4 / 48
4 王子
しおりを挟む 今朝の開かずの踏切は、比較的すんなり私を通してくれた。それでも、待ち合わせ時間からは三分オーバーしている。早目に出た筈なのにおかしいな。
セミロングの髪をサラサラストレートヘアにするのに朝の貴重な三十分を費やしている我が親友の姿を、遠目から探した。――いた。細い割に出るところが出ている羨ましい体型のえっちゃんを、改札前に発見する。
えっちゃんは、苛々していそうな赤色のオーラを纏っていた。……怖い。だけど私は、何気ない顔で合流する。状態が分かっていれば、対処しようもあるものだ。カンニングみたいだけど。
怒っている人には、上から怒りを被せる手が有効な筈。
ということで、私は早速「あの踏切、いつもいつもなんなの!」とキレ気味に始めた。すると案の定、えっちゃんの赤いオーラが穏やかな暖色に変わっていく。「地下道か陸橋があればいいのにねえ」と慰めてまでくれるこの優しさ。よしよし。作戦成功だ。
その後はさり気なく話題を最近話題の動画に切り替えつつ、滑り込んできた電車に乗り込む。すっかり赤い色が抜けたえっちゃんのオーラに安堵して、くだらないことを喋り続けた。
と、突然えっちゃんが黄色い声を上げ始める。伊達眼鏡の外は、薄ピンクと水色のパステルな世界に一変していて、激しくメルヘンだ。
「小春! 王子が来た!」
「ん? どれどれ」
王子とは、この沿線にある高校の制服を着た、とある一男子の非公式な通称だ。見た目と佇まいが何となく王子っぽい、という安直な理由から名付けられた。
スラリとした体型で、高身長。肌はさらりと白く、真面目そうな黒髪とのコントラストが印象的な優等生タイプ。実際はどうだか知らない。王子だから、当然顔はいい。
少し吊り上がった涼しげな切れ長の目に見つめられたいと、我々沿線女子の間で密かな人気を博していた。
これまで幾人ものチャレンジャーが果敢に挑み敗北を期している、難攻不落の王子様。噂の彼が、すぐ近くにいる。そりゃ、えっちゃんならはしゃぐだろう。内心自分もはしゃぎつつ、私は冷静なフリを保った。
「あ、いたんだ」
「やっぱり他とはひと味違うよねえ」
えっちゃんは目をハートにしている。
「やっぱり今日もひとりだね」
「孤高なんだよ、孤高。なによ、小春だって気にしてるじゃん。なによ『今日も』って」
えっちゃんが私の脇腹を小突いた。痛い。
私もそれなりにキャーキャー言っている口ではあるけど、王子は基本いつもひとりで電車に乗っているし、一度も笑顔を見たことがない。車内にひとりでいて笑っていたら不気味だから当然な話だけど、それにしたって友達のひとりもいないのか。
もし本気で孤高を目指しているんだったら、彼氏にするのはいくら顔がよくても正直願い下げだ。ぼっちだから自分に時間を割けと言われるのは、窓の向こうの幼馴染みだけで間に合っている。
ダサい伊達眼鏡をかけた田舎っぽいおかっぱ女子の私にそう思われても、彼は痛くも痒くもないだろう。だけど私はあえて声を大にして主張したい。眼福で済ませたいものは、世の中確かに存在するのだと。
私の中で彼は、正に象徴的な眼福限定ものだった。つまり、見ていればそれで十分。
「にしても、いつも何の本を読んでるんだろうねえ」
ピンクを撒き散らしたえっちゃんが、本を読みながら佇んでいる王子をうっとりと眺める。まあ、確かに骨ばった大きな手などの各パーツはすこぶるいい。文庫サイズの本が小さく見えて、絵になる。美術部所属の私が言うんだから、間違いない。
「実は官能小説とかだったらどうする」
「ちょっと小春。あんた時々、いやしょっちゅう人の夢をぶち壊すようなことを言うのやめてくれない?」
プロレタリア文学を読み耽っているよりはよほど人間味があると思ったけど、どうやらえっちゃんの中では違ったらしい。眼鏡の外が、一気に不穏な色に染まってしまった。やりすぎたらしい。
「……申し訳ございませぬ」
「仕方ない、許してしんぜよう」
えっちゃんは優しい。
一本前の電車が混雑していたからか、私たちが乗る電車はかなり空いていた。元々下り電車だからそこまで混むことは滅多になくて、座席がほぼ埋まり、ぽつりぽつりと立っている人がいる程度だ。
私とえっちゃんは、彼が立つ場所からは対角線上にある扉の前に立っていた。二人して遠慮なく凝視しているけど、私たちの視線に一切反応を示さない。……鈍感なのかな。
思ったよりも近くにいて、私と王子の間に障害物となる人間はいない。
そのせいだろう。よせばいいのに、むくむくと興味が湧いてしまった。
だからこれは、魔が差したとしか言いようがない。くらくらするので、普段は外で伊達眼鏡を外すことなんてしないからだ。
王子のオーラが視たい。私はスッと伊達眼鏡を取った。
その直後。
キイイイイッ!
