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塩むすびは友との約束と忘れがたき味ー現代②ー
【37】
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「ここで使用している水や米、塩などはどこから入手しているんですか?」
「本殿があった地域で昔から食されているものを手に入れて使用している。お前がいつもここに来る時に通ってくる桜の木が植えられている辺りが、本殿が建っていた場所だ」
「あの公園一帯に蓬さんの本殿やセイさんの神社が建っていたんですね」
「区画整理で本殿だけではなく神社や近隣の民家、野畑も含めて全て跡形も無く取り壊されてしまったが、食文化は残っている。その頃から彼の地で生活している生き字引ともいうべきあやかしに教えてもらった。米は品種改良がされて、セイが握っていた頃よりも食べやすい形と食感になっていたな。寒暖差にも強くなったことで、遥かな昔よりも育てやすくなったと。味にはあまり変化はなかったから、米に問題はないと判断したが」
「じゃあ、塩や水も?」
「同じだ。昔からこの辺りで流通している食塩を使用している。ただ水については、当時の水源が枯れていたこともあって、完全に同じものを用意出来なかった。清水として捧げられてきた湧き水もな。代用品として、あの辺りで古くから飲料水として飲まれており、かつての水源と近い水を使用している。人の世と繋げて、店の水道から出てくるように工事をしてもらった」
これまでは店を開ける前に水を汲みに行く必要があったが、金魚の夫から人の世の水道に詳しいあやかしを紹介してもらい、神域にある蓬の店の水道と莉亜が住む人の世の水道を繋げてもらったらしい。これにより水を汲みに行く手間が省けるようになり、おにぎり作りに専念できるようになったという。
「じゃあ、皿を流しているこの水道水も、私たちの世界から引いているんですか?」
「ああ。飲んでみろ」
試しに洗剤を流したばかりの湯飲みで汲んだ水道水を飲んでみる。莉亜が一人暮らししている部屋の水道水とは多少味が違うものの、確かに浄水場で消毒された微かなカルキ臭がする水道水であった。
「人の世から移住したあやかしや神ほど、人の世と同等の生活を送りたがる者がいる。そこで人間の振りをして人の世で仕事をしているあやかしを通して、人の世と同じように生活を整えてもらう。水道以外のガスや電気もだ。実際に工事に来るのも、支払いなどのやり取りをするのもあやかしだから、こっちも気兼ねする必要がない。その代わり、人の世から来る分、出張費込みでかなりの金額を請求されるが」
「……もしかして、私たちの世界の生活の深いところまであやかしって入り込んでいますか?」
「そうだな。今に始まった話ではないが、人の世の至るところにあやかしたちは潜んでいる。政治や行政の中枢、生きていく上で必要な生活線、教育や商売、芸能にも深く関わっている。滅多に表には出てこないが、裏で人間を支えているぞ」
「知らなかったです……」
知らず知らずのうちに、人間とあやかしと共存していたことに呆気に取られる。莉亜たち人間がつつがなく日々の生活を送れるのも、見えないところであやかしたちが尽力しているからだろう。様々な事情から表に出て来られない分、決して感謝されることも、羨まれることもないが、莉亜たちが今の快適な生活を送るためにはいなくてはならない存在であることは間違いない。これからはもう少しありがたみを持って生活を送ろう、と心に決める。
「水が関係しているのか?」
「それはまだ分かりません。でも水の違いが気になるのは確かです。あの、水も分けていただいても……」
「好きにしろ。どうせ止めても聞かないのだろう。お前は」
蓬に魂胆を見抜かれていた嬉しさと恥ずかしさで照れくさい気持ちになる。カバンから飲みかけのマグボトルを取り出して中身を捨てると、軽く濯いで水道水を注ぐ。見た目は無色透明の水道水だが、本当に炊飯に使用する水の違いがセイのおにぎりを再現できない原因だろうか。どこか腑に落ちない。
「先に言っておくが、セイは米を炊く際に使用する水の種類を途中で一度替えている。それは確かだ」
