生意気従者とマグナム令嬢

ミドリ

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50 勝利の女神

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 領主城に近付くにつれ、物々しい雰囲気が漂い始めた。

 マーリカとキラが乗る馬が辿る街道の先に見えるのは、灰色のずんぐりとした要塞の様な城だ。あれが領主城だろう。王都の王城の様なきらびやかさはなく、如何にも国境を守りますといった雰囲気を持つ城だ。

 城の向こう側には鬱蒼と生い茂る森があり、森の手前には兵が布陣している様だ。時折陽光に煌めくのは、鎧か盾かと思われた。

 城の手前には城下町が広がっているが、阻塞そそくでぐるりと囲まれており、のどかさからは程遠い。阻塞の周りには兵が巡回している姿も遠目で確認出来、領主城からは兵馬が忙しなく出入りしているのも見えた。

「あれが領主城です」

 マーリカは、無言で小さく頷いた。広大な森からは、所々煙が上がっている。つい数ヶ月前に巨大な黒竜と対峙したとはいえ、こういった雰囲気に慣れている訳ではない。

 ごくりと唾を呑み込みながら見守っていると、時折森の中から鬨の声や断末魔の様な叫び声が聞こえてきた。現在も戦闘中なのだ。

「あれは……」

 キラの声からは、余裕が失われている様に思えた。平穏な頃のここの光景をよく知るキラだ。今が常態ではないと、視覚で嫌でも伝わるのだろう。マーリカとて、ムーンシュタイナー領に黒竜が落ちてきた時は焦りに焦った。なんと声を掛けていいものやら分からず、マーリカは口をぐっと噛み締めたまま黙り込む。

 キラが、マーリカの耳元に口を寄せた。

「お嬢、少し走らせます」
「分かりました」

 キラはマーリカの腰をグイ、と引き寄せると、「ハッ!」という掛け声と共に馬が駆け始める。

 馬を暫く走らせると、やがて大きく開かれた城門へと辿り着いた。門に詰めていた鎧を着た兵士が、通ろうとしていたキラたちの前に槍を突き出し馬を止める。

「待て! 城は現在軍事作業中で入城は許可出来ない!」

 それに対し、キラは涼やかな目で馬上から兵士を見下ろした。

「……そんなに見た目が変わりましたかね?」

 この問いは、マーリカに対してのものだろう。マーリカはキラを振り返ると、きちんと答えた。

「三年ぶりのご帰還ですものね。背も高くなり逞しくなられましたから、メイテール軍の兵士の方がキーラム様を見間違うのも仕方ないかと」

 すると、マーリカの言葉を聞いていた兵士が、笑ってしまうほどの勢いで姿勢を正す。

「その銀髪……青い目! た、確かにキーラム様でしたあっ! 大変失礼致しました!」

 兵士は慌てた様子で槍を立てると、キラは「ご苦労様」と労いの言葉を掛けながら馬を前に進めた。石造りの城門を潜ると、明るい中庭が広がっている。そこにはずらりと天幕が張られており、怪我人と思わしき兵士たちが治療されたり寝かされていた。白い外套を羽織って走り回っているのは、治療魔法師だろう。

 芝生の上に敷かれた布の上には、布が掛けられた足が何本も並んでいる。ぴくりとも動かない意味に気付いたマーリカは、目を逸らすことも出来ず、ただ凝視していた。

 同時に思う。あの時水魔法で黒竜を退治出来なかったら、ムーンシュタイナー領でも同じ光景を目にしていたのかもしれないのだと。

 ムーンシュタイナー領で起きたことは、不幸中の幸いだった。領土は焼けた後に水浸しになってしまったが、誰ひとり死ななかった。あれは本当に奇跡だったのだと、この光景を見て思う。

 兵士や治療魔法師たちがこちらの姿に気付いた。キラが後ろでひとつに束ねていた銀髪を解くと、日光を浴び白銀に輝くその色を見た兵士たちが、次々に膝をつく。

「キーラム様だ……!」
「精霊の御子、キーラム様だ!」
「救世主が帰還された! これで我々の勝利も決まった様なものだぞ!」

 精霊の御子とは凄い呼び名だなと思ったが、軽口を叩ける様な状況ではなかった。

 キラが片手を掲げて兵士たちに応えると、兵士たちは歓声を上げる。それまで寝ていた兵士たちも起き上がると、「キーラム様!」「御子様!」とキラを呼び始めた。

 士気とはこういう風に上がるものなのか。たったひとりがそこにいるだけで、怪我をしていた兵士が起き上がる。

 求心力のある象徴が指揮官となる。それだけで効果は高まり、更にその人物が魔力と武力に長けた人物であるならば、なおさら頼もしい。

 一気に、キラが遠くにいってしまった様に感じた。

 だが、これにも慣れなければならない。キラにおんぶに抱っこの時間は、もう終わったのだから。

 城の前に馬を止めると、まず最初にキラが降り、次いでキラが差し出した手に掴まってマーリカが降りる。駆け寄ってきた馬丁に手綱を手渡すと、キラとマーリカは二人がかりで馬の背に括り付けられていた荷物を降ろし始めた。その中には、今回一番大事なもの――魔魚の核が入った瓶もある。

 マーリカはしっかりと瓶を腕に抱いた。これがなければ、マーリカはただの役立たずだ。これがあるからこそ、マーリカはキラの役に立てる。

「――キラ!」

 城の中から、背の高い栗色の髪の男性が飛び出してきた。がっちりとした武人の体型をしており、顔立ちはユーリスよりもやや強面だ。

 迷いも見せずに真っ直ぐにキラの元まで駆けてくると、「ああ……っ!」と声に涙を滲ませながら、逞しい腕でキラを力一杯抱き締めた。

「キラ、すまない、許してくれ……!」
「……兄様」

 やはりキラの一番上の兄らしい。キラが声を掛けると、ぐず、と鼻水をすすりながら、顔を上げる。

 キラは相変わらず涼しげな表情のままなのが、対照的だった。

「すまないというのがどのことを指すのかは分かりませんが、今回のことなのであれば、俺は自分の為にここに来たので謝る必要はありません」
「お前の為……?」

 ええ、とキラは頷く。

「爵位が再び必要になったので、取り戻しにきました」
「……どういうことだ?」

 尋ねながら、思ったよりも可愛らしい仕草で首を傾げた。マーリカも、内心「どういうことだろう?」と首を傾げている。

 キラはにこりともせずに続ける。

「後ほど詳しく話をさせて下さい」
「うん……だが、すまないというのは三年前の俺の咄嗟の判断の所為で、キラが苦労したのではというのもあって」
「それに関しては」

 キラは彼の言葉を遮ると、淡々と伝えた。

「……心から感謝してますよ」
「は?」

 今度こそ何を言われてるのか分からなくなったのか、更に大きく首を傾げる。するとようやく、黒い小粒の石が物が詰まった瓶を胸に抱え、馬の横に突っ立ったままのマーリカの存在に気付いた。ハッとした表情には、一体どういう意味があるのか。

 キラを掴んでいた手をゆっくりと降ろすと、実に不思議そうに小さく会釈する。それに対しマーリカは、深々とお辞儀をした。

「君は……」
「マーリカ・ムーンシュタイナーと申します」
「おお! 君が噂の!」
「う、噂?」

 直後、キラの兄はぴょんと大きな身体を跳ねさせると、マーリカの前にずんずんと進んでいく。すぐ目の前で立ち止まると、上からジロジロとマーリカを眺め始めた。ユーリスといい、キラの兄はやけに距離感が近い気がする。マーリカが顔を若干引き攣らせていると、キラがサッとキラの兄とマーリカの間に身体を滑り込ませ、マーリカを背に庇った。

「兄様、近いです」
「あ、ごめんごめん」

 だが、とキラの兄はキラを見ると、問いかける。

「見せたいのは分かるが、こんな所に連れてくるべき人ではないだろう。危険すぎる」

 見せたい? 一体どういうことか。尋ねてみたいが、口を挟める雰囲気でもない為沈黙を貫いた。

 それに対し、キラは相変わらず澄ました顔のまま、ツンと答える。

「この方は、今回の討伐に欠かせない、我が軍に勝利をもたらす勝利の女神となるお方です。俺のお嬢を見くびらないでいただきたい」
「は? 勝利の女神? 俺……俺の……お、おお……」

 何を考えたのか、キラの兄は顎をさすりながらにやけ始める。暫く交互にキラとマーリカを見ていたが、やがてひとつ頷くと「話は中で聞こう」と城の中へ先導し始めたのだった。
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