみを持って生活を送ろう、と心に決める。
「水が関係しているのか?」
「それはまだ分かりません。でも水の違いが気になるのは確かです。あの、水も分けていただいても……」
「好きにしろ。どうせ止めても聞かないのだろう。お前は」
蓬に魂胆を見抜かれていた嬉しさと恥ずかしさで照れくさい気持ちになる。カバンから飲みかけのマグボトルを取り出して中身を捨てると、軽く濯いで水道水を注ぐ。見た目は無色透明の水道水だが、本当に炊飯に使用する水の違いがセイのおにぎりを再現できない原因だろうか。どこか腑に落ちない。
「先に言っておくが、セイは米を炊く際に使用する水の種類を途中で一度替えている。それは確かだ」
「どうして、水を変えたって分かったんですか?」
「ある時から急に米の食感や風味が変わったからな。セイに聞いたらその頃から神域の湧水量が減って、一度に汲める水量に限りが出来たからだと話していた。大量に汲みづらくなったことで、身体の清め用と味噌汁用の清水を確保するだけでも時間が掛かるようになり、やむを得ず炊飯に使う水を変えたとも。神域の中で湧き水が取れる場所は一ヶ所しかなかったからな。そこの出が悪くなったというのなら、作り方を工夫しなければならなかったのだろう」
湧き水の量が減っていたのなら、米を研ぐ際に必要となる大量の湧き水の確保は大変だっただろう。料理のどこかに清水を使用すればいいだけなら、少量を汲むだけで済む味噌汁だけに清水の使用を充てればいい。
当時蓬がセイから聞いた話によると、セイが自身の身体を清めるのに必要な清め用の水に限っては、前日から湧水場に桶を設置することで湧き水を溜めて使っていたらしい。さすがに料理に使う清水は当日汲みに行くしかないが、水が溜まるまで待つ時間が減ったことで、空いた時間を蓬の神名探しに使えると話していたという。
「それなら、セイさんは米炊き用の水をどこで手に入れていたのでしょうか?」
「恐らく炊飯に使用していた水は、自宅の厨の水道で使われていた水だろう。セイが生まれた頃に、水道の取り付け工事を行っていたからな。それ以外に水を汲みに行ける場所は神社の近くになかったはずだ」
「水道水で炊いていた米ですか……」
やはり何かが頭に引っかかってしまう。
炊飯に使われていたという湧き水と水道水の違いもセイのおにぎりを再現するためのヒントに繋がるのだろうか。
(とにかく帰ったら、蓬さんが祀られていたという神社やセイさんについて調べてみよう)
蓬のおにぎり作りはもう少し掛かりそうだったので、莉亜は食材を保管している倉庫にお邪魔すると米の銘柄や塩の種類を確かめてメモを取って行く。どちらも実家から送られてくる米や塩と違っていたので、自宅に帰りながらスーパーマーケットに立ち寄った方がいいかもしれない。
今日莉亜におにぎりを握ってくれた青年が教えてくれた味を忘れないうちに。
そんなことを考えながら、仕上げとして握りたての塩おにぎりに軽く塩を振る蓬の横顔を眺めたのであった。
「本殿があった地域で昔から食されているものを手に入れて使用している。お前がいつもここに来る時に通ってくる桜の木が植えられている辺りが、本殿が建っていた場所だ」
「あの公園一帯に蓬さんの本殿やセイさんの神社が建っていたんですね」
「区画整理で本殿だけではなく神社や近隣の民家、野畑も含めて全て跡形も無く取り壊されてしまったが、食文化は残っている。その頃から彼の地で生活している生き字引ともいうべきあやかしに教えてもらった。米は品種改良がされて、セイが握っていた頃よりも食べやすい形と食感になっていたな。寒暖差にも強くなったことで、遥かな昔よりも育てやすくなったと。味にはあまり変化はなかったから、米に問題はないと判断したが」
「じゃあ、塩や水も?」
「同じだ。昔からこの辺りで流通している食塩を使用している。ただ水については、当時の水源が枯れていたこともあって、完全に同じものを用意出来なかった。清水として捧げられてきた湧き水もな。代用品として、あの辺りで古くから飲料水として飲まれており、かつての水源と近い水を使用している。人の世と繋げて、店の水道から出てくるように工事をしてもらった」
これまでは店を開ける前に水を汲みに行く必要があったが、金魚の夫から人の世の水道に詳しいあやかしを紹介してもらい、神域にある蓬の店の水道と莉亜が住む人の世の水道を繋げてもらったらしい。これにより水を汲みに行く手間が省けるようになり、おにぎり作りに専念できるようになったという。
「じゃあ、皿を流しているこの水道水も、私たちの世界から引いているんですか?」
「ああ。飲んでみろ」
試しに洗剤を流したばかりの湯飲みで汲んだ水道水を飲んでみる。莉亜が一人暮らししている部屋の水道水とは多少味が違うものの、確かに浄水場で消毒された微かなカルキ臭がする水道水であった。