「どうして、水を変えたって分かったんですか?」
「ある時から急に米の食感や風味が変わったからな。セイに聞いたらその頃から神域の湧水量が減って、一度に汲める水量に限りが出来たからだと話していた。大量に汲みづらくなったことで、身体の清め用と味噌汁用の清水を確保するだけでも時間が掛かるようになり、やむを得ず炊飯に使う水を変えたとも。神域の中で湧き水が取れる場所は一ヶ所しかなかったからな。そこの出が悪くなったというのなら、作り方を工夫しなければならなかったのだろう」
湧き水の量が減っていたのなら、米を研ぐ際に必要となる大量の湧き水の確保は大変だっただろう。料理のどこかに清水を使用すればいいだけなら、少量を汲むだけで済む味噌汁だけに清水の使用を充てればいい。
当時蓬がセイから聞いた話によると、セイが自身の身体を清めるのに必要な清め用の水に限っては、前日から湧水場に桶を設置することで湧き水を溜めて使っていたらしい。さすがに料理に使う清水は当日汲みに行くしかないが、水が溜まるまで待つ時間が減ったことで、空いた時間を蓬の神名探しに使えると話していたという。
「それなら、セイさんは米炊き用の水をどこで手に入れていたのでしょうか?」
「恐らく炊飯に使用していた水は、自宅の厨の水道で使われていた水だろう。セイが生まれた頃に、水道の取り付け工事を行っていたからな。それ以外に水を汲みに行ける場所は神社の近くになかったはずだ」
「水道水で炊いていた米ですか……」
やはり何かが頭に引っかかってしまう。
炊飯に使われていたという湧き水と水道水の違いもセイのおにぎりを再現するためのヒントに繋がるのだろうか。
(とにかく帰ったら、蓬さんが祀られていたという神社やセイさんについて調べてみよう)
蓬のおにぎり作りはもう少し掛かりそうだったので、莉亜は食材を保管している倉庫にお邪魔すると米の銘柄や塩の種類を確かめてメモを取って行く。どちらも実家から送られてくる米や塩と違っていたので、自宅に帰りながらスーパーマーケットに立ち寄った方がいいかもしれない。
今日莉亜におにぎりを握ってくれた青年が教えてくれた味を忘れないうちに。
そんなことを考えながら、仕上げとして握りたての塩おにぎりに軽く塩を振る蓬の横顔を眺めたのであった。
「本殿があった地域で昔から食されているものを手に入れて使用している。お前がいつもここに来る時に通ってくる桜の木が植えられている辺りが、本殿が建っていた場所だ」
「あの公園一帯に蓬さんの本殿やセイさんの神社が建っていたんですね」
「区画整理で本殿だけではなく神社や近隣の民家、野畑も含めて全て跡形も無く取り壊されてしまったが、食文化は残っている。その頃から彼の地で生活している生き字引ともいうべきあやかしに教えてもらった。米は品種改良がされて、セイが握っていた頃よりも食べやすい形と食感になっていたな。寒暖差にも強くなったことで、遥かな昔よりも育てやすくなったと。味にはあまり変化はなかったから、米に問題はないと判断したが」
「じゃあ、塩や水も?」
「同じだ。昔からこの辺りで流通している食塩を使用している。ただ水については、当時の水源が枯れていたこともあって、完全に同じものを用意出来なかった。清水として捧げられてきた湧き水もな。代用品として、あの辺りで古くから飲料水として飲まれており、かつての水源と近い水を使用している。人の世と繋げて、店の水道から出てくるように工事をしてもらった」
これまでは店を開ける前に水を汲みに行く必要があったが、金魚の夫から人の世の水道に詳しいあやかしを紹介してもらい、神域にある蓬の店の水道と莉亜が住む人の世の水道を繋げてもらったらしい。これにより水を汲みに行く手間が省けるようになり、おにぎり作りに専念できるようになったという。
「じゃあ、皿を流しているこの水道水も、私たちの世界から引いているんですか?」
「ああ。飲んでみろ」
試しに洗剤を流したばかりの湯飲みで汲んだ水道水を飲んでみる。莉亜が一人暮らししている部屋の水道水とは多少味が違うものの、確かに浄水場で消毒された微かなカルキ臭がする水道水であった。
