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17 護衛
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グラグラ揺れながら去っていくシヴァの船影を、マーリカはしっかりと顔を上げて見送っていた。
シヴァの姿など出来ればもう二度と見たくないくらい嫌いだったが、そうでもしていないと心臓が保たなかったからだ。
何故なら。
「お嬢、もう少し俺の方に寄って下さい。重心がこっちに傾いてるから危険ですよ」
キラはマーリカの肩を掴むと、グイッと引き寄せる。するとキラの肩にマーリカの頭が勢いよくこてんと乗ってしまい、現在マーリカの心臓は爆走の真っ最中だった。
褐色の肌を持つ黒髪の男がこちらの木船に乗り込んで来た所為で、キラはマーリカの隣に座る以外の選択肢がなくなっていた。木船は大人二人が並んで座ってギリギリの幅しかなく、互いの足がくっつき合ってしまっている状態なのだ。
「で、でも」
マーリカが体重を預けていないことに気づいたのか、キラがしれっと提案する。
「それか、俺の足の間に来ましょうか? その方が重心はぶれないかも。じゃあ俺が一旦お嬢を抱えて……」
「よ、寄るから!」
ブツブツ言い始めたので、マーリカは抵抗するのを即座に止めて体重をキラに預けた。そんなマーリカの上半身にキラが腕を回し、抱き抱える。
「お嬢大丈夫です?」
「ふえっ!? え、ええ!」
「……ふっ」
マーリカは心の中でキャーキャー叫びまくっていたが、キラは果たして気付いているのか否か。キラに寄りかかった為、黒髪の男の後ろにシヴァの船が隠れてしまった。マーリカは心の平穏を保つ為、今度は男を見ることにした。
端正な顔は至近距離で見るとあまり心臓にいいものではない、とマーリカはここ最近学んだばかりだった。キラがいつも仄かに柑橘系のいい香りを漂わせていることも、心臓破壊の道への後押しとなっている。
早死したくなくば離れるか慣れるかしかないが、魔具制作を続ける以上密着は避けられない。年末に納税が出来る頃には、もしかしたら心臓発作で死んでいるかもしれない。マーリカは真剣に心配していた。
男は全体的にがっちりとした体型で、隆々とした筋肉が緩めの服の上から見ても分かる。何か武術でも嗜んでいるのかもしれない。緩やかにうねったツヤのある黒髪は乱雑に後ろに束ねられており、細面のキラと違い顔の骨格もしっかりとして、顎などは筋張った肉もひと千切り出来そうだ。
マーリカの視線に気付くと、男は紫色の瞳を向け、陽気な笑顔を向ける。笑うと男臭いものから一気にやんちゃな少年といった雰囲気に変わるのを見て、初対面ではあるがそこまで危なくない人なのかもしれない、とマーリカは思った。
人間の直感というのは結構当たるので、第一印象に違和感を覚えたらその感覚を疑うな、とは父ムーンシュタイナー卿の教えである。胡散臭い儲け話を持ってくる人間を見て鍛えた観察眼らしい。
ここ数年はキラにおんぶに抱っこのムーンシュタイナー卿ではあったが、それ以前からも一応赤字は出さずに領地経営をしてきている。なので、全くの無能領主ではない、というのが領民の間での評判だった。何だかんだ言って、愛されている領主なのである。若干、いや大分頼りなくはあったが。
「突然乗り込んできてしまい、申し訳なく思う。その――ムーンシュタイナー領のご令嬢……だろう?」
船を漕ぐ手は止めないまま、男が済まなそうな笑顔で頭を下げた。先程までのシヴァに対する態度とは違い、口調も心なしか丁寧になっている。
「いえ、お陰で助かりました。ありがとうございます」
「助かった?」
男は片眉を上げると、マーリカの言葉の続きを待った。
「ええと……なんとお伝えしたらいいのか」
言い寄られていると言えば、自惚れだと取られなくもない。シヴァは上から目線で社交界デビューの時にエスコートの大任をやってやってもいいぞとは言っていたが、これまで直接的な言葉を言われたことはなかった。
少しでもそうと受け取れる言葉を口にした途端、ムーンシュタイナー卿とキラが即座に正式に断りを入れる可能性が大なことを、シヴァなりに察しているのかもしれない。
領主であるシヴァの父親にしても、それとなく匂わすだけで具体的なことは何も言ってこなかった。あの口ひげ領主の場合は、息子の嫁ぎ先の心配というよりも隣領の土地を奪いたいというのが本心かもしれないが。
そんな訳でマーリカが言い淀んでいると、キラが吐き捨てる様にさらりと言ってしまった。
「あのシヴァ・ナイワールという男は、こちらが気のない態度を見せつけても一向に引かない大馬鹿なんだ」
「あー」
男が残念そうに頷く。シヴァの話の伝わらなさ具合は、数日の間でも十分出来たのだろう。不運だったと言う他、言葉はない。
「うちの領土が水没してからは現れなかったんだが、まさか船を作っていたとはな」
キラが呆れ果てた表情でぼやくと、男が「領主である父親が金を出し惜しみしてなかなか作業が進まなかったと言っていたぞ」と教えてくれた。ナイワール領領主にとって、水没した隣領は今後不良債権としかならないと判断したのだろう。
「キラ! ということは、縁が完全に切れるのも時間の問題ってことかしら!」
マーリカが目を期待に輝かせながら、キラに尋ねた。キラはそんなマーリカの肩をポンポンと軽く叩くと、低い声を出す。
「いえ……これまではそうだったかもしれませんが、魔具販売が軌道に乗ったら、あのシヴァの親のことですから金のなる木だと思いもっと強引な手に出てくるかもしれません」
「ひ……っ」
マーリカが顔を思い切り引きつらせると、キラは見えなくなったシヴァを睨みつける様に水面に視線を移した。
「なので、これからは一分の隙も見せずに対処していかないと」
「キラ……! 私嫌よ、アレは嫌!」
心底嫌なのでマーリカが泣きそうな顔で訴えると、キラは安心させる為か、今度はマーリカの頭を優しく撫で始める。
どう考えても男爵令嬢とその従者の距離ではないのだが、ここのところマーリカの距離感は魔具制作の所為で狂っているので、素直に受け入れてしまっていた。
男は「おや」という目をしたが、特に何も言わないことにしたらしい。口を閉じたまま、目だけで二人の会話を追う。
「お嬢、俺が絶対阻止しますから。万が一にもあっちの手の者が入り込まない様に、これからはお嬢から絶対離れない様にしますから。ね?」
「キラ……でも、キラは書類仕事も大量にあるじゃないの」
「あれ基本全部ムーンシュタイナー卿の仕事なんですけどね」
少なくとも従者の仕事ではない。キラが目元を緩めると、マーリカはホッとした様に肩の力を抜いた。
そこへ。
「あのー」
「え?」
「ん?」
すっかり二人の世界に入り込んでいたマーリカとキラに向かって、男が大きな身体を縮こまらせながら小さく挙手する。
「俺には、魔魚料理を堪能し尽くしたいって野望がある。だから当面、ムーンシュタイナー領にお世話になろうと思っていたんだ」
「……それで?」
キラが、優しさの欠片もない表情と声で尋ねた。
「だからええと、キラ殿が一緒にいられない時間、俺が護衛になる。だから宿を提供してくれないかな?」
軍にいたこともあると言われ、キラが考え込む。静かに微笑む男の目をじっと見て、逸らさなかった。やがて、フウ、と小さく息を吐く。
「……少しでも妖しい素振りを見せたら、追い出す」
実際問題、武芸を嗜んでいる者はキラ以外いない。腕の確かな味方は、多ければ多いほどよかった。
男が、安堵の明るい笑顔に変わる。
「お! ありがとう、キラ殿!」
「……キラでいい」
キラが素っ気なく答えるも、男は笑顔のまま手をぬっと差し出してきた。それを見て、キラはゆっくりと手を掴む。
「俺の名はサイファだ。隣のゴルゴア出身の流れの傭兵さ。傭兵っつっても、金が貯まったらすぐに辞めてご当地名産を食いまくるのが目的なんだが」
「傭兵……」
「そ。まあ強いと思うぞー?」
握手した手を離しながら、あはは、と男が笑った。よく笑う男だ。ここでようやく、キラの口元が緩んだ。
「それは頼もしい。細かい契約は戻ってから決めようか」
「おう! 宜しく頼むな!」
「宜しくお願い致します」
マーリカがぺこりと頭を下げると、サイファは「へへっ」と照れくさそうにはにかんだのだった。
シヴァの姿など出来ればもう二度と見たくないくらい嫌いだったが、そうでもしていないと心臓が保たなかったからだ。
何故なら。
「お嬢、もう少し俺の方に寄って下さい。重心がこっちに傾いてるから危険ですよ」
キラはマーリカの肩を掴むと、グイッと引き寄せる。するとキラの肩にマーリカの頭が勢いよくこてんと乗ってしまい、現在マーリカの心臓は爆走の真っ最中だった。
褐色の肌を持つ黒髪の男がこちらの木船に乗り込んで来た所為で、キラはマーリカの隣に座る以外の選択肢がなくなっていた。木船は大人二人が並んで座ってギリギリの幅しかなく、互いの足がくっつき合ってしまっている状態なのだ。
「で、でも」
マーリカが体重を預けていないことに気づいたのか、キラがしれっと提案する。
「それか、俺の足の間に来ましょうか? その方が重心はぶれないかも。じゃあ俺が一旦お嬢を抱えて……」
「よ、寄るから!」
ブツブツ言い始めたので、マーリカは抵抗するのを即座に止めて体重をキラに預けた。そんなマーリカの上半身にキラが腕を回し、抱き抱える。
「お嬢大丈夫です?」
「ふえっ!? え、ええ!」
「……ふっ」
マーリカは心の中でキャーキャー叫びまくっていたが、キラは果たして気付いているのか否か。キラに寄りかかった為、黒髪の男の後ろにシヴァの船が隠れてしまった。マーリカは心の平穏を保つ為、今度は男を見ることにした。
端正な顔は至近距離で見るとあまり心臓にいいものではない、とマーリカはここ最近学んだばかりだった。キラがいつも仄かに柑橘系のいい香りを漂わせていることも、心臓破壊の道への後押しとなっている。
早死したくなくば離れるか慣れるかしかないが、魔具制作を続ける以上密着は避けられない。年末に納税が出来る頃には、もしかしたら心臓発作で死んでいるかもしれない。マーリカは真剣に心配していた。
男は全体的にがっちりとした体型で、隆々とした筋肉が緩めの服の上から見ても分かる。何か武術でも嗜んでいるのかもしれない。緩やかにうねったツヤのある黒髪は乱雑に後ろに束ねられており、細面のキラと違い顔の骨格もしっかりとして、顎などは筋張った肉もひと千切り出来そうだ。
マーリカの視線に気付くと、男は紫色の瞳を向け、陽気な笑顔を向ける。笑うと男臭いものから一気にやんちゃな少年といった雰囲気に変わるのを見て、初対面ではあるがそこまで危なくない人なのかもしれない、とマーリカは思った。
人間の直感というのは結構当たるので、第一印象に違和感を覚えたらその感覚を疑うな、とは父ムーンシュタイナー卿の教えである。胡散臭い儲け話を持ってくる人間を見て鍛えた観察眼らしい。
ここ数年はキラにおんぶに抱っこのムーンシュタイナー卿ではあったが、それ以前からも一応赤字は出さずに領地経営をしてきている。なので、全くの無能領主ではない、というのが領民の間での評判だった。何だかんだ言って、愛されている領主なのである。若干、いや大分頼りなくはあったが。
「突然乗り込んできてしまい、申し訳なく思う。その――ムーンシュタイナー領のご令嬢……だろう?」
船を漕ぐ手は止めないまま、男が済まなそうな笑顔で頭を下げた。先程までのシヴァに対する態度とは違い、口調も心なしか丁寧になっている。
「いえ、お陰で助かりました。ありがとうございます」
「助かった?」
男は片眉を上げると、マーリカの言葉の続きを待った。
「ええと……なんとお伝えしたらいいのか」
言い寄られていると言えば、自惚れだと取られなくもない。シヴァは上から目線で社交界デビューの時にエスコートの大任をやってやってもいいぞとは言っていたが、これまで直接的な言葉を言われたことはなかった。
少しでもそうと受け取れる言葉を口にした途端、ムーンシュタイナー卿とキラが即座に正式に断りを入れる可能性が大なことを、シヴァなりに察しているのかもしれない。
領主であるシヴァの父親にしても、それとなく匂わすだけで具体的なことは何も言ってこなかった。あの口ひげ領主の場合は、息子の嫁ぎ先の心配というよりも隣領の土地を奪いたいというのが本心かもしれないが。
そんな訳でマーリカが言い淀んでいると、キラが吐き捨てる様にさらりと言ってしまった。
「あのシヴァ・ナイワールという男は、こちらが気のない態度を見せつけても一向に引かない大馬鹿なんだ」
「あー」
男が残念そうに頷く。シヴァの話の伝わらなさ具合は、数日の間でも十分出来たのだろう。不運だったと言う他、言葉はない。
「うちの領土が水没してからは現れなかったんだが、まさか船を作っていたとはな」
キラが呆れ果てた表情でぼやくと、男が「領主である父親が金を出し惜しみしてなかなか作業が進まなかったと言っていたぞ」と教えてくれた。ナイワール領領主にとって、水没した隣領は今後不良債権としかならないと判断したのだろう。
「キラ! ということは、縁が完全に切れるのも時間の問題ってことかしら!」
マーリカが目を期待に輝かせながら、キラに尋ねた。キラはそんなマーリカの肩をポンポンと軽く叩くと、低い声を出す。
「いえ……これまではそうだったかもしれませんが、魔具販売が軌道に乗ったら、あのシヴァの親のことですから金のなる木だと思いもっと強引な手に出てくるかもしれません」
「ひ……っ」
マーリカが顔を思い切り引きつらせると、キラは見えなくなったシヴァを睨みつける様に水面に視線を移した。
「なので、これからは一分の隙も見せずに対処していかないと」
「キラ……! 私嫌よ、アレは嫌!」
心底嫌なのでマーリカが泣きそうな顔で訴えると、キラは安心させる為か、今度はマーリカの頭を優しく撫で始める。
どう考えても男爵令嬢とその従者の距離ではないのだが、ここのところマーリカの距離感は魔具制作の所為で狂っているので、素直に受け入れてしまっていた。
男は「おや」という目をしたが、特に何も言わないことにしたらしい。口を閉じたまま、目だけで二人の会話を追う。
「お嬢、俺が絶対阻止しますから。万が一にもあっちの手の者が入り込まない様に、これからはお嬢から絶対離れない様にしますから。ね?」
「キラ……でも、キラは書類仕事も大量にあるじゃないの」
「あれ基本全部ムーンシュタイナー卿の仕事なんですけどね」
少なくとも従者の仕事ではない。キラが目元を緩めると、マーリカはホッとした様に肩の力を抜いた。
そこへ。
「あのー」
「え?」
「ん?」
すっかり二人の世界に入り込んでいたマーリカとキラに向かって、男が大きな身体を縮こまらせながら小さく挙手する。
「俺には、魔魚料理を堪能し尽くしたいって野望がある。だから当面、ムーンシュタイナー領にお世話になろうと思っていたんだ」
「……それで?」
キラが、優しさの欠片もない表情と声で尋ねた。
「だからええと、キラ殿が一緒にいられない時間、俺が護衛になる。だから宿を提供してくれないかな?」
軍にいたこともあると言われ、キラが考え込む。静かに微笑む男の目をじっと見て、逸らさなかった。やがて、フウ、と小さく息を吐く。
「……少しでも妖しい素振りを見せたら、追い出す」
実際問題、武芸を嗜んでいる者はキラ以外いない。腕の確かな味方は、多ければ多いほどよかった。
男が、安堵の明るい笑顔に変わる。
「お! ありがとう、キラ殿!」
「……キラでいい」
キラが素っ気なく答えるも、男は笑顔のまま手をぬっと差し出してきた。それを見て、キラはゆっくりと手を掴む。
「俺の名はサイファだ。隣のゴルゴア出身の流れの傭兵さ。傭兵っつっても、金が貯まったらすぐに辞めてご当地名産を食いまくるのが目的なんだが」
「傭兵……」
「そ。まあ強いと思うぞー?」
握手した手を離しながら、あはは、と男が笑った。よく笑う男だ。ここでようやく、キラの口元が緩んだ。
「それは頼もしい。細かい契約は戻ってから決めようか」
「おう! 宜しく頼むな!」
「宜しくお願い致します」
マーリカがぺこりと頭を下げると、サイファは「へへっ」と照れくさそうにはにかんだのだった。
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