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22 龍のマンションへ
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コンシェルジュがいると噂のマンションの広いエントランスホールを、龍に引っ張られながら進む。
伊達眼鏡を取らなくても、隙間から見なくったって分かる。どうせ龍のオーラは、今もあの訳の分からない真っ白なままなんだろう。
私の手首をぎゅうぎゅうに掴む龍の背中を、諦観にも似た思いで見つめた。
龍は器用に片手で財布からカードキーを取り出すと、口に咥えてちらりと横目で私の様子を窺う。細められた目は、嬉しそうに緩やかな弧を描いていた。この状況で笑える龍のメンタルが一切理解できない。
と、龍が小さな声で尋ねてくる。一応この状況がおかしいという認識があるからだろうか。
「……小春ちゃん、まさか僕が怖いの?」
正直に怖いと答えたら、更につけ込まれるかもしれない。いくら私が隙だらけだからといって、笑顔で何をするか分からない相手にこれ以上隙は与えたくなかった。
問いに対する返事は、怖すぎてできなかった。
声が震えませんように、と願いながら声を絞り出す。
「やっぱり明日にしようよ……今日は帰らせて」
途端、龍の眉がへにゃりと垂れ下がる。出た、この顔。
「そんなこと言わないでよ。ようやくこうやって小春ちゃんと二人になれたのに」
こちらが悪いと言わんばかりに悲しそうに微笑まれても、もう龍に対する情は完全に枯渇して、湧き起こらなくなってしまっていた。
「親が心配するから、お願い」
「僕だって、ものすごく心配したよ」
暖簾に腕押しとは、こういうことを言うんだな。こちらの意見を聞いている風で、その実何も受け入れるつもりはない。
龍はいつだって龍のやりたいようにしかやらない。薄々分かっていたことを、改めて目の前に突きつけられてしまっては、これ以上会話を続けて何とかしようという気だって失せる。
私が唇を噛み締めながら俯くと、龍はかつては私をドキドキさせることもあった、あの王子スマイルを浮かべた。
「小春ちゃんが僕の家に来てくれる気になってくれたの、すごく嬉しいんだ」
ぞわりと鳥肌が立つ。
もうここまでくると、龍がやっていることは完全なストーカー行為だ。別れはあっさりと了承したのに、それでもしつこく私を束縛しようとする。
龍の意図が全く読めないから、余計に不気味なのかもしれなかった。
◇
エレベーターで三十二階に到着した。
玄関のドアがずらりと並ぶ、綺麗だけど無機質に感じる廊下を、ぐいぐいと引っ張られながら進んで行く。
エレベーターと非常階段の位置関係と道順を、龍に怪しまれないように必死で記憶した。
もし龍があっさり解放してくれなかった場合、自力で逃げなくちゃならない。走って逃げたのにエレベーターとは反対方面でした、なんて間抜けな事態は、絶対に避けたかった。
どれも同じにしか見えない高そうなドアのひとつの前で、龍が立ち止まる。穏やかにしか見えない笑みを浮かべながら、私を振り返った。
「ここだよ」
この目は、本気で笑ってる目なのか、それとも作り笑いなのか。
龍があまりにも作り物のような表情しか見せないからか、ひと月もの間毎日会い続けた元彼だというのに、全く分からなかった。
春彦がこんな私を過保護レベルで心配するのも、今なら分かる。龍からは白いオーラと胡散臭い笑顔しか見せられることがなくて本性が一切見えていなかったのに、その事実から目を逸し続けた結果がこれなんだから。
「ようやく来てくれたね、いらっしゃい小春ちゃん」
3225と書かれた玄関のドアにカードキーを差し込む。電子錠が解錠されたカチャリという冷たい音がすると、龍は外開きのドアを大きく開いて中に入るよう私を促した。
「こっち。靴を脱いで上がってくれる?」
手首を強く握られたまま、無言で靴を脱ぐ。大理石のような石でできた廊下に足を付けると、ひやりと冷たかった。
オートロックなのか、重そうなゆったりとした動きで閉じていっていたドアが完全に閉まった途端、カチャリと再びあの冷たい小さな音が響く。
とうとう外界と隔たれてしまったことに、急激に孤独を感じてしまった。早く春彦がいる暖かいあの空間に戻りたい。それに部長はどうなったんだろう。スタンガンの威力は気絶するほどじゃなかったのは安心材料だけど、きっと今頃すごく心配している筈だ。
部長の深緑色の綺麗なオーラが深い青に染まっているところを想像すると、罪悪感で胸がぎゅっと締め付けられた。
龍に引っ張られながら廊下を進むと、広々としたリビングダイニングに出る。大きなソファーに四人掛けのお洒落なダイニングテーブル。大型のテレビは壁掛けで、モデルルームのような生活感のなさがあった。
家が汚いと言っていたけど、全然そんなことはない。余計な物なんて何もない、ドラマで見るような整った空間だった。
「ソファーに座って」
ようやく手首が開放されると、ぎょっとするほどの赤い痣が手首をぐるりと巻いていた。
「――ッ」
思わず息を呑みそうになったけど、必死で堪える。恐怖心を龍に晒しちゃ駄目だ。余計に優位に立たれてしまう。
立ったまま手首をさすり、唇を真一文字に結びながら龍を睨むように見た。龍は苦笑しつつ、キッチンへと向かっていく。
「何か飲む? 紅茶もあるし、炭酸水もあるよ」
「……いらない」
「そんなこと言わないで。小春ちゃんと話をしたいだけだって言ったでしょ?」
大型の冷蔵庫を開けると、中に殆ど何も入ってないのがちらりと見えた。一体どんな生活を送っていたんだろう。よせばいいのに、ついそんなことを考えてしまう。
ひとりでこんな広い部屋にずっと住んでいたら、確かに淋しかっただろう。それに関しては同情するけど、だからといって私に執着する度合いは異常過ぎだ。
だけどそれも、龍の本当の目的が分からなければ対処のしようがない。ここまで来てしまった以上、話をするのは私も賛成だった。
手にペットボトルの水を二本持った龍が戻ってくると、硝子のローテーブルの上にゴトンと置く。
「――座ってよ」
笑顔なのに、目は一切笑っていなかった。何をされるか分からない恐怖。ごくりと唾を嚥下すると、ゆっくりとソファーに腰掛ける。
直後。
「うおっ!」
龍がいきなり私のふくらはぎを抱えたかと思うと、上から身体全体を使って押さえつけてきた。
伊達眼鏡を取らなくても、隙間から見なくったって分かる。どうせ龍のオーラは、今もあの訳の分からない真っ白なままなんだろう。
私の手首をぎゅうぎゅうに掴む龍の背中を、諦観にも似た思いで見つめた。
龍は器用に片手で財布からカードキーを取り出すと、口に咥えてちらりと横目で私の様子を窺う。細められた目は、嬉しそうに緩やかな弧を描いていた。この状況で笑える龍のメンタルが一切理解できない。
と、龍が小さな声で尋ねてくる。一応この状況がおかしいという認識があるからだろうか。
「……小春ちゃん、まさか僕が怖いの?」
正直に怖いと答えたら、更につけ込まれるかもしれない。いくら私が隙だらけだからといって、笑顔で何をするか分からない相手にこれ以上隙は与えたくなかった。
問いに対する返事は、怖すぎてできなかった。
声が震えませんように、と願いながら声を絞り出す。
「やっぱり明日にしようよ……今日は帰らせて」
途端、龍の眉がへにゃりと垂れ下がる。出た、この顔。
「そんなこと言わないでよ。ようやくこうやって小春ちゃんと二人になれたのに」
こちらが悪いと言わんばかりに悲しそうに微笑まれても、もう龍に対する情は完全に枯渇して、湧き起こらなくなってしまっていた。
「親が心配するから、お願い」
「僕だって、ものすごく心配したよ」
暖簾に腕押しとは、こういうことを言うんだな。こちらの意見を聞いている風で、その実何も受け入れるつもりはない。
龍はいつだって龍のやりたいようにしかやらない。薄々分かっていたことを、改めて目の前に突きつけられてしまっては、これ以上会話を続けて何とかしようという気だって失せる。
私が唇を噛み締めながら俯くと、龍はかつては私をドキドキさせることもあった、あの王子スマイルを浮かべた。
「小春ちゃんが僕の家に来てくれる気になってくれたの、すごく嬉しいんだ」
ぞわりと鳥肌が立つ。
もうここまでくると、龍がやっていることは完全なストーカー行為だ。別れはあっさりと了承したのに、それでもしつこく私を束縛しようとする。
龍の意図が全く読めないから、余計に不気味なのかもしれなかった。
◇
エレベーターで三十二階に到着した。
玄関のドアがずらりと並ぶ、綺麗だけど無機質に感じる廊下を、ぐいぐいと引っ張られながら進んで行く。
エレベーターと非常階段の位置関係と道順を、龍に怪しまれないように必死で記憶した。
もし龍があっさり解放してくれなかった場合、自力で逃げなくちゃならない。走って逃げたのにエレベーターとは反対方面でした、なんて間抜けな事態は、絶対に避けたかった。
どれも同じにしか見えない高そうなドアのひとつの前で、龍が立ち止まる。穏やかにしか見えない笑みを浮かべながら、私を振り返った。
「ここだよ」
この目は、本気で笑ってる目なのか、それとも作り笑いなのか。
龍があまりにも作り物のような表情しか見せないからか、ひと月もの間毎日会い続けた元彼だというのに、全く分からなかった。
春彦がこんな私を過保護レベルで心配するのも、今なら分かる。龍からは白いオーラと胡散臭い笑顔しか見せられることがなくて本性が一切見えていなかったのに、その事実から目を逸し続けた結果がこれなんだから。
「ようやく来てくれたね、いらっしゃい小春ちゃん」
3225と書かれた玄関のドアにカードキーを差し込む。電子錠が解錠されたカチャリという冷たい音がすると、龍は外開きのドアを大きく開いて中に入るよう私を促した。
「こっち。靴を脱いで上がってくれる?」
手首を強く握られたまま、無言で靴を脱ぐ。大理石のような石でできた廊下に足を付けると、ひやりと冷たかった。
オートロックなのか、重そうなゆったりとした動きで閉じていっていたドアが完全に閉まった途端、カチャリと再びあの冷たい小さな音が響く。
とうとう外界と隔たれてしまったことに、急激に孤独を感じてしまった。早く春彦がいる暖かいあの空間に戻りたい。それに部長はどうなったんだろう。スタンガンの威力は気絶するほどじゃなかったのは安心材料だけど、きっと今頃すごく心配している筈だ。
部長の深緑色の綺麗なオーラが深い青に染まっているところを想像すると、罪悪感で胸がぎゅっと締め付けられた。
龍に引っ張られながら廊下を進むと、広々としたリビングダイニングに出る。大きなソファーに四人掛けのお洒落なダイニングテーブル。大型のテレビは壁掛けで、モデルルームのような生活感のなさがあった。
家が汚いと言っていたけど、全然そんなことはない。余計な物なんて何もない、ドラマで見るような整った空間だった。
「ソファーに座って」
ようやく手首が開放されると、ぎょっとするほどの赤い痣が手首をぐるりと巻いていた。
「――ッ」
思わず息を呑みそうになったけど、必死で堪える。恐怖心を龍に晒しちゃ駄目だ。余計に優位に立たれてしまう。
立ったまま手首をさすり、唇を真一文字に結びながら龍を睨むように見た。龍は苦笑しつつ、キッチンへと向かっていく。
「何か飲む? 紅茶もあるし、炭酸水もあるよ」
「……いらない」
「そんなこと言わないで。小春ちゃんと話をしたいだけだって言ったでしょ?」
大型の冷蔵庫を開けると、中に殆ど何も入ってないのがちらりと見えた。一体どんな生活を送っていたんだろう。よせばいいのに、ついそんなことを考えてしまう。
ひとりでこんな広い部屋にずっと住んでいたら、確かに淋しかっただろう。それに関しては同情するけど、だからといって私に執着する度合いは異常過ぎだ。
だけどそれも、龍の本当の目的が分からなければ対処のしようがない。ここまで来てしまった以上、話をするのは私も賛成だった。
手にペットボトルの水を二本持った龍が戻ってくると、硝子のローテーブルの上にゴトンと置く。
「――座ってよ」
笑顔なのに、目は一切笑っていなかった。何をされるか分からない恐怖。ごくりと唾を嚥下すると、ゆっくりとソファーに腰掛ける。
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