「人の世から移住したあやかしや神ほど、人の世と同等の生活を送りたがる者がいる。そこで人間の振りをして人の世で仕事をしているあやかしを通して、人の世と同じように生活を整えてもらう。水道以外のガスや電気もだ。実際に工事に来るのも、支払いなどのやり取りをするのもあやかしだから、こっちも気兼ねする必要がない。その代わり、人の世から来る分、出張費込みでかなりの金額を請求されるが」
「……もしかして、私たちの世界の生活の深いところまであやかしって入り込んでいますか?」
「そうだな。今に始まった話ではないが、人の世の至るところにあやかしたちは潜んでいる。政治や行政の中枢、生きていく上で必要な生活線、教育や商売、芸能にも深く関わっている。滅多に表には出てこないが、裏で人間を支えているぞ」
「知らなかったです……」
知らず知らずのうちに、人間とあやかしと共存していたことに呆気に取られる。莉亜たち人間がつつがなく日々の生活を送れるのも、見えないところであやかしたちが尽力しているからだろう。様々な事情から表に出て来られない分、決して感謝されることも、羨まれることもないが、莉亜たちが今の快適な生活を送るためにはいなくてはならない存在であることは間違いない。これからはもう少しありがたみを持って生活を送ろう、と心に決める。
「水が関係しているのか?」
「それはまだ分かりません。でも水の違いが気になるのは確かです。あの、水も分けていただいても……」
「好きにしろ。どうせ止めても聞かないのだろう。お前は」
蓬に魂胆を見抜かれていた嬉しさと恥ずかしさで照れくさい気持ちになる。カバンから飲みかけのマグボトルを取り出して中身を捨てると、軽く濯いで水道水を注ぐ。見た目は無色透明の水道水だが、本当に炊飯に使用する水の違いがセイのおにぎりを再現できない原因だろうか。どこか腑に落ちない。
「先に言っておくが、セイは米を炊く際に使用する水の種類を途中で一度替えている。それは確かだ」
「どうして、水を変えたって分かったんですか?」
「ある時から急に米の食感や風味が変わったからな。セイに聞いたらその頃から神域の湧水量が減って、一度に汲める水量に限りが出来たからだと話していた。大量に汲みづらくなったことで、身体の清め用と味噌汁用の清水を確保するだけでも時間が掛かるようになり、やむを得ず炊飯に使う水を変えたとも。神域の中で湧き水が取れる場所は一ヶ所しかなかったからな。そこの出が悪くなったというのなら、作り方を工夫しなければならなかったのだろう」
湧き水の量が減っていたのなら、米を研ぐ際に必要となる大量の湧き水の確保は大変だっただろう。料理のどこかに清水を使用すればいいだけなら、少量を汲むだけで済む味噌汁だけに清水の使用を充てればいい。
当時蓬がセイから聞いた話によると、セイが自身の身体を清めるのに必要な清め用の水に限っては、前日から湧水場に桶を設置することで湧き水を溜めて使っていたらしい。さすがに料理に使う清水は当日汲みに行くしかないが、水が溜まるまで待つ時間が減ったことで、空いた時間を蓬の神名探しに使えると話していたという。
「それなら、セイさんは米炊き用の水をどこで手に入れていたのでしょうか?」
「恐らく炊飯に使用していた水は、自宅の厨の水道で使われていた水だろう。セイが生まれた頃に、水道の取り付け工事を行っていたからな。それ以外に水を汲みに行ける場所は神社の近くになかったはずだ」
「水道水で炊いていた米ですか……」
やはり何かが頭に引っかかってしまう。
炊飯に使われていたという湧き水と水道水の違いもセイのおにぎりを再現するためのヒントに繋がるのだろうか。
(とにかく帰ったら、蓬さんが祀られていたという神社やセイさんについて調べてみよう)
蓬のおにぎり作りはもう少し掛かりそうだったので、莉亜は食材を保管している倉庫にお邪魔すると米の銘柄や塩の種類を確かめてメモを取って行く。どちらも実家から送られてくる米や塩と違っていたので、自宅に帰りながらスーパーマーケットに立ち寄った方がいいかもしれない。
今日莉亜におにぎりを握ってくれた青年が教えてくれた味を忘れないうちに。
そんなことを考えながら、仕上げとして握りたての塩おにぎりに軽く塩を振る蓬の横顔を眺めたのであった。
1
あなたにおすすめの小説
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。
すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。
だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。
イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。
