賽の河原の拾い物

ミドリ

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 六時を過ぎると、ひとり、またひとりと部員たちが部室から出て行く。

 いつも最後まで残って戸締りをする部長に付き添い、部室の鍵を職員室に戻した。

 くだらないことを言い合いながら校舎の外へ出ると、空は濃紺と茜色のグラデーションに染まっている。

 部長は絵画みたいな色彩を見た瞬間、うっとりとした表情で空を仰いだ。

「そそる色……」
「部長、大丈夫ですか?」

 部長が、気分を害されたとばかりにしかめ面をする。

「篠原さんはね、もう少し情緒ってもんを学んだ方がいいよ」
「あー」
「あーじゃないよ、全く」

 苦笑する部長に、私も苦笑で返した。

 情緒。最も縁遠い言葉かもしれない。私がへへへと頭を掻くと、部長は深い溜息を吐いた。早々に諦めたんだろう。

 部長が、目を細めた。

「でさ、その元彼って篠原さんを遠くから観察するって言ってたんでしょ?」
「観察じゃないです、見るって言ってましたよ」

 言い方の違いは重要だ。

 私のささやかな反論に、部長は呆れ顔を返した。

「一緒の意味でしょ。陰からずっと見てますよって堂々と宣言したんだから。にしても怖いよね」
「ですよね」

 横目で覗き見た部長のオーラには、不安そうな黒に近い青が入り混じっている。いきなり私に巻き込まれたのだ。部長だってそりゃ怖いだろう。

 私の学校内の知り合いの中で唯一体格がよかったせいで私に選ばれてしまったことを、申し訳なく思った。

「この辺高い建物ないでしょ。どこからどうやって観察してるんだか」

 部長はキョロ、と周囲を見回す。悲しいほどに高い建物がない。あるのは住宅と畑ばかりだ。

 確かにあれからは、龍の姿は一度も見かけていない。ということは、もしかして口だけだった可能性もあるんじゃないか。

 どこかのマンションの屋上に勝手に登るのだって、昨今のセキュリティ具合だとなかなか難しそうだ。

「見張ってないって可能性もありますかね?」

 期待を込めて尋ねた。

「いやあ、かなりしつこそうだからどうだろうね」

 難しい顔をした部長にあっさり返され、ぐう、と次の言葉を呑み込む。確かに龍のしつこさはお墨付きだから、全く以って否定できない。

 あわよくば楽観的観測に流れようとする私とは違い、直接は知らないが為に客観的に捉えている部長の意見は、容赦がなかった。

「……ごめん、脅しちゃった」

 沈黙に耐えられなかったのか、部長が珍しく殊勝に謝ってくる。しゅんとした青色が眼鏡の外に見えた。反省、後悔。そんな時に見られる色だ。

 でも、部長は何も悪くない。

「責任取って駅まできっちり送って下さいね」
「だからそうしてるでしょ」

 目が合うと、私たちは小さく笑い合った。

 人気のない校庭を、二人並んで歩く。傍から見たら何かいい感じの男女かもしれないけど、内実はこけしと乙女男子だ。

 世の中そういった勘違いが日々発生しているんだろうな、と一番星を見つめながら考えた。

 思考が少し逸れて一瞬忘れられていたけど、この先にはあまり見たくない物が待ち受けている。校門だ。

 思い出した途端、気持ちが急激に萎え始めた。春彦の踏切に続き、自分の高校の校門まで、私にとって鬼門になってしまった。避けて通れない場所だけに困る。

 近付くにつれ、見慣れた人影をつい探してしまう。嫌な緊張で強張る私を見て、部長がおかっぱ頭の上にポンと手を置いた。

「……手首に絵の具付いてますよ」
「あんたは人の気遣いってもんをもう少し汲んだ方がいいよ」
「やっぱり?」

 部長が、またもや溜息を吐く。でも、私だって本当は分かっていた。部長が頭に手を乗せることで、私の頭が部長の腕の中にすっぽり収まり、視界から校門が消えていることを。

「……怖がってんじゃない」
「ですかね、ははは……」

 校門を、そのまま通り過ぎる。

「ちなみに、誰もいないよ」

 部長の囁くような声に、思わずほっと息を吐いた。ぽんぽんと頭頂を軽く叩いてから、部長が手を離す。

 学校から駅までは、のんびり歩いて十分ほど。畑と住宅が混じり合った道は、夜はそこそこ暗い。

「部長、なんかすいません」
「篠原さんが殊勝にするとゾクゾクする」

 先程部長に対し思ったことがそっくりそのまま返ってきて、思わずブッと吹き出した。

「それって悪寒って意味ですか? 酷いなあもう」
「はは、ごめんごめ……」

 直後。

 バチイッ! という物凄い音と共に、夕焼けの道に閃光が走る。

 ビクン! と部長が大きく跳ねた。

 糸の切れた操り人形のように、部長の大きな身体がアスファルトに倒れ込む。

「部長!」

 慌てて部長を助け起こそうと振り返ると、視界に見慣れた他校の制服が映り込んだ。バチバチッ! と再び小さな機械が閃光を放つ。

 あれは――スタンガンだ。

「う……」

 痛そうな表情の部長が、顔を上げた。スタンガンに襲われた人なんて見たことがなかったけど、気絶はしないものらしい。部長に意識があって、安堵する。

「いったあ……っ」
「ぶ、部長! 大丈夫ですか!」

 部長に向けて伸ばした私の手首を、龍が掴んで捻り上げた。

「い……痛いっ」
「小春ちゃん、危なかったね」

 茜色に照らされた龍の顔が、不気味なほどに優しく微笑む。

「は……?」

 目を瞠りながら、会いたくなかった人の顔を見上げた。

「僕と別れたって知った途端に近寄られたの? さっきも教室で頭を撫でてたよね」

 言葉が、出てこない。季節は夏に近付いているというのに、二の腕に鳥肌がブワッと立った。

「今なんか抱き寄せてて、怖かったでしょ」

 黙ってちゃ駄目だ、負けるな小春。自分を鼓舞し、必死に言葉を紡ぐ。

「ち、違うよ……部長はそんなんじゃなくて」

 教室で頭を撫でられたのは、もう大分前の話だ。一体いつから、どこから見ていた。

「し、篠原さ……逃げ」

 立ち竦む私に、部長が身体を起こしながら必死の形相で訴える。

「スタンガンってあんまり効き目長くないんだよ。日本って規制が厳しいらしくてね。残念」

 龍は冷めた目で部長を見ると、立ち上がりかけていた部長にもう一度スタンガンを押し当てた。

「やめてっ!」

 バチバチバチイッという電撃音と共に、眩い閃光がアスファルトに反射する。

「ぐあっ!」

 部長が再び地面に倒れ込んだ。顔面から着地し、綺麗な顔にじわりと血が滲み始める。

「部長!」

 罪悪感と焦燥感がない交ぜになり、ドクドクと異常な速度で血液を送る音が身体中に鳴り響く。

 春彦に抱えられて踏切の外に飛び出したあの時と同じように、全てをスローモーションに感じた。

「……龍くん! やめて!」

 スタンガンを奪おうと、龍の腕に掴みかかる。龍は静かな表情のまま、スタンガンをバチッと鳴らした。

「ひゃっ!」

 思わずビクッと動きを止める。龍は薄く微笑みながら、怯える私を見下ろした。

「小春ちゃんは、僕が守ってあげる。さ、行こうか」
「……っ!」

 何も言えず、何も言わせてもらえず、苦しそうに伸ばされた部長の手を見つめ。

 駄目だ、行っちゃ駄目だ。そう訴える部長の目から、視線を逸らす。

「手を繋ぐの、久しぶりだね」

 朗らかに笑いかける龍の手に引かれながら、無言で駅へと向かった。
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