上 下
38 / 100
第六章 白羽の矢

38.止まない雨はない筈だ

しおりを挟む
 代々木公園の門から、人々が頭を庇いながらわらわらと逃げる様に出て来ていた。

 雨足はかなり強くなってきており、公園の駐車場から出てきた車で車道には渋滞が起きている。

「イヌガミ、行くぞ」

 さすがに人の目を気にしたのか、狗神は無言のままただ頷くにとどめた。

 門を過ぎると急斜面となっており、歩道の上を水が川の様に流れてきている。亮太の靴はもうぐっしょりと水を吸い取り、歩く度に靴の中で水がタポタポと音を立てて移動する。子供の頃、長靴に水溜りの水を入れられるだけ入れて歩いた阿呆な記憶が蘇った。そもそも何でわざわざ中に水を入れたのか、我ながら謎だ。

 頂上、という程でもないが、遊歩道に出ると、公園の内部は滝の様な雨が降っており、ゴオオ、と物凄い音を立ててアスファルトの地面に打ち付けられ、跳ね返った水で地面が白く見えた。本当に局地的に降っているのだ。

 目の前には大きな木々が立ち並び、本来であればその奥に芝生の広場が広がっているのが見える筈なのだが、今は殴る様に振り付ける雨の所為で先が全く見通せなかった。

 腕で顔を庇いながら周りを見渡すが、もう殆ど人は残っていない様だ。

「イヌガミ! あいつらがどこにいるか分かるか!?」

 亮太は声を張り上げて言った。

「もう匂いは分かりません! もう少し雨が避けられる場所に行ければ、アキラ様と草薙剣の輝きを追えるのですが!」

 犬の姿の狗神には目を覆い隠せる腕がない。次々と滝の様に落ちてくる雨にろくに目も開けられない様子だ。確かにこれじゃあ見える物も見えないだろう。

 亮太はアスファルトから落ち葉で湿る土の上に足を踏み入れ、足が取られないのを確認してから大きな木の下に駆け寄った。こちらの方が多少はマシかもしれない。後ろをついてきた狗神は、水分を含んでかなり重そうな毛をプルプルと震えて払うと、改めて周りを見渡した。

「さすがにこの雨ですと分かりにくいですね」
「公園内にいることは確かなんだろ?」

 亮太は、無駄だとは知りながら服を絞った。

「これは間違いなくいるでしょう。しかしこれですと、歩いて探し回る他なさそうですね。何となくあちらかな、という程度しか」

 狗神はそう言うと、明治神宮方面に顔を向けた。現在地は公園の西側、そして明治神宮は公園の北東方面に位置する。

「滅茶苦茶広いぞ、この公園……」

 だがしかしやるしかない。勿論亮太には二人を放っておくという選択肢は存在しなかった。この雨で冷えてみろ、みずちなんて変温動物だ、動かなくなってしまうかもしれないじゃないか。亮太は狗神にしっかりと頷いてみせた。

「このままではこの公園が酷いことになりかねませんね、急ぎましょう」
「あー、確かこの下には貯水池があるんだよ、この公園」

 確かそんな看板を見たことがあった。雨水が土を通って下にある貯水池に流れ着く様になっていた筈だ。

「そうなのですか? それは不幸中の幸いですね。いずれにせよ急ぎませんと、今度はアキラ様の方が危なくなります」
「え? どういうことだ?」

 何故今度はアキラの話になるのか。亮太は濡れたタオルをぎゅーっと絞ってから顔を拭いた。若干汗臭い様な気がしないでもないが、まあ、うん。

 狗神はもう一度身体をブルブルと震わせてから、言った。

「最後の食事からかなり時間が経っているところにこの雨です。もし極端に体力を奪われた場合、最悪背中の封印が弱まる可能性もあります」
「やばいじゃねえか!」

 背中の封印が弱る、それは閉じ込められている八岐大蛇ヤマタノオロチが暴れ出すということなのだろう。アキラとの始めの出会いが出会いだったので何となく頑丈な奴だと思っていたが、どうもアキラの方も心配しないといけなかった様だ。

「イヌガミ、俺から離れるなよ」
「はい」

 狗神はこの土地は知らない。土地勘と連絡手段というものは重要なのだな、とつくづく亮太は思った。落ち着いたら、狗神かアキラにキッズ携帯でも持たせよう、そう考えながら亮太は突き刺さる様な雨へとまた歩を進めた。



 一方その頃、アキラはずぶ濡れになりながら公園内をとぼとぼと歩いていた。

 ヒックヒックと泣いているであろうみずちの声も、アキラ達を中心に荒れる豪雨の中もう聞こえない。どこへ向かおうとも弾丸の様な雨が身体を撃ち、休める様な場所が目に入らない。木の下に行くと、今度は殴りつける様な横風がアキラを襲った。

 この嵐の原因のみずちと共にいる限り、アキラは常に嵐の中心に居る。どこへ行こうとも同じだった。
 ぐう、と腹がまた鳴る。ぶる、とアキラが震えた。

 噴水でもあるのだろうか、池が目の前にかすみの様に現れた。近くにベンチがあるのを見つけると、その上に座った。ぐしょぐしょになったポケットの中から小さく丸まっているみずちを取り出すと、膝を抱えて上半身との隙間にみずちをそっと置いた。

「コウ、お願い、泣き止んで」
「ごめんなさい、アキラ様ごめんなさい」

 まるで祓詞はらえことばを唱える様にひたすら謝罪を繰り返すみずちに、アキラは耐えきれなかったのか怒鳴りつけた。

「だけん謝らんといて!」
「ひっ」

 アキラはしまった、という表情になった。

「……謝らないで、お願い」
「ご……は、はい」
「お願い、雨を止めて」

 更に膝を抱えた。それまで小さかった震えが段々と大きなものとなってきていた。

「ぼ、僕、止めたいけど、どうしよう、止まらないよう」

 みずちのオロオロした様な声がアキラの膝の中からする。

「止め方、分からないの?」
「ご、ううん、あの、いつもはコウ様がいい子いい子してくれたから、その」
「……それは私でも、いいの?」

 ガタガタ震えながら、アキラがみずちに問う。

「アキラ様、寒いの?」
「……うん、でもまだ大丈夫。コウ、怒鳴ってごめん。落ち着いて」

 アキラは震えながら、冷たいみずちの身体をそっと撫で始めた。すると、みずちがホッとした様に少し力が抜けた様に見えた。

「コウはまだ子供なのにね、私と同じ。勝手に業を背負わされて。なんて言ったら、蓮が亮太に言うみたいにまた『業は仏教用語です』とか言われるのかな」

 アキラは叩きつける雨の中、膝の中のみずちを守る様に覗き込み笑った。

「亮太はいつも狗神に怒られてるの」
「そうだね、亮太はしっかりしてる様で抜けてるところがあるから、レンは放っておけないみたい。私の時と一緒」
「アキラ様の時?」

 アキラは楽しそうに笑った。

「私がお母さんのお腹に宿って、興味本位で見に行ったんだって。そうしたら、あまりにもお父さんもお母さんもふわふわした人達だから放っておけなくなっちゃって、そのまま残っちゃったみたい。私にはそんなこと絶対言わないけどね」
「アキラ様は、何でそれを知ってるの?」

 アキラの表情が急に厳しいものになった。

「レンがアイツの元を離れる際そう言ったって」
「アイツ……。 須佐之男命スサノオノミコト?」
「そう、あの意気地なしのおっさん。ただの一般人の亮太の方が余程勇気があるよね」

 すると、みずちの声が弾んだ。

「アキラ様も亮太が好きなのー」
「はは、そうだね。いい人だよ。見ず知らずの私やレンやコウも丸ごと引き受けちゃう位」
「僕も亮太好きー」

 アキラがみずちを撫でながら話している内に、段々と雨足が弱まってきた。もう豪雨ではなく、少し遠くの景色も見通せる様になってきていた。

「コウ、雨止んできたよ」
「本当? やったやった!」
「偉いねコウ」

 アキラがそうみずちに話しかけた、その瞬間。

「!」
「アキラ様?」

 アキラが急に自分を両手できつく抱き締めた。寒さからだったろう震えが、苦痛の震えに変わった様に見える。

「アキラ様? どうしたの?」
「コウ、離れて……!」
「え? え? アキラ様?」
「ああ……!」

 するりとアキラの膝の上から抜け出したみずちの目に映った物は、アキラの背中から立ち登る闇。

 それは、一匹の龍の頭部をかたどっていた。
しおりを挟む
感想 11

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

〖完結〗その子は私の子ではありません。どうぞ、平民の愛人とお幸せに。

藍川みいな
恋愛
愛する人と結婚した…はずだった…… 結婚式を終えて帰る途中、見知らぬ男達に襲われた。 ジュラン様を庇い、顔に傷痕が残ってしまった私を、彼は醜いと言い放った。それだけではなく、彼の子を身篭った愛人を連れて来て、彼女が産む子を私達の子として育てると言い出した。 愛していた彼の本性を知った私は、復讐する決意をする。決してあなたの思い通りになんてさせない。 *設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 *全16話で完結になります。 *番外編、追加しました。

王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る

家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。 しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。 仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。 そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。

ハズレ嫁は最強の天才公爵様と再婚しました。

光子
恋愛
ーーー両親の愛情は、全て、可愛い妹の物だった。 昔から、私のモノは、妹が欲しがれば、全て妹のモノになった。お菓子も、玩具も、友人も、恋人も、何もかも。 逆らえば、頬を叩かれ、食事を取り上げられ、何日も部屋に閉じ込められる。 でも、私は不幸じゃなかった。 私には、幼馴染である、カインがいたから。同じ伯爵爵位を持つ、私の大好きな幼馴染、《カイン=マルクス》。彼だけは、いつも私の傍にいてくれた。 彼からのプロポーズを受けた時は、本当に嬉しかった。私を、あの家から救い出してくれたと思った。 私は貴方と結婚出来て、本当に幸せだったーーー 例え、私に子供が出来ず、義母からハズレ嫁と罵られようとも、義父から、マルクス伯爵家の事業全般を丸投げされようとも、私は、貴方さえいてくれれば、それで幸せだったのにーーー。 「《ルエル》お姉様、ごめんなさぁい。私、カイン様との子供を授かったんです」 「すまない、ルエル。君の事は愛しているんだ……でも、僕はマルクス伯爵家の跡取りとして、どうしても世継ぎが必要なんだ!だから、君と離婚し、僕の子供を宿してくれた《エレノア》と、再婚する!」 夫と妹から告げられたのは、地獄に叩き落とされるような、残酷な言葉だった。 カインも結局、私を裏切るのね。 エレノアは、結局、私から全てを奪うのね。 それなら、もういいわ。全部、要らない。 絶対に許さないわ。 私が味わった苦しみを、悲しみを、怒りを、全部返さないと気がすまないーー! 覚悟していてね? 私は、絶対に貴方達を許さないから。 「私、貴方と離婚出来て、幸せよ。 私、あんな男の子供を産まなくて、幸せよ。 ざまぁみろ」 不定期更新。 この世界は私の考えた世界の話です。設定ゆるゆるです。よろしくお願いします。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

妹に正妻の座を奪われた公爵令嬢

岡暁舟
恋愛
妹に正妻の座を奪われた公爵令嬢マリアは、それでも婚約者を憎むことはなかった。なぜか? 「すまない、マリア。ソフィアを正式な妻として迎え入れることにしたんだ」 「どうぞどうぞ。私は何も気にしませんから……」 マリアは妹のソフィアを祝福した。だが当然、不気味な未来の陰が少しずつ歩み寄っていた。

処理中です...