電車が急ブレーキをかけ、私たちは大きくバランスを崩す。
「きゃっ」
「うお!」
えっちゃんの可愛らしい小さな悲鳴とは対照的な、なかなか勇ましい声が出た。転びそうになった勢いで、伊達眼鏡が宙を舞う。
「ちょっとちょっと!」
慌てて手を伸ばした。ナイスキャッチ――となる筈が、電車は再び激しいブレーキを掛ける。何やってんの、運転手!
「待て、この!」
だが、私の願いも虚しく、伊達眼鏡は私の指を弾いた。そのままヒューッと、よろけている王子の足許まで飛んでいく。
グシャ! という悲しい破壊音が、ざわついた電車内に小さく響いた。
「……あああああ! 私の眼鏡が!」
慌てて王子の足許に跪く。伊達眼鏡を踏みつけている王子の足首を掴んで持ち上げたけど、一足遅かったらしい。プラスチックのレンズが見事に外れ、フレームはバキバキに割れてしまっている。
「うお……まじか」
色気皆無の台詞が、思わず口を突いて出た。
「あ、あの」
頭上から、思っていたよりも優しげな声が降ってくる。間抜けなことに、その時点になってようやく、私は自分の手が王子の足首を掴んで持ち上げたままなことに気が付いた。
チラリとえっちゃんを見る。恐ろしげに目を見開いている。これは拙いぞ。
恐る恐る、王子を見上げた。
プシューッと音を立てて、ドアが開いていく。
王子の背中から、見たことのない白い後光が差していた。
セミロングの髪をサラサラストレートヘアにするのに朝の貴重な三十分を費やしている我が親友の姿を、遠目から探した。――いた。細い割に出るところが出ている羨ましい体型のえっちゃんを、改札前に発見する。
えっちゃんは、苛々していそうな赤色のオーラを纏っていた。……怖い。だけど私は、何気ない顔で合流する。状態が分かっていれば、対処しようもあるものだ。カンニングみたいだけど。
怒っている人には、上から怒りを被せる手が有効な筈。
ということで、私は早速「あの踏切、いつもいつもなんなの!」とキレ気味に始めた。すると案の定、えっちゃんの赤いオーラが穏やかな暖色に変わっていく。「地下道か陸橋があればいいのにねえ」と慰めてまでくれるこの優しさ。よしよし。作戦成功だ。
その後はさり気なく話題を最近話題の動画に切り替えつつ、滑り込んできた電車に乗り込む。すっかり赤い色が抜けたえっちゃんのオーラに安堵して、くだらないことを喋り続けた。
と、突然えっちゃんが黄色い声を上げ始める。伊達眼鏡の外は、薄ピンクと水色のパステルな世界に一変していて、激しくメルヘンだ。
「小春! 王子が来た!」
「ん? どれどれ」
王子とは、この沿線にある高校の制服を着た、とある一男子の非公式な通称だ。見た目と佇まいが何となく王子っぽい、という安直な理由から名付けられた。
スラリとした体型で、高身長。肌はさらりと白く、真面目そうな黒髪とのコントラストが印象的な優等生タイプ。実際はどうだか知らない。王子だから、当然顔はいい。
少し吊り上がった涼しげな切れ長の目に見つめられたいと、我々沿線女子の間で密かな人気を博していた。
これまで幾人ものチャレンジャーが果敢に挑み敗北を期している、難攻不落の王子様。噂の彼が、すぐ近くにいる。そりゃ、えっちゃんならはしゃぐだろう。内心自分もはしゃぎつつ、私は冷静なフリを保った。
