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第三章 事件発生

23.別に一生はついて来なくていいと思う

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 亮太はとりあえずとんかつを仕込むことにした。

 部屋で膝を抱えて座り込むアキラはテレビを観ている風ではあるが、ありゃあ中身なんざ何も入ってきちゃあいないだろう。目が死んでいる。

 余程亮太に背中を見られたのが嫌だったのか、いや、それよりも蓮に対する恋心を見破られたのがショックだったに違いない。

 バーテンダーを舐めてもらっては困る。人の心の動きを会話することなく察して促せれば促す、それが必要とされる職業なのだ。

 肉を包丁の裏で叩いて筋を切り、塩胡椒をしてしばし置く。その間に小麦粉、溶き卵にパン粉を用意して鍋に油をとぽとぽと注ぐ。火は中火よりやや強め、中は最後に余熱で火を通す。

 すでに刻んだ大量のキャベツの千切りにカットトマト。アキラの腹に溜まる様にと春雨とハムときゅうりの中華風サラダに卵があるのでシャンタンスープ、更に買ってきた温めるだけの焼売。これでもかという量を用意してみた。余れば次に回そうと思ったのだが、狗神の話を聞く限り余ることはなさそうだった。

 時刻を見ると四時。段々と空が暗くなってきている。それを洗濯物を気にしていると取られたのか、狗神がスッと人型を取り物干しスペースへと向かった。その瞬間の、ハッとした様なアキラのあの表情。

 ムズ、と亮太の中の絵を描きたいという欲が湧いてきた。今のあの顔は、絶対いい。

 先程狗神の変化を目にしてから、亮太の中でこごっていた何かが溶けて流れていった気がした。多分、今描いても物凄く下手くそになっているだろう。見るに耐えない仕上がりになるかもしれない。

 でも、それでもよかった。目の前にかかっていたもやが晴れた様な不思議な感覚だった。


 いいんだ、そう言われた気がした。


 亮太は油の温度を確かめながら手際良くとんかつを揚げていく。その口角はほんの少しだけ上がっていた。

「アキラー! 大皿出してくれ」
「……んー」
「とんかついっぱい揚げるから、そう凹むなよ」
「……とんかつ」
「そう、とんかつだ」

 とんかつと聞いて、アキラの目に生気が戻ってきた。なんだ、もしかしたらただのエネルギー不足かもしれない。折角油切りポットを買ったのだ、どこかでパンの耳でも仕入れて揚げて砂糖をまぶしたお菓子でも置いておいてやろうか、そんなことを思った。

 アキラがパッと立ち上がり皿の支度を始めた。考えてみればこいつも可哀想だ。勝手に背中に封印を施されて生まれ、宿命を負わされ。惚れた男は犬のあやかし、多分あの感じじゃ狗神は歳を取らない。そんな奴と添い遂げられるのか? 多分、それは限りなく不可能に近いだろう。

 かといって、須佐之男命スサノオノミコト現身うつしみの男と一生添うのかと言われたら、会ったことも見たこともないがまあやめとけと亮太だって言うに違いない程の酷い奴。責められて女の首を絞めて逃げるとか、もうどう考えたってあり得なかった。

 アキラが取り出してくれた大皿に、水切りをしておいたキャベツをこんもりと盛る。バットに上げて油を切ったトンカツを切り、大きなフライパンに小さな皿で段を作ってその上に耐熱皿を乗せ、周りに湯を張って蒸したほかほかの焼売も出来上がりだ。蒸し器なんざなくとも焼売は蒸せる。おっさんの生活の知恵だった。

 アキラは、クッキングシートの上でホカホカいっている焼売を確認すると、醤油皿と醤油をさっと取り出して持っていった。アキラは手際も気付きも悪くない。もしかしたら、料理を教えたらすんなりとマスターする可能性はあった。

 壁掛けの時計を見る。時間がなくなってきていた。アキラがご飯をよそっている間に、熱い油をポットに投入した。冷めてからでは切るのに時間がかかってしまうし、油の処理は子供に任せたくはなかった。

「亮太ー早くー」
「今行く」
 
 慌ただしくも牧歌的で穏やかなこの光景。いつまで続けられるだろうかと、亮太は頭の片隅で少し不安に思った。



 金曜日の店は混む。仕込む量も自ずと増えてくる。その為、亮太とシュウヘイは半ば走りながら開店準備を行なっていた。

 若さからか、今朝あれだけ泣いていたシュウヘイの瞼に腫れぼったさは一切残っておらず、くりっとした可愛らしい目で亮太を時折チラチラと見ている。

 何だか居心地が悪いが、多分今朝のことを触れてこない亮太にどう話を切り出すべきかタイミングを窺っているのだろう。

 もう終わったことだ、亮太自身にはあの話をほじくり返すつもりはない。シュウヘイが話したくなったら話せばいいだけのことである。

 相手の出方を見てそれに合わせて対応してしまうのは、もしかしたら職業病の一種かもしれなかった。

 ひと通り仕込みも終わり、開店三十分前を切ったところでシュウヘイが声をかけてきた。

「亮太さん、飯どうします?」

 そうだ、シュウヘイには言ってなかった。亮太は隣の家の学生についたのと同じ嘘をつくことにした。嘘は一貫性を持たせればばれないものだ。

「悪い、実は今姪っ子がうちで寝泊まりしてて、そいつとご飯食べてるんだ」
「姪なんていたんすか?」
「あんまり交流はなかったんだけどな、ちょっと家庭内で問題があって、暫くの間面倒見ることになったんだよ」

 まあ大体間違ってはいない。金の出処はアキラだし大体の家事は狗神がやることにはなろうが、少なくとも家主は亮太であるから面倒を見るという言葉に嘘偽りはない筈だ。

「えーじゃあ暫く亮太さんとご飯食べれないんですかー」

 非常に残念そうにシュウヘイが言った。そんなにこんなおっさんと食事がしたかったのだろうか。

「悪いな」
「今日亮太さんと話せるのを楽しみにしてたのにー。たまには僕との時間も作ってくださいね! じゃあいってきます!」
「お、おお」

 にこやかに走り去っていくシュウヘイの亮太を見る目つきが若干艶っぽく見えた様な気がしないでもなかったが、気の所為だと思いたかった。

「冗談じゃねえ」

 頭をぶるっと振ると、そのおかしな考えを頭の中から振り払った亮太だった。



 金曜日の夜とあって、その日は大盛況に終わった。半ば酔い潰れた家が同じ方向の客同士をまとめてタクシーに放り込み、片付けもレジ締めも全て終わったのが四時十分前。遅くとも四時には帰ると狗神に言ったばかりだというのに、初日からこれでは狗神が怒るかもしれない。

 亮太は急いで帰り支度を始めると、シュウヘイが慌てて亮太にならった。

「亮太さん、一緒に帰りましょうよ」
「一緒って、お前は茶沢通りをずっと下って行くから方向違うだろ」
「だって昨日の今日じゃないですか、僕ちょっと怖くて」
「家までは送らないぞ」
「亮太さんちがある坂道の手前まででいいですから」
「全く……」

 狗神とアキラにまたお土産を買ってやりたいので走ってコンビニに行きたかったのだが、まあ確かに昨日の今日である。いくら目の前で浄化していったとはいえ、怖いのは理解できた。

「四時にはなるべく家に帰りたいんだ、急いでくれよ」
「分かりました!」

 シャッターを下ろして鍵をかけ階段を軽やかに降りると、シュウヘイも歩調を合わせてついてきた。

「亮太さん、僕、心を入れ替えることにしたんす!」

 シュウヘイが目をキラキラと輝かせながら亮太を見上げてきた。さすがに反省したらしい。店にとってもいいことである。

「ふーん、いいんじゃないか」
「僕、確かに他人のことを適当に考えてたなって気付けたのは、亮太さんが僕を叱ってくれたお陰です!」

 シュウヘイの頬が紅潮しているのは、客に奢ってもらった酒のせいだと思いたかった。

 あんまりその潤んだ様な目で見つめられても、正直居心地が悪い。

「そ、そりゃよかった」
「僕、亮太さんみたいな包容力がある格好いい大人になりたいです!」
「そ、そりゃどうも」

 背中がムズムズした。あまり褒められるのは得意ではないのだ。

 若干引き気味な笑顔の亮太を見て何を思ったか、シュウヘイが実に幸せそうな笑顔を見せて宣言した。

「僕、一生亮太さんについて行きますから!」

 何だかおかしな方向に話が進んで行っている気がしたが、明日も一緒に働かなければならないシュウヘイを無下に扱う訳にもいかず。

「は、はは」

 亮太は乾いた笑いをする他なかった。
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