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第十二章 いざ退治

78.須佐之男命の得物

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 リキに支えられつつ椿がふらふらと台所に入ってきた。まだ少し顔色が悪い。

「レン、水をお願い出来る?」
「畏まりました」

 蓮がさっとグラスに水を注ぎリキに渡した。椿は身体をリキに預けてくい、と飲み干した。この二人の距離感もよく分からない。リキは甲斐甲斐しく彼女の様に面倒を見るし、椿は彼氏の様にリキをあれこれを引き受けようとしている。謎だった。

 偽の嫁候補として乗り込んで、そのまま結婚させられる可能性は疑わないのだろうか。いくら見たままを信じてしまう亮太とて、その行為の危険性は察することは出来た。

 正直リキは面倒臭い。だから出来れば彼を上手く操縦出来る椿に傍に居てもらい、猿田毘古神サルタビコノカミとコウの許嫁の関係解消を進めてもらいたいのが本音だ。

 だが亮太がそう望むからといって、椿を望まぬ方向へ引き寄せるのはさすがに気が引けた。そして多分だが椿は殆ど何も考えていない。

 もう少し椿という人間を知ってから、一度膝を突き合わせて話す必要がありそうだった。コウもきっと、人の人生を無理矢理変えてまで何とかしてもらおうなどとは思わない。だったら自分達で何とかする、そういう思考になる強さがコウにはあると亮太は思っていた。

 椿が旨そうに水を飲み干した。そしてグゲエ、と大きなゲップをした。

 リキが慌てて背中をさする。

「本当にごめんなさい! つい何も考えずお腹を掴んじゃって」
「う、うん、次から気をつけろよ」

 胃酸が上がって来たのか、椿は苦そうな顔をしていた。

「肉じゃが少し食っとけよ。もう大分柔らかいぞ」

 亮太は小皿にひょいひょいと菜箸で摘んだ野菜を盛り汁を少し注ぎ爪楊枝を突き刺し、それをリキに渡した。ほれ、と顎をくいっとすると、リキがふうふうし始め、椿に食べさせる。

 椿はハフハフ言いながらそれを食べると、嬉しそうに笑った。

「じんわりくるなーこれ」
「レンだけじゃなくて亮太さんもお料理が上手なのね」
「飲食業だからな」
「へえ、何やってんだ?」
「バーの雇われ店長」
「じゃあシェーカーとか振るの? いつか見せてね」

 にこやかに会話が弾む。ついこの間まで、須佐之男命スサノオノミコトとこんな風に過ごすなど思ってもいなかった。人生とは実に読めないものである。

 ひと皿分食べ終わる頃には椿の頬には赤みが差していた。

 豚汁も肉じゃがも出来た。後は鮭を焼くだけだが、これは首退治が終わってからだ。炊き込みご飯はまだ炊けないが、戻って来る頃には炊けているだろう。非常食のチー鱈も完備だ。

 蓮がたすき掛けを解いた。パンッと袖の皺を伸ばし、亮太に向き直った。

「では、始めましょうか」
「そうだな。リキさん、貴方の協力が必要だ。宜しくお願いします」

 亮太は改めて頭を下げた。リキの背中を、椿がポンと軽く叩いた。リキが慌てて姿勢を正す。

「が、頑張ります!」
「よし、偉いぞー」

 椿がリキの頭を背伸びして撫でた。リキがえへ、と椿に笑い返す。

「それで、リキさんは何か武器になる物とかは」
「私は素手でもいいけど、何か棒の一本でもあるともっといいかも?」

 リキがムキッと力こぶを作った。蓮が補足説明をしてくれた。

「リキ様は戦いに備えて日々体術の鍛錬をされておりましたので」
「そうか、そりゃそうか」

 生まれた時から戦うことを定められていたのだ、全くの無計画な訳がなかった。

「棒? 棒ねえ。あ、あれはどうだ?」

 椿が台所の窓の先を指差した。



 アキラが池の飛び石にヒタ、と足を乗せた。冷たいのだろう、白い肌が一瞬で赤くなる。

 蓮が祓詞はらえことばを唱え始め、辺りが薄い結界でもやがかる。椿はバスタオルを持ち待機、コウは八咫鏡を取り出すと口の中で小さく何かを唱え始め、結界内に明かりがこもり始めた。
 だがそのコウの肩は小刻みに震えている。手に持つ八咫鏡もプルプルと震えていた。

「コウちゃん、だって仕方ないでしょう?」

 リキが情けない声を出した。

「コウ、俺だって見ない様にしてるのに」

 亮太がコウにクレームをつけた。一所懸命平常心を保とうとしているのに笑われてしまうと、どうしたってつられてしまう。亮太は人の感情につられやすいのだ、こればかりは仕方がない。

 リキが手に持っているのは、所々が錆びついた物干し竿だった。
 椿がコメントする。

「いやーステンレスな筈なのに錆びるのって何でだろーな?」

 笑わそうとしている訳ではないのは分かる。分かるが、まさか須佐之男命スサノオノミコトが八岐大蛇退治で使う得物が物干し竿などと一体誰が予想したであろうか。

 亮太もとうとう我慢しきれずブフッと吹き出した。

「もう、亮太さんまで!」

 リキが顔を赤くして抗議してきた。勿論リキには何の非もない。分かっている分可笑しくて亮太は声に出して笑い始めた。

 そんな中、アキラはミニ滝の水を被りその場に正座して目を閉じた。

 すると、蓮が非難する様な視線をチラリと寄こした。途端に引っ込む笑い。

「わりい」
「分かれば宜しいのです。いいですか亮太、今日戦う首は今までのよりも固く強いと思って下さい」
「分かってるよ」
「では真面目にやって下さい」

 蓮はいつもいつもクソ真面目だ。こんなんじゃ肩が凝るだろうに。

「真面目にやってるよ。でもさ、身体の力を抜いて待ってねえと疲れちまうぞ。もうちょっと肩の力抜いていこう、な?」
「私は!」

 むきになって言い返そうとする蓮を亮太は手で制した。

「力を抜いて深呼吸しろ。身体が固まると動けねえぞ」
「亮太……」

 これまでの戦いで亮太が学んだこと、それは気持ちに余裕を持たないと駄目だということだった。気持ちが凝り固まると視野がせばまる。勿論亮太だって毎回怖い。

 怖いが、あの色彩は見たい。みずちのもの、狗神のもの、八咫鏡のもの、結界のもの、そして首が霧散する際のものですら、何度だって見たかった。

 あれを見ると、亮太の緊張がふ、と緩んだ。そして亮太を鼓舞するのだ、さあこれからの戦いを楽しめと。
 まるで誰かの手のひらの上で踊らされているのかとも思う。確かそれも仏教、西遊記であったか。走っても走ってもそこは釈迦の手のひらの上。

 だが亮太にとって、そこは提供された戦いの場だった。

 楽しめ、舞え、踊れ。

 光の中でだけ、ただの人間の亮太が神器を持って舞うのを許されるのだ。

「亮太、みずちをそろそろ」
「おお」

 亮太は斜め掛けしていたポーチを外し、ジッパーを開けた。

「コウ、起きてるか?」
「……よく寝たのー」

 まだ少し眠そうな様子のみずちがポーチから顔を出した。亮太の頬が思わず緩む。何故こんなにみずちをひたすら可愛いと思ってしまうのかも正直謎だったが、可愛いものは可愛いのだ、仕方ない。

「おはようコウ」
「亮太だ亮太ー」

 ポーチからするりと出て亮太の手首に巻きつき可愛く首を傾げた。

「もうお時間?」
「ああそうだ、出来そうか?」
「うん、僕もう元気なのー!」
「そうかそうか」

 デレデレしている亮太を見るリキと椿の視線には、こいつ大丈夫かとでも言いたそうなものがあった。この可愛さが分からないとは不幸だと亮太は思った。

「レン、いいぞ」

 蓮が頷きアキラに声をかけた。

「アキラ様、いきましょうか」

 それまで目を閉じていたアキラが薄らと目を開け、半眼になり亮太にはよく理解出来ない難しい方の祓詞を唱え始めた。

 そこに蓮の祓詞が重なり、まるで音楽の様に結界内に浸透する。何とも神秘的で厳かな雰囲気だった。

 少しずつ、アキラの背後の輪郭が霞む。

「コウ、頼む」
「うん、僕は亮太を守るのー」

 本日三度目となるみずちの変化が始まった。少し纏わりつく様な輝きがどんどんと色味を増していき、透き通る水の化身へと変わっていく。

 最後に見た時よりも、遥かに大きくなっていた。

 亮太の隣で祓詞を唱える蓮の目が大きく見開いた。
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