変わり果てた現実を前に、
夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。
深い後悔と悲しみに苛まれながら、
失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。
しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。
贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。
そして、母の心を知っていく子供たち。
イネスが求める愛とは、
そして、幸せとは――。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
『後宮薬師は名を持たない』
由香
キャラ文芸
後宮で怪異を診る薬師・玉玲は、母が禁薬により処刑された過去を持つ。
帝と皇子に迫る“鬼”の気配、母の遺した禁薬、鬼神の青年・玄曜との出会い。
救いと犠牲の狭間で、玉玲は母が選ばなかった選択を重ねていく。
後宮が燃え、名を失ってもなお――
彼女は薬師として、人として、生きる道を選ぶ。
【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました
いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。
子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。
「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」
冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。
しかし、マリエールには秘密があった。
――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。
未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。
「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。
物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立!
数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。
さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。
一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて――
「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」
これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、
ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー!
※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。
冷遇王妃はときめかない
あんど もあ
ファンタジー
幼いころから婚約していた彼と結婚して王妃になった私。
だが、陛下は側妃だけを溺愛し、私は白い結婚のまま離宮へ追いやられる…って何てラッキー! 国の事は陛下と側妃様に任せて、私はこのまま離宮で何の責任も無い楽な生活を!…と思っていたのに…。
【完結】皇帝の寵妃は謎解きよりも料理がしたい〜小料理屋を営んでいたら妃に命じられて溺愛されています〜
空岡立夏
キャラ文芸
【完結】
後宮×契約結婚×溺愛×料理×ミステリー
町の外れには、絶品のカリーを出す小料理屋がある。
小料理屋を営む月花は、世界各国を回って料理を学び、さらに絶対味覚がある。しかも、月花の味覚は無味無臭の毒すらわかるという特別なものだった。
月花はひょんなことから皇帝に出会い、それを理由に美人の位をさずけられる。
後宮にあがった月花だが、
「なに、そう構えるな。形だけの皇后だ。ソナタが毒の謎を解いた暁には、廃妃にして、そっと逃がす」
皇帝はどうやら、皇帝の生誕の宴で起きた、毒の事件を月花に解き明かして欲しいらしく――
飾りの妃からやがて皇后へ。しかし、飾りのはずが、どうも皇帝は月花を溺愛しているようで――?
これは、月花と皇帝の、食をめぐる謎解きの物語だ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる