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39 腑に落ちる
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翌日出社すると、秋川さんが血相を変えて私の元にやってきた。
「月島さん! あれは一体どういう……!」
私は小さく笑いながら首を横に振ると、秋川さんに伝える。
「社長は聞く耳を持ってくれませんでした。多分……分かった上で言っているんだと思います」
「そんな馬鹿なことが……」
「お陰で踏ん切りがつきましたよ、へへ」
ひと晩、考えに考えたことだった。あまりにも理不尽で一方的な決めつけは、明らかにおかしい。だけど、私を追い出せと梨花に命令されたのなら?
そう考えると、全てが綺麗にぴったりと収まったのだ。そしてそれが事実なら、きっともう覆らない。
マスターからは電話があったけど、何も伝えなかった。昨日は梨花も『ピート』に来なかったから、来ればよかったのに。寂しそうにそう言われただけだ。
「月島さん、君もしかして、元々辞める気だったのか……?」
秋川さんが、掠れた声で尋ねる。
「ここの仕事は好きでした。でもやっぱり、ひとりの所為でまともに働けない環境はおかしいんですよ」
今回の解雇宣言は、私の意思を固めたに過ぎなかった。
「私の大切な人が、逃げろと言ってくれていたんです。私は環境が変わることを恐れて、目を逸らしてきました。それが、大切な人を追い詰めることに気付かないまま」
梨花のことだ。大川さんに私の退職のことも伝えているだろう。私が大川さんの所為だと思って大川さんを嫌うことを想定して。
「秋川さん、お世話になりました」
この先、梨花が何を仕掛けて来ようとも。
もう、私は譲らない。
◇
梨花が幹事を買って出た私の送別会は、今日出社していた社員はほぼ参加してくれることになったそうだ。
一緒に行こうよ! と無理矢理引っ張られて到着した居酒屋には、もう皆着席して待っている。
秋川さんは、返却物とか諸々の手続きがあるからそれを片付けたら行くよ、と悔しそうな表情で言ってくれた。
社長は来ていなくてほっとしていたら、「社長も来るよ!」とにこやかに梨花に告げられて耳を疑う。
もしかしたら梨花の行動は、大川さんと私を陥れる以外にも、梨花を一番にしない社長への復讐も兼ねてるんじゃないかと思ってしまった。
若しくは、自分に忠実であることを再確認したいんだろうか。
「マリモって人望が厚いよね! どうして辞めちゃうの? まさかヘッドハンティングとかあ?」
人を退職に追いやった梨花が、楽しそうに何か言っている。
きっと梨花は、女王様でいたい訳ではなく、お姫様になりたいんだろう。畏怖され崇められるのではなく、周りが進んで梨花の為に手を汚す様な、守らなきゃいけないお姫様に。
だから直接はやらない。彼女はいつだって、攻撃対象には表面上は親しくしようとする。私の送別会の幹事をやるなんて、正にその象徴だ。
梨花はいつだって舞台の中心にしか立たない。スポットライトの端しか当たらない脇役が中心に足を踏み入れない様、全身全霊で阻止している。
何の為に? きっと、ずっとそこに立ちたかったから。そこに立ち続けるには、周りを押し退ければいいと考えたから。
美しければ捨てられない。美しければ、何をしても許される。かつて母親が梨花にそうした様に。
そうして得た力で、自分にはなかったものを自ら捨てた大川さんを痛めつけ、その行為を介して自分を捨てた母親に復讐をしてるのかもしれなかった。
「そうそう、けんちゃん来てくれるんだって! 何か私に言いたいことあるみたいなの! もしかして、マリモと浮気しようとしたことを謝りたいのかなあ……? ふふっ」
梨花がそう言うと、実際の出欠の確認や店の手配をした山田さんが、ギョッとした顔になった。
「ちょ、ちょっと梨花ちゃん? 俺が今の彼氏だよ!」
「うーん。私、情熱的な人に弱いからなあ」
品を作って笑う梨花の言葉に、山田さんは咄嗟に何も返せなかったみたいだ。
「社長が到着したら、マリモの門出を祝って乾杯しようね!」
周りの社員たちのはしゃぐ梨花を見る目は冷ややかなものだったけど、それは女性社員が殆どで、男性社員は「真山さんは優しいなあ」とか「やっぱり美人だよなあ」とか話している声が聞こえる。
