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第十三章 嵐の前の

86.たまにはデートだってしてみたい

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 蓮は不安げに旅立っていったが、離れるのはたったの二日だ。亮太は今夜も仕事なのでコウとみずちは留守番。翌日寝て起きてまた仕事に行き、次の日に起きたらもう退治の日を迎える。亮太達にはめを外す時間などないに等しかった。

 今回はみずちも一緒に居るが、もうコウと手を繋ごうがくっつこうが変化しない。堂々といちゃつけるこの幸せを亮太は目一杯噛み締めていた。さすがに同じ布団にコウと入る時はポーチに入ってもらったが。それに前回は八岐大蛇退治に行く前の時以来だ。おっさんとしては頻度は高いのかもしれないが、まだ付き合いたてほやほやである。

 普段制限されている分機会があれば飛びついてしまうのは、蓮の言うところのはめを外したことにはならないと思いたい。いいじゃないか少しくらい。そこ位は勘弁してもらいたかった。

 たまにはデートらしいことだってしたいので、昼飯は外食にしてみた。アキラと外食に行くと金がいくらあっても足りないのでここのところ外食には行けていなかったが、コウとならば問題ない。北口にある生パスタが美味しいイタリアンに入ることにした。出てくるまで時間がかかるが、特段焦る必要もない。むしろ普段あまり向き合って座ることなどないコウの顔を正面から思う存分眺めることが出来、亮太の頬は緩みっぱなしだった。

 話題は尽きない。今亮太が描いている狗神の色彩を表現した絵についてや、コウがここに来るまでどんな風に過ごしてきたのか、コウの両親はどんな人達なのか。家族愛に飢えていた亮太にとって、新しく家族となる人々の話は聞くだけで夢の様だった。

 話によると、コウの父親は陶芸家で母親は書道家という芸術一家だそうだ。それぞれ教室を持ち、のんびりとした家風とのことだった。それ故にあのリキもあのままでここまで育ったのだろう。
 
「あの人達も亮太なら気にいると思う」
「その、猿田毘古神サルタビコノカミのことはコウのご両親は何て?」

 コウが実に嫌そうな顔をして首を横に振った。

「無理、だそうだ」

 亮太が首を傾げる。コウファミリー全員に嫌われるとはなかなかのものである。

「一体どんな奴なんだ?」

 婚約破棄をこれから持ちかけるとはいえ今はそいつが許嫁になっている。どんな奴かは事前に知りたかった。

 コウがうーん、と悩む。その姿も可愛らしいと思うのはもう病気だろうか。いや、そんなことはない筈だ。正常範囲だろう、きっとそうだ。

「見た目から説明すると、まず角刈り」
「ふんふん?」
「口髭を生やして綺麗に整えるのが趣味」
「ほお」

 角刈りで口髭? 亮太はお札の夏目漱石の姿を思い浮かべる。ちょっと角刈りとは違うかもしれないが。

「筋トレも趣味で、家にダンベルがあるらしい。胸筋と上腕二頭筋に命をかけている」
「ふ、ふうん?」

 夏目漱石ではないかもしれない。亮太は逆三角形のプロレスラーの姿をイメージしてみるがいまいちピンと来ない。

「服装はそうだな、大体いつもピチピチのポロシャツを着ていて、下は大体ジャージだ。シャツの裾はインされている」
「お、おお」

 段々訳が分からなくなってきた。亮太はアンケート用に置いてあったペンと紙ナプキンを取り出すと、言われた通りの姿をざっと描いてみる。するとコウがぷっと笑い出した。

「さすが亮太、似てる」
「顔がまだないぞ」
「ええと、眉毛は太い。鼻は鷲鼻、うんそうそう。目は丸い感じかな? そうそうそれ。口はあまり印象ないな」
「じゃあとりあえず真っ直ぐの線で」
「それでいい。ああ、それ、正にそれ! ふふっ」

 紙ナプキンに描かれた猿田毘古神サルタビコノカミは、何とも言えない雰囲気を持っていた。ひと言で言うと、微妙、である。

「三度の飯より金勘定が好きらしくて、儲けさせてやるからうちの土地を貸し出せと両親にしつこく言い寄るものだから両親が嫌がってな。自然が見える中にある教室がいいんだと言っても通じない」
「あー」

 なかなか凄そうだ。

「父も母も、コウちゃんが嫌ならあんな奴いいんだよって言ってくれてたから今まで何とかなってたんだけど、リキがいなくなってから追い払ってくれる人がいなくなって」
「リキさんが追い払ってたのか?」

 それは意外だ。コウがふ、と優しく笑った。

「リキはすぐ泣くしパニックになると真っ白になって力任せに滅茶苦茶にしたりはするけど」

 うん、分かってはいたがなかなかだ。

「でも、家族を守る時だけは格好いいんだ」

 そう語るコウの表情は優しかった。

「同じ旧家でもあっちの方が市議会議員の家だったりして偉そうにすると、リキが鍛錬用の棒を持ってきてヒュン! と回してから脇に構えて対峙するその瞬間が私は好きで」
「そういやこの間も棒がいいって言ってたもんな」

 その結果の物干し竿だったが、確かに繰り出した技は格好よかったと思う。まあ見てはいなかったが。

「そんなに皆が嫌ならさっさと婚約解消出来なかったのか?」
「どうも父が気弱でね、わーっと言われるとすごすごと戻ってきてしまう」

 それを聞くだけでもなかなか大変そうだ。

「……ご挨拶を済ませたら、先に籍だけ入れるか?」

 コウを守るには、絶対的なものがあった方が良さそうだった。亮太の提案に、コウが目を輝かせる。

「え、いいの?」
「いやそれはこっちの台詞なんだけど」

 花嫁衣装を着たいとか、結婚式をしたいとか色々あるのかなと思うと、籍だけ入れてしまうのはシンプル過ぎるのではとも思う。

 正直亮太はどちらでも構わなかった。ただあちらは旧家だ、手順も色々あるだろうが、その前にまず奪われない様にしなければならない。

「ふふ、嬉しい」

 コウが顔を赤らめた。

「そうやって、私のことを目一杯気遣ってくれる亮太が本当に大好きだ」
「や、気遣いっていうより、ただ俺がコウを奪われたくないのもあるし」

 こんな台詞、蓮やアキラのいる前では絶対に吐けない。それだけでも今日二人で過ごせて良かったと思った。

「明後日にリキさんに会ったら、この辺りの話もきちんとしようか」
「そうだな、リキがちゃんと跡目を継ぐことも、私に亮太という人が出来たことも両親にも言いたい。向こうに行く時は合わせた方がいいしな」
「ああ、そうだな」

 リキも椿をお披露目しなければならない。一緒に赴くのがベストだろう。

 亮太はテーブルの上のコウの手を上からそっと握った。二人の、いや八岐大蛇に対峙する仲間の未来は皆明るい方へと向かっている。


 そう思えた。



 翌朝は起きたら走り込み、汗をさっと流してようやくシャッキリと目覚める。身体を動かさないと気持ちが悪いなんて少し前の亮太だったら考えられなかったが、いつの間にかそうなっていた。

 そして胸の上の八尺瓊勾玉に触れる。

「そういえば、蓮にこれを渡しておけばよかったな」

 アキラがここにいないなら、八岐大蛇の瘴気も漏れない。亮太は勾玉を身に付けるのが余りにも日常になり過ぎて、そこまで考えが至らなかった。

「明日、少し早めに出発していいか?」
「うん。あ、でもちゃんと寝ないと駄目だからな」
「分かってるよ」

 多分何でもない。きっと亮太の心配のし過ぎなだけだ。だが今ふと思いついてしまった考えに、亮太の背中がヒヤリとする。

 狗神はアキラにくっついて寝れば大丈夫な筈だ。だが、絶食一日目の夜のアキラの背中からは、普段以上の瘴気が滲み出しているのではないだろうか。

 アキラは大丈夫だろう、しかしアキラに合わせて絶食をしている狗神は平気なのだろうか。

 一日程度は二人とも大丈夫な気がした。だが二日目はどうだろうか?

 以前瘴気に当たった時に見せた、蓮の蒼白になった白い顔が目の前をチラチラする。またあんな顔をしているのではないか。

 蓮まで一緒にわざわざ弱る様なことは止めた方が良かったのではないか?


 心配だった。

「レンが心配なんだ、だから戦いの前にこれを一度渡したい」
「分かった」

 亮太が勾玉を握ると、コウも真面目な顔で頷いたのだった。
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