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16 会場到着
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仲のよかった弟の死をきっかけに、大川さんは自分の将来について改めて考え直すことにしたそうだ。
家では気が休まることがなく、外へと逃げた弟。その弟を受け入れてくれた親子の存在は、本来は感謝こそすれ罵倒して追い出すなど言語道断だ。
だけど、母親はそれを当然だと言わんばかりにやった。
告別式に参列していた他の人間に、まるであの子を唆したのはこいつらで、悪いのは私ではないと訴えているかの様に。
あの瞬間、生まれてからずっと母親を妄信的に信じていた何かが、音を立てて崩れていったと大川さんは言った。
そして自問自答したのだという。本当に医者になりたいのかと。一体誰の為に弟も青春もなくしてまでこの道を貫く必要があるのかと。
得た結論は、自分の子供を道具としてしか見ていない母親の為に費やしたこれまでの十七年間は無駄だった、ということだった。
医者になれと言われたから、用意された道を何も疑わずに辿っていた。だけど本当は、他に道はあるんじゃないか。
夢から覚めた様な感覚と共に、大川さんは自分の置かれた境遇や家族を客観的に見ることが出来る様になっていた。
あの母親に言っても無駄だ。大川さんはそう悟ると、高校受験が控えている下の弟にべったりとくっついている母親の監視の目を潜り抜け、父親に話をしにいった。
医者になりたいと思わない。自分も死んだ弟の様に、自分の道を自分で探り当てていきたい。
そう告げられた父親は、暫く考え込んでいた様子だったけど、やがて頷くと大川さんの頭をぽんと大きな手で撫でてくれたんだそうだ。
好きにしていいと。
だけど、と付け加えられる。
家からは出ていって、母親の視界に入らない様にしてくれ、と頼まれた。父親が考えていたよりも遥かに、あの母親は弱かったから。
自分が育て上げたものに自我があることを理解せず、自分の思い通りに育たないと失敗したと思い今度こそ壊れるから、道を違えて充実した姿を見せないでほしいと。
事実上、母親との絶縁宣言だった。
大川さんは、有名大の経済学部に進路を変更した。進路変更に伴い、今住んでいるマンションを父が購入し、大川さんは高校二年からずっとひとりで暮らしている。引っ越したくても簡単に引っ越せない理由がそこにあった訳だ。
今でも、父親には定期的に連絡を入れているらしい。弟は無事医大を卒業し、国家試験もパスした後、臨床研修センターで日々医師になる勉強をしているそうだ。大学病院を経験した暁には、いつか父親の医院を継ぐことになると、最後に連絡を取った時に大川さんを安心させる様に報告してくれたという。
そして例の友人と出会ったのは、進路を変更したこの時期だったそうだ。
「塾を近くに変えたら、そこで一緒になった人がその友人でね。……あっ出口もうすぐだ!」
「あ、ここね!」
「うん。ちょっと集中しないと迷子になっちゃいそう」
大川さんは、あは、と笑った後、真剣な顔でナビと前方を見比べ始める。
「真面目な顔に見えるかもしれないけど、結構焦ってるから」
ボソリとそう言った大川さんの言葉が可笑しくてその姿が可愛くて、私は思わず吹き出した。
「私も一緒にナビするから! ……ええと、出口……あ、これこれ!」
「大丈夫? あ、本当だ書いてある!」
「あはは、信用して、ふふ」
「だから焦ってるんだってば、あはは」
出口を降りるとそこは勿論ふたりとも通ったことのない市街地で、ナビがあるにも関わらず間違った道を曲がったりしている内に、大川さんの友人のことは今は無理に聞くことはないかと思えてきた。
これから少しずつ、お互いのことをもっと深く知っていけばいいじゃないか。
今日はこの後、ふたりで過ごす時間を楽しんで何がいけないんだろう。
大川さんが話すなら、勿論聞こう。だけど、大川さんが話そうとしないなら、無理に話題を振ることはない。
そう結論付けると、私はこれまでの話から意識を意図的に切り替え、目的地までのナビ役に全力投球したのだった。
◇
散々迷って同じ道を何度も通ったりしたけど、ドライブインシアターの会場に何とか辿り着く。
それは湖畔の元は広い駐車場と思われる空間で、入って一番奥に大きなスクリーンが設置されていた。野外ライブなどで使われていそうなスクリーンに見える。案外同じ物かもしれなかった。あそこにプロジェクターで映像を投影するんだろう。
「思ってたよりも大きいなあ」
「あれなら前に車がいても観られるね」
大川さんが入場口のおじさんにチケットを見せると、あれこれと説明を受け始める。会話があまり聞き取れないから、後で大川さんに尋ねようと思いその場は静かに待機した。
説明が終わったのか、大川さんが私を振り返って微笑む。
「順番に駐車するんだって。行ってみよう」
「うん」
窓を閉めると、大川さんは車を再び発進させた。芝生と土が半々になっている乾いた地面の上を、ガタガタ揺られながら進んでいく。
スクリーンの近くには先に来ていた車が既に何十台も駐車していて、皆スクリーンの方を向いていた。よく見ると地面に運動場で使う石灰の様なもので線が引いてあり、そこに駐車してくれということらしい。
前方にいた関係者であろう中年男性に誘導され、前から詰める形で駐車する。
まだ早い方なのか、それともそんなにお客さんが来ないものなのか、場所はかなり前方でスクリーンが近い。前屈みになって見上げないといけなさそうだ。
「実は、いい物を持ってきたんだ」
「いい物?」
「うん。待ってて」
大川さんはそう言うと車から降り、トランクを開ける。ビニール袋のガサガサという音がしたかと思うと、今度はパンパンと何かを叩く音が聞こえ始めた。なんだろう。
やがて大川さんが戻ってくる。その手には、大きな丸いクッションをふたつ抱えていた。
「これをこうして見たらいいんじゃないかなって思って」
運転席に座った大川さんは、ひとつを私に手渡す。ビーズクッションだった。残っていた方のクッションをぎゅっと抱き締め、前屈みになる。
「なかなかいいよ。月島さんも是非」
「あ、うん」
大川さんと同じ様にクッションを胸の前で抱き締めると、大きくて顔の半分が隠れてしまった。
「あはは、月島さんが埋もれちゃった」
笑顔の大川さんの手が、私の顔のすぐ近くのクッションを平たくしようと軽く叩く。
すると突然、手の動きが止まった。どうしたのかと思い横目で大川さんを見る。
大川さんが、熱の籠もった目で私をじっと見ていた。私と目が合うと、慌てた様に目を泳がせつつ、運転席のドアを開けてクッションを座席に置く。
「――あっ、そ、外見て回ろうか!」
「は、はい!」
心臓が止まるかと思った。あんな熱量で見られたことなど、これまであっただろうか。
エンジンが切られ、運転席のドアが閉じられた。大川さんがいなくなった空間で、はあー、と小さな深呼吸をする。
多分これは、気の所為じゃない。大川さんはきっと、かなり私のことを好んでくれていて、そして私も大川さんのことを――。
開けようと手を伸ばしていた助手席のドアが、外から開かれた。サア、と思ったよりも涼しい湖の湿気が混じった風が、私の前髪を掻き上げる。
すると、大川さんの右手がスッと差し出された。
「あの……地面、結構でこぼこだから」
手を繋ごうと言われているのに気付くと、全身が一瞬でカアッと熱くなる。
――でも、その手を掴みたい。
どういう表情をしていいか分からず俯きながらも、大川さんの手を取った。
「あは、クッションは置いていっていいよ」
「あ」
大川さんが、クッションを抱き締めたまま車外に出てしまった私からクッションを引っこ抜き、助手席にぽんと軽く放り投げる。
「見て回ろうよ」
「……うん」
大川さんの少し照れくさそうな眩しい笑顔を見上げて笑顔を返すと、大川さんの顔に大きな笑みが広がった。
家では気が休まることがなく、外へと逃げた弟。その弟を受け入れてくれた親子の存在は、本来は感謝こそすれ罵倒して追い出すなど言語道断だ。
だけど、母親はそれを当然だと言わんばかりにやった。
告別式に参列していた他の人間に、まるであの子を唆したのはこいつらで、悪いのは私ではないと訴えているかの様に。
あの瞬間、生まれてからずっと母親を妄信的に信じていた何かが、音を立てて崩れていったと大川さんは言った。
そして自問自答したのだという。本当に医者になりたいのかと。一体誰の為に弟も青春もなくしてまでこの道を貫く必要があるのかと。
得た結論は、自分の子供を道具としてしか見ていない母親の為に費やしたこれまでの十七年間は無駄だった、ということだった。
医者になれと言われたから、用意された道を何も疑わずに辿っていた。だけど本当は、他に道はあるんじゃないか。
夢から覚めた様な感覚と共に、大川さんは自分の置かれた境遇や家族を客観的に見ることが出来る様になっていた。
あの母親に言っても無駄だ。大川さんはそう悟ると、高校受験が控えている下の弟にべったりとくっついている母親の監視の目を潜り抜け、父親に話をしにいった。
医者になりたいと思わない。自分も死んだ弟の様に、自分の道を自分で探り当てていきたい。
そう告げられた父親は、暫く考え込んでいた様子だったけど、やがて頷くと大川さんの頭をぽんと大きな手で撫でてくれたんだそうだ。
好きにしていいと。
だけど、と付け加えられる。
家からは出ていって、母親の視界に入らない様にしてくれ、と頼まれた。父親が考えていたよりも遥かに、あの母親は弱かったから。
自分が育て上げたものに自我があることを理解せず、自分の思い通りに育たないと失敗したと思い今度こそ壊れるから、道を違えて充実した姿を見せないでほしいと。
事実上、母親との絶縁宣言だった。
大川さんは、有名大の経済学部に進路を変更した。進路変更に伴い、今住んでいるマンションを父が購入し、大川さんは高校二年からずっとひとりで暮らしている。引っ越したくても簡単に引っ越せない理由がそこにあった訳だ。
今でも、父親には定期的に連絡を入れているらしい。弟は無事医大を卒業し、国家試験もパスした後、臨床研修センターで日々医師になる勉強をしているそうだ。大学病院を経験した暁には、いつか父親の医院を継ぐことになると、最後に連絡を取った時に大川さんを安心させる様に報告してくれたという。
そして例の友人と出会ったのは、進路を変更したこの時期だったそうだ。
「塾を近くに変えたら、そこで一緒になった人がその友人でね。……あっ出口もうすぐだ!」
「あ、ここね!」
「うん。ちょっと集中しないと迷子になっちゃいそう」
大川さんは、あは、と笑った後、真剣な顔でナビと前方を見比べ始める。
「真面目な顔に見えるかもしれないけど、結構焦ってるから」
ボソリとそう言った大川さんの言葉が可笑しくてその姿が可愛くて、私は思わず吹き出した。
「私も一緒にナビするから! ……ええと、出口……あ、これこれ!」
「大丈夫? あ、本当だ書いてある!」
「あはは、信用して、ふふ」
「だから焦ってるんだってば、あはは」
出口を降りるとそこは勿論ふたりとも通ったことのない市街地で、ナビがあるにも関わらず間違った道を曲がったりしている内に、大川さんの友人のことは今は無理に聞くことはないかと思えてきた。
これから少しずつ、お互いのことをもっと深く知っていけばいいじゃないか。
今日はこの後、ふたりで過ごす時間を楽しんで何がいけないんだろう。
大川さんが話すなら、勿論聞こう。だけど、大川さんが話そうとしないなら、無理に話題を振ることはない。
そう結論付けると、私はこれまでの話から意識を意図的に切り替え、目的地までのナビ役に全力投球したのだった。
◇
散々迷って同じ道を何度も通ったりしたけど、ドライブインシアターの会場に何とか辿り着く。
それは湖畔の元は広い駐車場と思われる空間で、入って一番奥に大きなスクリーンが設置されていた。野外ライブなどで使われていそうなスクリーンに見える。案外同じ物かもしれなかった。あそこにプロジェクターで映像を投影するんだろう。
「思ってたよりも大きいなあ」
「あれなら前に車がいても観られるね」
大川さんが入場口のおじさんにチケットを見せると、あれこれと説明を受け始める。会話があまり聞き取れないから、後で大川さんに尋ねようと思いその場は静かに待機した。
説明が終わったのか、大川さんが私を振り返って微笑む。
「順番に駐車するんだって。行ってみよう」
「うん」
窓を閉めると、大川さんは車を再び発進させた。芝生と土が半々になっている乾いた地面の上を、ガタガタ揺られながら進んでいく。
スクリーンの近くには先に来ていた車が既に何十台も駐車していて、皆スクリーンの方を向いていた。よく見ると地面に運動場で使う石灰の様なもので線が引いてあり、そこに駐車してくれということらしい。
前方にいた関係者であろう中年男性に誘導され、前から詰める形で駐車する。
まだ早い方なのか、それともそんなにお客さんが来ないものなのか、場所はかなり前方でスクリーンが近い。前屈みになって見上げないといけなさそうだ。
「実は、いい物を持ってきたんだ」
「いい物?」
「うん。待ってて」
大川さんはそう言うと車から降り、トランクを開ける。ビニール袋のガサガサという音がしたかと思うと、今度はパンパンと何かを叩く音が聞こえ始めた。なんだろう。
やがて大川さんが戻ってくる。その手には、大きな丸いクッションをふたつ抱えていた。
「これをこうして見たらいいんじゃないかなって思って」
運転席に座った大川さんは、ひとつを私に手渡す。ビーズクッションだった。残っていた方のクッションをぎゅっと抱き締め、前屈みになる。
「なかなかいいよ。月島さんも是非」
「あ、うん」
大川さんと同じ様にクッションを胸の前で抱き締めると、大きくて顔の半分が隠れてしまった。
「あはは、月島さんが埋もれちゃった」
笑顔の大川さんの手が、私の顔のすぐ近くのクッションを平たくしようと軽く叩く。
すると突然、手の動きが止まった。どうしたのかと思い横目で大川さんを見る。
大川さんが、熱の籠もった目で私をじっと見ていた。私と目が合うと、慌てた様に目を泳がせつつ、運転席のドアを開けてクッションを座席に置く。
「――あっ、そ、外見て回ろうか!」
「は、はい!」
心臓が止まるかと思った。あんな熱量で見られたことなど、これまであっただろうか。
エンジンが切られ、運転席のドアが閉じられた。大川さんがいなくなった空間で、はあー、と小さな深呼吸をする。
多分これは、気の所為じゃない。大川さんはきっと、かなり私のことを好んでくれていて、そして私も大川さんのことを――。
開けようと手を伸ばしていた助手席のドアが、外から開かれた。サア、と思ったよりも涼しい湖の湿気が混じった風が、私の前髪を掻き上げる。
すると、大川さんの右手がスッと差し出された。
「あの……地面、結構でこぼこだから」
手を繋ごうと言われているのに気付くと、全身が一瞬でカアッと熱くなる。
――でも、その手を掴みたい。
どういう表情をしていいか分からず俯きながらも、大川さんの手を取った。
「あは、クッションは置いていっていいよ」
「あ」
大川さんが、クッションを抱き締めたまま車外に出てしまった私からクッションを引っこ抜き、助手席にぽんと軽く放り投げる。
「見て回ろうよ」
「……うん」
大川さんの少し照れくさそうな眩しい笑顔を見上げて笑顔を返すと、大川さんの顔に大きな笑みが広がった。
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