全体を見て調和を求める女性は細かいところをよく見ているけど、ひとつのことに注力しがちな男性は、私たちに確執があるとは思ってもいないんだろう。
そう思えば、この状況ももういいと思えた。
読書から得た知識が、私の認識を広げてくれていたから。私が一歩踏み出せる様にマスターが背中を押してくれたから。
それを盾に、梨花が大川さんを闇に沈めようとすることに精一杯抗おう。
まだどうやればいいのかは分からないけど、職場が違ってしまえば、梨花は今よりは私に干渉出来なくなる。
私が私の大切な人たちにもらったのは、戦う勇気じゃなくて逃げる勇気だ。逃げるのに必要なことは、梨花に関する知識。大川さん以外の人間が梨花のことを知れば知るほど、梨花は身動きが取れなくなる筈だから。
「――あっ社長来たあ!」
梨花はパッと立ち上がると、微妙な表情を浮かべながら到着した社長の元に駆け寄る。社長の腕を引っ張ると、自分の正面へと誘導した。
この人に関しては、もう憐れだとしか思わない。私が社長が座るのをただ見ていると、社長は明らかに私から顔を背けた。
「社長! 乾杯の音頭をお願いしますね!」
梨花がきゃっきゃとはしゃぎながら社長のグラスにビールを注ぐ。
「……月島さん、これまでお疲れ様でした。乾杯」
「乾杯!」
あちこちで乾杯の声が上がった。隣に座る梨花が、実に嬉しそうな笑顔で私に乾杯を求める。
「マリモ、すっごく残念だけど、次の職場でも頑張ってね!」
「そうだね。もう会うこともないと思うから、梨花も元気で」
精一杯の嫌味を口にした途端、梨花が笑顔のままこめかみをぴくりと震わせた。
「……あんた私に喧嘩売ってんの?」
周りに聞こえない様な低い小声で私を笑顔で睨む梨花。だけどその様子を、梨花の正面に座る社長は引き気味に見ている。そして梨花の隣に座る山田さんは、驚愕の表情で梨花を見つめていた。これまで、梨花の本性を見たことがなかったんだろう。
「あんたの大好きな彼氏の店がどうなってもいいんだ、ふうん」
店を構えるマスターは逃げられない。マスターと『ピート』を使い、大川さんが私を完全に諦めるまで、梨花はまだまだ私を追い詰めるつもりだったらしい。
知識は脅しに屈しない。勇気を振り絞り、必死に笑顔を保って梨花とついでに後ろの山田さんに向かって伝えることにした。
「風評被害って偽計業務妨害罪にあたるんだって」
私の言葉に、梨花がぎゅっと唇を白くなるほど噛みしめる。
「あとね、この間梨花が店で私を蹴ったこととか、二人がやった土下座とか、あれは威力業務妨害罪にあたってね。どっちも三年以下の懲役又は五十万円以下の罰金になるんだって。怖いね」
あの時見てたお客さんは、証人になってくれるって言ってくれてるんだよ。そう言った瞬間、山田さんが梨花の肩を掴んで揺さぶりだした。
「梨花ちゃん! ほら、今日は月島さんの門出を祝うんだろ!」
刑事罰の対象だと聞いて、途端に怖くなったらしい。
本当は私も、膝から震えそうなほどに怖かった。でも、私の大切な人たちと癒やしスポットを守る為に逃げるには、今後近寄らせない為に釘を打っておく必要があると思ったのだ。
「……けんちゃん、遅いなあもう」
梨花が、私の言葉も山田さんすらも無視して携帯を取り出し、電話をかけ始めた。
「――あ、けんちゃん? 今どこなのお? マリモの門出だよ! 一緒に祝おうよお!」
待ってるね! そう言って電話を切った梨花は、先程までの苛立ちの表情はどこへやら、すっかりご機嫌に戻るとグラスの中身を飲み干す。
「山田さん、お酒注いでほしいなあ!」
「……あっ、うん」
正面に座る社長の顔には、焦りが浮かんでいる様に見えた。
大川さんをこの場に呼ぶ理由。
お前たちも、自分を裏切るとこうなるぞ。
それを分からせる為なのだ。
すとんと腑に落ちた瞬間だった。
「月島さん! あれは一体どういう……!」
私は小さく笑いながら首を横に振ると、秋川さんに伝える。
「社長は聞く耳を持ってくれませんでした。多分……分かった上で言っているんだと思います」
「そんな馬鹿なことが……」
「お陰で踏ん切りがつきましたよ、へへ」
ひと晩、考えに考えたことだった。あまりにも理不尽で一方的な決めつけは、明らかにおかしい。だけど、私を追い出せと梨花に命令されたのなら?
そう考えると、全てが綺麗にぴったりと収まったのだ。そしてそれが事実なら、きっともう覆らない。
マスターからは電話があったけど、何も伝えなかった。昨日は梨花も『ピート』に来なかったから、来ればよかったのに。寂しそうにそう言われただけだ。
「月島さん、君もしかして、元々辞める気だったのか……?」
秋川さんが、掠れた声で尋ねる。
「ここの仕事は好きでした。でもやっぱり、ひとりの所為でまともに働けない環境はおかしいんですよ」
今回の解雇宣言は、私の意思を固めたに過ぎなかった。
「私の大切な人が、逃げろと言ってくれていたんです。私は環境が変わることを恐れて、目を逸らしてきました。それが、大切な人を追い詰めることに気付かないまま」
梨花のことだ。大川さんに私の退職のことも伝えているだろう。私が大川さんの所為だと思って大川さんを嫌うことを想定して。
「秋川さん、お世話になりました」
この先、梨花が何を仕掛けて来ようとも。
もう、私は譲らない。
◇
梨花が幹事を買って出た私の送別会は、今日出社していた社員はほぼ参加してくれることになったそうだ。
一緒に行こうよ! と無理矢理引っ張られて到着した居酒屋には、もう皆着席して待っている。
秋川さんは、返却物とか諸々の手続きがあるからそれを片付けたら行くよ、と悔しそうな表情で言ってくれた。
社長は来ていなくてほっとしていたら、「社長も来るよ!」とにこやかに梨花に告げられて耳を疑う。
もしかしたら梨花の行動は、大川さんと私を陥れる以外にも、梨花を一番にしない社長への復讐も兼ねてるんじゃないかと思ってしまった。
若しくは、自分に忠実であることを再確認したいんだろうか。
「マリモって人望が厚いよね! どうして辞めちゃうの? まさかヘッドハンティングとかあ?」
人を退職に追いやった梨花が、楽しそうに何か言っている。
きっと梨花は、女王様でいたい訳ではなく、お姫様になりたいんだろう。畏怖され崇められるのではなく、周りが進んで梨花の為に手を汚す様な、守らなきゃいけないお姫様に。
だから直接はやらない。彼女はいつだって、攻撃対象には表面上は親しくしようとする。私の送別会の幹事をやるなんて、正にその象徴だ。
梨花はいつだって舞台の中心にしか立たない。スポットライトの端しか当たらない脇役が中心に足を踏み入れない様、全身全霊で阻止している。
何の為に? きっと、ずっとそこに立ちたかったから。そこに立ち続けるには、周りを押し退ければいいと考えたから。
美しければ捨てられない。美しければ、何をしても許される。かつて母親が梨花にそうした様に。
そうして得た力で、自分にはなかったものを自ら捨てた大川さんを痛めつけ、その行為を介して自分を捨てた母親に復讐をしてるのかもしれなかった。
「そうそう、けんちゃん来てくれるんだって! 何か私に言いたいことあるみたいなの! もしかして、マリモと浮気しようとしたことを謝りたいのかなあ……? ふふっ」
梨花がそう言うと、実際の出欠の確認や店の手配をした山田さんが、ギョッとした顔になった。
「ちょ、ちょっと梨花ちゃん? 俺が今の彼氏だよ!」
「うーん。私、情熱的な人に弱いからなあ」
品を作って笑う梨花の言葉に、山田さんは咄嗟に何も返せなかったみたいだ。
「社長が到着したら、マリモの門出を祝って乾杯しようね!」
周りの社員たちのはしゃぐ梨花を見る目は冷ややかなものだったけど、それは女性社員が殆どで、男性社員は「真山さんは優しいなあ」とか「やっぱり美人だよなあ」とか話している声が聞こえる。
全体を見て調和を求める女性は細かいところをよく見ているけど、ひとつのことに注力しがちな男性は、私たちに確執があるとは思ってもいないんだろう。
そう思えば、この状況ももういいと思えた。
読書から得た知識が、私の認識を広げてくれていたから。私が一歩踏み出せる様にマスターが背中を押してくれたから。
それを盾に、梨花が大川さんを闇に沈めようとすることに精一杯抗おう。
まだどうやればいいのかは分からないけど、職場が違ってしまえば、梨花は今よりは私に干渉出来なくなる。
私が私の大切な人たちにもらったのは、戦う勇気じゃなくて逃げる勇気だ。逃げるのに必要なことは、梨花に関する知識。大川さん以外の人間が梨花のことを知れば知るほど、梨花は身動きが取れなくなる筈だから。
「――あっ社長来たあ!」
梨花はパッと立ち上がると、微妙な表情を浮かべながら到着した社長の元に駆け寄る。社長の腕を引っ張ると、自分の正面へと誘導した。
この人に関しては、もう憐れだとしか思わない。私が社長が座るのをただ見ていると、社長は明らかに私から顔を背けた。
「社長! 乾杯の音頭をお願いしますね!」
梨花がきゃっきゃとはしゃぎながら社長のグラスにビールを注ぐ。
「……月島さん、これまでお疲れ様でした。乾杯」
「乾杯!」
あちこちで乾杯の声が上がった。隣に座る梨花が、実に嬉しそうな笑顔で私に乾杯を求める。
「マリモ、すっごく残念だけど、次の職場でも頑張ってね!」
「そうだね。もう会うこともないと思うから、梨花も元気で」
精一杯の嫌味を口にした途端、梨花が笑顔のままこめかみをぴくりと震わせた。
「……あんた私に喧嘩売ってんの?」
周りに聞こえない様な低い小声で私を笑顔で睨む梨花。だけどその様子を、梨花の正面に座る社長は引き気味に見ている。そして梨花の隣に座る山田さんは、驚愕の表情で梨花を見つめていた。これまで、梨花の本性を見たことがなかったんだろう。
「あんたの大好きな彼氏の店がどうなってもいいんだ、ふうん」
店を構えるマスターは逃げられない。マスターと『ピート』を使い、大川さんが私を完全に諦めるまで、梨花はまだまだ私を追い詰めるつもりだったらしい。
知識は脅しに屈しない。勇気を振り絞り、必死に笑顔を保って梨花とついでに後ろの山田さんに向かって伝えることにした。
「風評被害って偽計業務妨害罪にあたるんだって」
私の言葉に、梨花がぎゅっと唇を白くなるほど噛みしめる。
「あとね、この間梨花が店で私を蹴ったこととか、二人がやった土下座とか、あれは威力業務妨害罪にあたってね。どっちも三年以下の懲役又は五十万円以下の罰金になるんだって。怖いね」
あの時見てたお客さんは、証人になってくれるって言ってくれてるんだよ。そう言った瞬間、山田さんが梨花の肩を掴んで揺さぶりだした。
「梨花ちゃん! ほら、今日は月島さんの門出を祝うんだろ!」
刑事罰の対象だと聞いて、途端に怖くなったらしい。
本当は私も、膝から震えそうなほどに怖かった。でも、私の大切な人たちと癒やしスポットを守る為に逃げるには、今後近寄らせない為に釘を打っておく必要があると思ったのだ。
「……けんちゃん、遅いなあもう」
梨花が、私の言葉も山田さんすらも無視して携帯を取り出し、電話をかけ始めた。
「――あ、けんちゃん? 今どこなのお? マリモの門出だよ! 一緒に祝おうよお!」
待ってるね! そう言って電話を切った梨花は、先程までの苛立ちの表情はどこへやら、すっかりご機嫌に戻るとグラスの中身を飲み干す。
「山田さん、お酒注いでほしいなあ!」
「……あっ、うん」
正面に座る社長の顔には、焦りが浮かんでいる様に見えた。
大川さんをこの場に呼ぶ理由。
お前たちも、自分を裏切るとこうなるぞ。
それを分からせる為なのだ。
すとんと腑に落ちた瞬間だった。
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