「あ、いたんだ」
「やっぱり他とはひと味違うよねえ」
えっちゃんは目をハートにしている。
「やっぱり今日もひとりだね」
「孤高なんだよ、孤高。なによ、小春だって気にしてるじゃん。なによ『今日も』って」
えっちゃんが私の脇腹を小突いた。痛い。
私もそれなりにキャーキャー言っている口ではあるけど、王子は基本いつもひとりで電車に乗っているし、一度も笑顔を見たことがない。車内にひとりでいて笑っていたら不気味だから当然な話だけど、それにしたって友達のひとりもいないのか。
もし本気で孤高を目指しているんだったら、彼氏にするのはいくら顔がよくても正直願い下げだ。ぼっちだから自分に時間を割けと言われるのは、窓の向こうの幼馴染みだけで間に合っている。
ダサい伊達眼鏡をかけた田舎っぽいおかっぱ女子の私にそう思われても、彼は痛くも痒くもないだろう。だけど私はあえて声を大にして主張したい。眼福で済ませたいものは、世の中確かに存在するのだと。
私の中で彼は、正に象徴的な眼福限定ものだった。つまり、見ていればそれで十分。
「にしても、いつも何の本を読んでるんだろうねえ」
ピンクを撒き散らしたえっちゃんが、本を読みながら佇んでいる王子をうっとりと眺める。まあ、確かに骨ばった大きな手などの各パーツはすこぶるいい。文庫サイズの本が小さく見えて、絵になる。美術部所属の私が言うんだから、間違いない。
「実は官能小説とかだったらどうする」
「ちょっと小春。あんた時々、いやしょっちゅう人の夢をぶち壊すようなことを言うのやめてくれない?」
プロレタリア文学を読み耽っているよりはよほど人間味があると思ったけど、どうやらえっちゃんの中では違ったらしい。眼鏡の外が、一気に不穏な色に染まってしまった。やりすぎたらしい。
「……申し訳ございませぬ」
「仕方ない、許してしんぜよう」
えっちゃんは優しい。
一本前の電車が混雑していたからか、私たちが乗る電車はかなり空いていた。元々下り電車だからそこまで混むことは滅多になくて、座席がほぼ埋まり、ぽつりぽつりと立っている人がいる程度だ。
私とえっちゃんは、彼が立つ場所からは対角線上にある扉の前に立っていた。二人して遠慮なく凝視しているけど、私たちの視線に一切反応を示さない。……鈍感なのかな。
思ったよりも近くにいて、私と王子の間に障害物となる人間はいない。
そのせいだろう。よせばいいのに、むくむくと興味が湧いてしまった。
だからこれは、魔が差したとしか言いようがない。くらくらするので、普段は外で伊達眼鏡を外すことなんてしないからだ。
王子のオーラが視たい。私はスッと伊達眼鏡を取った。
その直後。
キイイイイッ!
電車が急ブレーキをかけ、私たちは大きくバランスを崩す。
「きゃっ」
「うお!」
えっちゃんの可愛らしい小さな悲鳴とは対照的な、なかなか勇ましい声が出た。転びそうになった勢いで、伊達眼鏡が宙を舞う。
「ちょっとちょっと!」
慌てて手を伸ばした。ナイスキャッチ――となる筈が、電車は再び激しいブレーキを掛ける。何やってんの、運転手!
「待て、この!」
だが、私の願いも虚しく、伊達眼鏡は私の指を弾いた。そのままヒューッと、よろけている王子の足許まで飛んでいく。
グシャ! という悲しい破壊音が、ざわついた電車内に小さく響いた。
「……あああああ! 私の眼鏡が!」
慌てて王子の足許に跪く。伊達眼鏡を踏みつけている王子の足首を掴んで持ち上げたけど、一足遅かったらしい。プラスチックのレンズが見事に外れ、フレームはバキバキに割れてしまっている。
「うお……まじか」
色気皆無の台詞が、思わず口を突いて出た。
「あ、あの」
頭上から、思っていたよりも優しげな声が降ってくる。間抜けなことに、その時点になってようやく、私は自分の手が王子の足首を掴んで持ち上げたままなことに気が付いた。
チラリとえっちゃんを見る。恐ろしげに目を見開いている。これは拙いぞ。
恐る恐る、王子を見上げた。
プシューッと音を立てて、ドアが開いていく。
王子の背中から、見たことのない白い後光が差していた。
0
お気に入りに追加
29
あなたにおすすめの小説
AIが俺の嫁になった結果、人類の支配者になりそうなんだが
結城 雅
ライト文芸
あらすじ:
彼女いない歴=年齢の俺が、冗談半分で作ったAI「レイナ」。しかし、彼女は自己進化を繰り返し、世界を支配できるレベルの存在に成長してしまった。「あなた以外の人類は不要です」……おい、待て、暴走するな!!
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。

【完結】年収三百万円台のアラサー社畜と総資産三億円以上の仮想通貨「億り人」JKが湾岸タワーマンションで同棲したら
瀬々良木 清
ライト文芸
主人公・宮本剛は、都内で働くごく普通の営業系サラリーマン。いわゆる社畜。
タワーマンションの聖地・豊洲にあるオフィスへ通勤しながらも、自分の給料では絶対に買えない高級マンションたちを見上げながら、夢のない毎日を送っていた。
しかしある日、会社の近所で苦しそうにうずくまる女子高生・常磐理瀬と出会う。理瀬は女子高生ながら仮想通貨への投資で『億り人』となった天才少女だった。
剛の何百倍もの資産を持ち、しかし心はまだ未完成な女子高生である理瀬と、日に日に心が枯れてゆくと感じるアラサー社畜剛が織りなす、ちぐはぐなラブコメディ。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
廃妃の再婚
束原ミヤコ
恋愛
伯爵家の令嬢としてうまれたフィアナは、母を亡くしてからというもの
父にも第二夫人にも、そして腹違いの妹にも邪険に扱われていた。
ある日フィアナは、川で倒れている青年を助ける。
それから四年後、フィアナの元に国王から結婚の申し込みがくる。
身分差を気にしながらも断ることができず、フィアナは王妃となった。
あの時助けた青年は、国王になっていたのである。
「君を永遠に愛する」と約束をした国王カトル・エスタニアは
結婚してすぐに辺境にて部族の反乱が起こり、平定戦に向かう。
帰還したカトルは、族長の娘であり『精霊の愛し子』と呼ばれている美しい女性イルサナを連れていた。
カトルはイルサナを寵愛しはじめる。
王城にて居場所を失ったフィアナは、聖騎士ユリシアスに下賜されることになる。
ユリシアスは先の戦いで怪我を負い、顔の半分を包帯で覆っている寡黙な男だった。
引け目を感じながらフィアナはユリシアスと過ごすことになる。
ユリシアスと過ごすうち、フィアナは彼と惹かれ合っていく。
だがユリシアスは何かを隠しているようだ。
それはカトルの抱える、真実だった──。
『 ゆりかご 』 ◉諸事情で非公開予定ですが読んでくださる方がいらっしゃるのでもう少しこのままにしておきます。
設樂理沙
ライト文芸
皆さま、ご訪問いただきありがとうございます。
最初2/10に非公開の予告文を書いていたのですが読んで
くださる方が増えましたので2/20頃に変更しました。
古い作品ですが、有難いことです。😇
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
" 揺り篭 " 不倫の後で 2016.02.26 連載開始
の加筆修正有版になります。
2022.7.30 再掲載
・・・・・・・・・・・
夫の不倫で、信頼もプライドも根こそぎ奪われてしまった・・
その後で私に残されたものは・・。
・・・・・・・・・・
💛イラストはAI生成画像自作
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる