30 / 58
塩むすびは友との約束と忘れがたき味ー過去ー
【30】
しおりを挟む
「なんだ。この惨状は……」
蓬は言葉を失くしてしまう。人々が見守っていた先では横転した馬車と、その馬車周辺を調べる警察官の姿があった。
馬車の近くには地面が吸ったと思しき、赤黒い染みが広がっていた。馬車に轢かれた者が流したものだろうか。そんな鉄のような臭いを放つ赤黒い地面を見た蓬は、その場で凍り付いたように固まってしまう。
赤黒い染みの周りには、同じく赤く染まった米粒が無数に散乱しており、少し離れたところでは壊れた竹筒が転がっていた。その竹筒から零れた液体が地面を流れ、味噌と酒が入り交ざった臭いを辺りに漂わせていたのであった。
そして肝心のセイの気配は、その地面を染め上げた赤黒い染みに続いていたのであった。
(まさか……!?)
指先が震えだして、身体から血の気が引く。喉の奥で焼けつくような苦い味がして、胸が早鐘を打ち始める。落ち着こうと息を吸ったものの、警察官に事情を聞かれていた商売人らしき男が急に金切り声を上げたので、蓬は飛び上がりそうになったのだった。
「おらぁ、見たんだよ。あの華族が乗っていた馬車に轢かれそうになりやがった餓鬼を助けようと、学生が馬車の前に飛び出したんだぁ。竹皮の包みと竹筒を持っていた、あの、なんとかっていう有名な大学に通ってやがる神社の末息子だ」
神社の末息子、という言葉にハッと息を呑む。人間より優れているはずの神らしくもなく、恐怖で足が震え始める。
信じたくなかったが、まさか、まさか――。
「それで?」
「餓鬼は通りの反対側に転がって無事だったが、学生は馬車に轢かれてな。地面に倒れたんだぜ。 ほら、あの赤い地面のあたり。持っていた包みも地面に落ちた。米粒が散らばって、竹筒も穴が開いてあの通り。学生はぴくりとも動かなかったぜ。おらが近くの医者を呼んで診てもらったが、もう……」
商売人はまだ警察官と話していたが、蓬の耳には何も入ってこなかった。手足から力が抜けると、そのまま倒れそうになったので慌てて上空に飛び上がる。両手で自分の頭を乱暴に掻き交ぜ、そして顔を覆う。認めたくない事実を突き付けられて、思考が停止する。
「なんて、ことだ……」
最悪の結末を迎えてしまった。蓬の我が儘に付き合わせたことで、セイは名前と姿を失った不完全な状態で最期を迎えてしまった。
セイに会うことはおろか、もう名前と姿を返すことさえ叶わない。肉体と魂が解離した以上、セイの意識が宿った魂は蓬の元から離れてしまった。蓬には魂となったセイを追いかけられない。神力をほとんど失った蓬には……。
神に名前を知られて使役された魂が死を迎えた場合、その魂は真名が欠けた不完全な状態となる。不完全な状態では輪廻転生の輪に入れず、転生はおろか成仏さえ叶わない。神に貸した名前を返され、自分を縛る神――セイの場合は蓬から解放されるまで、永遠に地上を彷徨い続けることになる。
誰とも言葉を交わせず、存在さえ認識されず、人の移り変わりと共に遠からず存在を忘れ去られる。そんな地獄ともいうべき、終わりなき日々を永劫に送らなければならない。
魂だけの状態を何十年、何百年と送る内に、やがて人間らしい感情や思考を失ってしまう。自分が何者であったのか、どの神にどんな名前を奪われたのかも忘れ、ただ地上を放浪する亡霊となる。その後ほどなくして満たされない渇きを覚えるようになると、衝動のまま人を襲う怨霊に成り果てる。飢えた獣のように暴れ、調伏されるまで飢渇にもがき苦しむという。
陰陽師や退魔師によって、強制的に祓うこともできるが、邪気と共に祓われた魂は完全に消滅する。二度と転生できず、何も無い深淵に堕ちる。
そうなる前に神は自らが使役する魂を解放しなければならない。地上を流離う魂を見つけ、名前を返して自由にしなければならなかった。
蓬に神力があれば、すぐにセイの魂を見つけられるだろう。しかしセイがいない以上、蓬の神力が回復することはない。セイが作る神饌でなければ、蓬の神力は回復しないのだから。
神力が無い以上、セイを見つけられない。神である蓬が見つけられないのなら、セイを解放することは――不可能である。
心ここにあらずといったまま事故現場を離れると、蓬はセイの生家である神社にやって来る。夢であって欲しいという一縷の望みにかけて来たものの、待ち受けていたのは残酷な現実であった。セイの訃報を聞いたのか、セイの知り合いや宮司の関係者と思しき、黒い服の集団が続々と神社に続く石段を上っていた。神社の社務所の前では、黒い着物を身に纏ったセイとよく似た女性――セイの母親が弔問客と涙交じりに話していたのであった。
蓬は言葉を失くしてしまう。人々が見守っていた先では横転した馬車と、その馬車周辺を調べる警察官の姿があった。
馬車の近くには地面が吸ったと思しき、赤黒い染みが広がっていた。馬車に轢かれた者が流したものだろうか。そんな鉄のような臭いを放つ赤黒い地面を見た蓬は、その場で凍り付いたように固まってしまう。
赤黒い染みの周りには、同じく赤く染まった米粒が無数に散乱しており、少し離れたところでは壊れた竹筒が転がっていた。その竹筒から零れた液体が地面を流れ、味噌と酒が入り交ざった臭いを辺りに漂わせていたのであった。
そして肝心のセイの気配は、その地面を染め上げた赤黒い染みに続いていたのであった。
(まさか……!?)
指先が震えだして、身体から血の気が引く。喉の奥で焼けつくような苦い味がして、胸が早鐘を打ち始める。落ち着こうと息を吸ったものの、警察官に事情を聞かれていた商売人らしき男が急に金切り声を上げたので、蓬は飛び上がりそうになったのだった。
「おらぁ、見たんだよ。あの華族が乗っていた馬車に轢かれそうになりやがった餓鬼を助けようと、学生が馬車の前に飛び出したんだぁ。竹皮の包みと竹筒を持っていた、あの、なんとかっていう有名な大学に通ってやがる神社の末息子だ」
神社の末息子、という言葉にハッと息を呑む。人間より優れているはずの神らしくもなく、恐怖で足が震え始める。
信じたくなかったが、まさか、まさか――。
「それで?」
「餓鬼は通りの反対側に転がって無事だったが、学生は馬車に轢かれてな。地面に倒れたんだぜ。 ほら、あの赤い地面のあたり。持っていた包みも地面に落ちた。米粒が散らばって、竹筒も穴が開いてあの通り。学生はぴくりとも動かなかったぜ。おらが近くの医者を呼んで診てもらったが、もう……」
商売人はまだ警察官と話していたが、蓬の耳には何も入ってこなかった。手足から力が抜けると、そのまま倒れそうになったので慌てて上空に飛び上がる。両手で自分の頭を乱暴に掻き交ぜ、そして顔を覆う。認めたくない事実を突き付けられて、思考が停止する。
「なんて、ことだ……」
最悪の結末を迎えてしまった。蓬の我が儘に付き合わせたことで、セイは名前と姿を失った不完全な状態で最期を迎えてしまった。
セイに会うことはおろか、もう名前と姿を返すことさえ叶わない。肉体と魂が解離した以上、セイの意識が宿った魂は蓬の元から離れてしまった。蓬には魂となったセイを追いかけられない。神力をほとんど失った蓬には……。
神に名前を知られて使役された魂が死を迎えた場合、その魂は真名が欠けた不完全な状態となる。不完全な状態では輪廻転生の輪に入れず、転生はおろか成仏さえ叶わない。神に貸した名前を返され、自分を縛る神――セイの場合は蓬から解放されるまで、永遠に地上を彷徨い続けることになる。
誰とも言葉を交わせず、存在さえ認識されず、人の移り変わりと共に遠からず存在を忘れ去られる。そんな地獄ともいうべき、終わりなき日々を永劫に送らなければならない。
魂だけの状態を何十年、何百年と送る内に、やがて人間らしい感情や思考を失ってしまう。自分が何者であったのか、どの神にどんな名前を奪われたのかも忘れ、ただ地上を放浪する亡霊となる。その後ほどなくして満たされない渇きを覚えるようになると、衝動のまま人を襲う怨霊に成り果てる。飢えた獣のように暴れ、調伏されるまで飢渇にもがき苦しむという。
陰陽師や退魔師によって、強制的に祓うこともできるが、邪気と共に祓われた魂は完全に消滅する。二度と転生できず、何も無い深淵に堕ちる。
そうなる前に神は自らが使役する魂を解放しなければならない。地上を流離う魂を見つけ、名前を返して自由にしなければならなかった。
蓬に神力があれば、すぐにセイの魂を見つけられるだろう。しかしセイがいない以上、蓬の神力が回復することはない。セイが作る神饌でなければ、蓬の神力は回復しないのだから。
神力が無い以上、セイを見つけられない。神である蓬が見つけられないのなら、セイを解放することは――不可能である。
心ここにあらずといったまま事故現場を離れると、蓬はセイの生家である神社にやって来る。夢であって欲しいという一縷の望みにかけて来たものの、待ち受けていたのは残酷な現実であった。セイの訃報を聞いたのか、セイの知り合いや宮司の関係者と思しき、黒い服の集団が続々と神社に続く石段を上っていた。神社の社務所の前では、黒い着物を身に纏ったセイとよく似た女性――セイの母親が弔問客と涙交じりに話していたのであった。
1
あなたにおすすめの小説
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。
すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。
だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。
イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。
変わり果てた現実を前に、
夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。
深い後悔と悲しみに苛まれながら、
失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。
しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。
贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。
そして、母の心を知っていく子供たち。
イネスが求める愛とは、
そして、幸せとは――。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
『後宮薬師は名を持たない』
由香
キャラ文芸
後宮で怪異を診る薬師・玉玲は、母が禁薬により処刑された過去を持つ。
帝と皇子に迫る“鬼”の気配、母の遺した禁薬、鬼神の青年・玄曜との出会い。
救いと犠牲の狭間で、玉玲は母が選ばなかった選択を重ねていく。
後宮が燃え、名を失ってもなお――
彼女は薬師として、人として、生きる道を選ぶ。
【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました
いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。
子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。
「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」
冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。
しかし、マリエールには秘密があった。
――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。
未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。
「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。
物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立!
数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。
さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。
一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて――
「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」
これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、
ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー!
※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。
冷遇王妃はときめかない
あんど もあ
ファンタジー
幼いころから婚約していた彼と結婚して王妃になった私。
だが、陛下は側妃だけを溺愛し、私は白い結婚のまま離宮へ追いやられる…って何てラッキー! 国の事は陛下と側妃様に任せて、私はこのまま離宮で何の責任も無い楽な生活を!…と思っていたのに…。
白苑後宮の薬膳女官
絹乃
キャラ文芸
白苑(はくえん)後宮には、先代の薬膳女官が侍女に毒を盛ったという疑惑が今も残っていた。先代は瑞雪(ルイシュエ)の叔母である。叔母の濡れ衣を晴らすため、瑞雪は偽名を使い新たな薬膳女官として働いていた。
ある日、幼帝は瑞雪に勅命を下した。「病弱な皇后候補の少女を薬膳で救え」と。瑞雪の相棒となるのは、幼帝の護衛である寡黙な武官、星宇(シンユィ)。だが、元気を取り戻しはじめた少女が毒に倒れる。再び薬膳女官への疑いが向けられる中、瑞雪は星宇の揺るぎない信頼を支えに、後宮に渦巻く陰謀へ踏み込んでいく。
薬膳と毒が導く真相、叔母にかけられた冤罪の影。
静かに心を近づける薬膳女官と武官が紡ぐ、後宮ミステリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる