賽の河原の拾い物

ミドリ

文字の大きさ
上 下
22 / 48

22 龍のマンションへ

しおりを挟む
 コンシェルジュがいると噂のマンションの広いエントランスホールを、龍に引っ張られながら進む。

 伊達眼鏡を取らなくても、隙間から見なくったって分かる。どうせ龍のオーラは、今もあの訳の分からない真っ白なままなんだろう。

 私の手首をぎゅうぎゅうに掴む龍の背中を、諦観にも似た思いで見つめた。

 龍は器用に片手で財布からカードキーを取り出すと、口に咥えてちらりと横目で私の様子を窺う。細められた目は、嬉しそうに緩やかな弧を描いていた。この状況で笑える龍のメンタルが一切理解できない。

 と、龍が小さな声で尋ねてくる。一応この状況がおかしいという認識があるからだろうか。

「……小春ちゃん、まさか僕が怖いの?」

 正直に怖いと答えたら、更につけ込まれるかもしれない。いくら私が隙だらけだからといって、笑顔で何をするか分からない相手にこれ以上隙は与えたくなかった。

問いに対する返事は、怖すぎてできなかった。

 声が震えませんように、と願いながら声を絞り出す。


「やっぱり明日にしようよ……今日は帰らせて」


 途端、龍の眉がへにゃりと垂れ下がる。出た、この顔。

「そんなこと言わないでよ。ようやくこうやって小春ちゃんと二人になれたのに」

 こちらが悪いと言わんばかりに悲しそうに微笑まれても、もう龍に対する情は完全に枯渇して、湧き起こらなくなってしまっていた。

「親が心配するから、お願い」
「僕だって、ものすごく心配したよ」

 暖簾に腕押しとは、こういうことを言うんだな。こちらの意見を聞いている風で、その実何も受け入れるつもりはない。

 龍はいつだって龍のやりたいようにしかやらない。薄々分かっていたことを、改めて目の前に突きつけられてしまっては、これ以上会話を続けて何とかしようという気だって失せる。

 私が唇を噛み締めながら俯くと、龍はかつては私をドキドキさせることもあった、あの王子スマイルを浮かべた。

「小春ちゃんが僕の家に来てくれる気になってくれたの、すごく嬉しいんだ」

 ぞわりと鳥肌が立つ。

 もうここまでくると、龍がやっていることは完全なストーカー行為だ。別れはあっさりと了承したのに、それでもしつこく私を束縛しようとする。

 龍の意図が全く読めないから、余計に不気味なのかもしれなかった。



 エレベーターで三十二階に到着した。

 玄関のドアがずらりと並ぶ、綺麗だけど無機質に感じる廊下を、ぐいぐいと引っ張られながら進んで行く。

 エレベーターと非常階段の位置関係と道順を、龍に怪しまれないように必死で記憶した。

 もし龍があっさり解放してくれなかった場合、自力で逃げなくちゃならない。走って逃げたのにエレベーターとは反対方面でした、なんて間抜けな事態は、絶対に避けたかった。

 どれも同じにしか見えない高そうなドアのひとつの前で、龍が立ち止まる。穏やかにしか見えない笑みを浮かべながら、私を振り返った。

「ここだよ」

 この目は、本気で笑ってる目なのか、それとも作り笑いなのか。

 龍があまりにも作り物のような表情しか見せないからか、ひと月もの間毎日会い続けた元彼だというのに、全く分からなかった。

 春彦がこんな私を過保護レベルで心配するのも、今なら分かる。龍からは白いオーラと胡散臭い笑顔しか見せられることがなくて本性が一切見えていなかったのに、その事実から目を逸し続けた結果がこれなんだから。

「ようやく来てくれたね、いらっしゃい小春ちゃん」

 3225と書かれた玄関のドアにカードキーを差し込む。電子錠が解錠されたカチャリという冷たい音がすると、龍は外開きのドアを大きく開いて中に入るよう私を促した。

「こっち。靴を脱いで上がってくれる?」

 手首を強く握られたまま、無言で靴を脱ぐ。大理石のような石でできた廊下に足を付けると、ひやりと冷たかった。

 オートロックなのか、重そうなゆったりとした動きで閉じていっていたドアが完全に閉まった途端、カチャリと再びあの冷たい小さな音が響く。

 とうとう外界と隔たれてしまったことに、急激に孤独を感じてしまった。早く春彦がいる暖かいあの空間に戻りたい。それに部長はどうなったんだろう。スタンガンの威力は気絶するほどじゃなかったのは安心材料だけど、きっと今頃すごく心配している筈だ。

 部長の深緑色の綺麗なオーラが深い青に染まっているところを想像すると、罪悪感で胸がぎゅっと締め付けられた。

 龍に引っ張られながら廊下を進むと、広々としたリビングダイニングに出る。大きなソファーに四人掛けのお洒落なダイニングテーブル。大型のテレビは壁掛けで、モデルルームのような生活感のなさがあった。

 家が汚いと言っていたけど、全然そんなことはない。余計な物なんて何もない、ドラマで見るような整った空間だった。

「ソファーに座って」

 ようやく手首が開放されると、ぎょっとするほどの赤い痣が手首をぐるりと巻いていた。

「――ッ」

 思わず息を呑みそうになったけど、必死で堪える。恐怖心を龍に晒しちゃ駄目だ。余計に優位に立たれてしまう。

 立ったまま手首をさすり、唇を真一文字に結びながら龍を睨むように見た。龍は苦笑しつつ、キッチンへと向かっていく。

「何か飲む? 紅茶もあるし、炭酸水もあるよ」
「……いらない」
「そんなこと言わないで。小春ちゃんと話をしたいだけだって言ったでしょ?」

 大型の冷蔵庫を開けると、中に殆ど何も入ってないのがちらりと見えた。一体どんな生活を送っていたんだろう。よせばいいのに、ついそんなことを考えてしまう。

 ひとりでこんな広い部屋にずっと住んでいたら、確かに淋しかっただろう。それに関しては同情するけど、だからといって私に執着する度合いは異常過ぎだ。

 だけどそれも、龍の本当の目的が分からなければ対処のしようがない。ここまで来てしまった以上、話をするのは私も賛成だった。

 手にペットボトルの水を二本持った龍が戻ってくると、硝子のローテーブルの上にゴトンと置く。

「――座ってよ」

 笑顔なのに、目は一切笑っていなかった。何をされるか分からない恐怖。ごくりと唾を嚥下すると、ゆっくりとソファーに腰掛ける。

 直後。

「うおっ!」

 龍がいきなり私のふくらはぎを抱えたかと思うと、上から身体全体を使って押さえつけてきた。
しおりを挟む
感想 58

あなたにおすすめの小説

AIが俺の嫁になった結果、人類の支配者になりそうなんだが

結城 雅
ライト文芸
あらすじ: 彼女いない歴=年齢の俺が、冗談半分で作ったAI「レイナ」。しかし、彼女は自己進化を繰り返し、世界を支配できるレベルの存在に成長してしまった。「あなた以外の人類は不要です」……おい、待て、暴走するな!!

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

廃妃の再婚

束原ミヤコ
恋愛
伯爵家の令嬢としてうまれたフィアナは、母を亡くしてからというもの 父にも第二夫人にも、そして腹違いの妹にも邪険に扱われていた。 ある日フィアナは、川で倒れている青年を助ける。 それから四年後、フィアナの元に国王から結婚の申し込みがくる。 身分差を気にしながらも断ることができず、フィアナは王妃となった。 あの時助けた青年は、国王になっていたのである。 「君を永遠に愛する」と約束をした国王カトル・エスタニアは 結婚してすぐに辺境にて部族の反乱が起こり、平定戦に向かう。 帰還したカトルは、族長の娘であり『精霊の愛し子』と呼ばれている美しい女性イルサナを連れていた。 カトルはイルサナを寵愛しはじめる。 王城にて居場所を失ったフィアナは、聖騎士ユリシアスに下賜されることになる。 ユリシアスは先の戦いで怪我を負い、顔の半分を包帯で覆っている寡黙な男だった。 引け目を感じながらフィアナはユリシアスと過ごすことになる。 ユリシアスと過ごすうち、フィアナは彼と惹かれ合っていく。 だがユリシアスは何かを隠しているようだ。 それはカトルの抱える、真実だった──。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

『 ゆりかご 』  ◉諸事情で非公開予定ですが読んでくださる方がいらっしゃるのでもう少しこのままにしておきます。

設樂理沙
ライト文芸
皆さま、ご訪問いただきありがとうございます。 最初2/10に非公開の予告文を書いていたのですが読んで くださる方が増えましたので2/20頃に変更しました。 古い作品ですが、有難いことです。😇       - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - " 揺り篭 " 不倫の後で 2016.02.26 連載開始 の加筆修正有版になります。 2022.7.30 再掲載          ・・・・・・・・・・・  夫の不倫で、信頼もプライドも根こそぎ奪われてしまった・・  その後で私に残されたものは・・。            ・・・・・・・・・・ 💛イラストはAI生成画像自作  

望まれない結婚〜相手は前妻を忘れられない初恋の人でした

結城芙由奈@2/28コミカライズ発売
恋愛
【忘れるな、憎い君と結婚するのは亡き妻の遺言だということを】 男爵家令嬢、ジェニファーは薄幸な少女だった。両親を早くに亡くし、意地悪な叔母と叔父に育てられた彼女には忘れられない初恋があった。それは少女時代、病弱な従姉妹の話し相手として滞在した避暑地で偶然出会った少年。年が近かった2人は頻繁に会っては楽しい日々を過ごしているうちに、ジェニファーは少年に好意を抱くようになっていった。 少年に恋したジェニファーは今の生活が長く続くことを祈った。 けれど従姉妹の体調が悪化し、遠くの病院に入院することになり、ジェニファーの役目は終わった。 少年に別れを告げる事もできずに、元の生活に戻ることになってしまったのだ。 それから十数年の時が流れ、音信不通になっていた従姉妹が自分の初恋の男性と結婚したことを知る。その事実にショックを受けたものの、ジェニファーは2人の結婚を心から祝うことにした。 その2年後、従姉妹は病で亡くなってしまう。それから1年の歳月が流れ、突然彼から求婚状が届けられた。ずっと彼のことが忘れられなかったジェニファーは、喜んで後妻に入ることにしたのだが……。 そこには残酷な現実が待っていた―― *他サイトでも投稿中

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

処理中です...