「人の世から移住したあやかしや神ほど、人の世と同等の生活を送りたがる者がいる。そこで人間の振りをして人の世で仕事をしているあやかしを通して、人の世と同じように生活を整えてもらう。水道以外のガスや電気もだ。実際に工事に来るのも、支払いなどのやり取りをするのもあやかしだから、こっちも気兼ねする必要がない。その代わり、人の世から来る分、出張費込みでかなりの金額を請求されるが」
「……もしかして、私たちの世界の生活の深いところまであやかしって入り込んでいますか?」
「そうだな。今に始まった話ではないが、人の世の至るところにあやかしたちは潜んでいる。政治や行政の中枢、生きていく上で必要な生活線、教育や商売、芸能にも深く関わっている。滅多に表には出てこないが、裏で人間を支えているぞ」
「知らなかったです……」
知らず知らずのうちに、人間とあやかしと共存していたことに呆気に取られる。莉亜たち人間がつつがなく日々の生活を送れるのも、見えないところであやかしたちが尽力しているからだろう。様々な事情から表に出て来られない分、決して感謝されることも、羨まれることもないが、莉亜たちが今の快適な生活を送るためにはいなくてはならない存在であることは間違いない。これからはもう少しありがたみを持って生活を送ろう、と心に決める。
「水が関係しているのか?」
「それはまだ分かりません。でも水の違いが気になるのは確かです。あの、水も分けていただいても……」
「好きにしろ。どうせ止めても聞かないのだろう。お前は」
蓬に魂胆を見抜かれていた嬉しさと恥ずかしさで照れくさい気持ちになる。カバンから飲みかけのマグボトルを取り出して中身を捨てると、軽く濯いで水道水を注ぐ。見た目は無色透明の水道水だが、本当に炊飯に使用する水の違いがセイのおにぎりを再現できない原因だろうか。どこか腑に落ちない。
「先に言っておくが、セイは米を炊く際に使用する水の種類を途中で一度替えている。それは確かだ」
「どうして、水を変えたって分かったんですか?」
「ある時から急に米の食感や風味が変わったからな。セイに聞いたらその頃から神域の湧水量が減って、一度に汲める水量に限りが出来たからだと話していた。大量に汲みづらくなったことで、身体の清め用と味噌汁用の清水を確保するだけでも時間が掛かるようになり、やむを得ず炊飯に使う水を変えたとも。神域の中で湧き水が取れる場所は一ヶ所しかなかったからな。そこの出が悪くなったというのなら、作り方を工夫しなければならなかったのだろう」
湧き水の量が減っていたのなら、米を研ぐ際に必要となる大量の湧き水の確保は大変だっただろう。料理のどこかに清水を使用すればいいだけなら、少量を汲むだけで済む味噌汁だけに清水の使用を充てればいい。
当時蓬がセイから聞いた話によると、セイが自身の身体を清めるのに必要な清め用の水に限っては、前日から湧水場に桶を設置することで湧き水を溜めて使っていたらしい。さすがに料理に使う清水は当日汲みに行くしかないが、水が溜まるまで待つ時間が減ったことで、空いた時間を蓬の神名探しに使えると話していたという。
「それなら、セイさんは米炊き用の水をどこで手に入れていたのでしょうか?」
「恐らく炊飯に使用していた水は、自宅の厨の水道で使われていた水だろう。セイが生まれた頃に、水道の取り付け工事を行っていたからな。それ以外に水を汲みに行ける場所は神社の近くになかったはずだ」
「水道水で炊いていた米ですか……」
やはり何かが頭に引っかかってしまう。
炊飯に使われていたという湧き水と水道水の違いもセイのおにぎりを再現するためのヒントに繋がるのだろうか。
(とにかく帰ったら、蓬さんが祀られていたという神社やセイさんについて調べてみよう)
蓬のおにぎり作りはもう少し掛かりそうだったので、莉亜は食材を保管している倉庫にお邪魔すると米の銘柄や塩の種類を確かめてメモを取って行く。どちらも実家から送られてくる米や塩と違っていたので、自宅に帰りながらスーパーマーケットに立ち寄った方がいいかもしれない。
今日莉亜におにぎりを握ってくれた青年が教えてくれた味を忘れないうちに。
そんなことを考えながら、仕上げとして握りたての塩おにぎりに軽く塩を振る蓬の横顔を眺めたのであった。
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