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(63)恐怖の後の

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 アルフレッドが、部屋に入ってきてしまった。

 私は突然のことに、ベッドに横になった状態で身動きをすることすら出来なくなっていた。

「――ナタ、せっているから僕には会えないと言ったのか?」

 そう言いながら、ズンズンやって来ると、なんとアルフレッドはベッドに腰掛けてしまったではないか。私の身体は強張こわばり、冷や汗が背中を伝う。

「……どうして食べないんだ」

 部屋に用意された燭台は、アルフレッドの背後にある。だから、アルフレッドの顔は影になってはっきりと見えなかった。

「お前に再び僕の物だという価値を与えてやろうというのに、何故そこまでして拒否をするんだ」

 またこれだ。これを言われると、私は貝のように口を閉ざさざるを得ない。だって、この人とは一生価値観を分かち合うことは出来ないから。だけど、私の価値観を伝えてしまうと、アルフレッドはそれを利用して私を追い詰めてくるであろうことも分かっていたから。

「た……食べないのではありません、食べられないのです」
「何故だ? お前が前まで美味しいと食べていた料理と全く同じだというのに」

 アルフレッドの手が、私の顔に伸びてくる。意図せず、私の身体がビクッと反応してしまった。……これはまずい。

「……これでも、心配しているんだが」

 口からつむぎ出されたアルフレッドの言葉の声色には、傷ついたとあった。これだけ人にやっておいて。

「本当に私のことを心配されているのであれば……」
「しているさ」

 アルフレッドのひんやりとした指が、私の頬に触れた。恐怖しかなかった。

 私は、意を決して言った。

「――ならば! ならば、私を自由にして下さいませ!」
「ナタ、落ち着け」
「貴方には、アンジェリカ様というもっと心配する必要のある御方がおりますでしょう!」

 だから、ここから今すぐ立ち去って私を解放してくれ。そういう意味で言ったのに。

 アルフレッドが、高揚した様な笑みを浮かべた。

「……なんだ、やはりお前は俺にやきもちを焼いているんじゃないか」
「やきもちなど焼いておりません! お願いですから、私をここから出して……!」

 私の精一杯の叫びにも、アルフレッドはその笑いを浮かべるだけだ。

「言っただろう? お前が了承さえしてくれれば、お前のことも大事にしてやると」
「出して下さい……!」

 ああ、また涙が出始めてしまった。嫌だ、こいつに涙なんて見せたくないのに。すると、アルフレッドの顔がどんどん近付いてくる。嫌だ、ちょっとこいつまじでぶん殴りたい。もう殴ろうか? 殴ってしまおうか?

 首が飛ぶのも覚悟で、私が拳を握り締めると。

 ドンドン!!

 と扉が激しく叩かれ、アルフレッドの動きが止まった。チッという舌打ちと共に、アルフレッドが扉に向き直る。

「何だ!」

 その呼びかけで、扉が急ぎ開かれる。見張りの兵が、焦った様子でアルフレッドに敬礼しつつ言った。

「王太子殿下、お取り込み中大変失礼致します! 宰相殿の、至急王太子殿下をお呼びして来いとのご命令がございまして……!」
「今、取り込み中だ」

 アルフレッドは私に再度向き直る。その目は、獲物を狙う目つきだった。

「で、ですが! スチュワート卿ゴードン様及びホルガー様が、物凄い剣幕で王太子殿下との面会を要求されていらっしゃるそうでして!」

 私は、自分の耳を疑った。

「――え」

 アルフレッドの目が、泳いだ。

 兵は、更に続ける。

「王太子殿下がご対応されない場合、不敬は承知の上で臥せっておられる国王陛下の元へ向かわれると……!」
「なんだと!?」

 アルフレッドは立ち上がると、焦った様子で私を見下ろす。何か言いたそうだが、咄嗟とっさに言葉が出てこないのだろう。

 だから、父とホルガーの登場に一気に勇気づけられた私は、まだ濡れた瞳でアルフレッドを睨みつけ、宣言をした。

「アルフレッド様。万が一父やホルガーに何かされたら、私は一生貴方を許しません」
「ナ、ナタ」

 アルフレッドは、明らかに動揺していた。

「貴方が私を解放しなくても、私は一生貴方には屈せず、ここで朽ち果てます!」

 手を出したら、一生お前に従ってやるものか。そう宣言されたのが分かったのだろう。アルフレッドは動揺したまま、それ以上何も発することなく、部屋から出て行った。

 バタン、と扉が閉められ、鍵が掛けられる小さな音がする。

 私は強張っていた身体の力を抜くと、まだバクバクいっている心臓を上から押さえた。これは、ホルガー達が助けに動いてくれていると分かったことによる興奮か、それともアルフレッドに言いたいことを言えたがゆえの高揚からくるものか。

 いずれにせよ、これまでのマイナス思考から、一気に浮上したことは確かだった。

 大丈夫、これでまた待てる。段々とアルフレッドの物理的距離が近くなってきているのが恐怖だが、幸いなことに弱ってしまった所為でこれ以上どうこうされる心配は今のところなさそうである。

 アルフレッドは、痩せこけたのよりは肉感がある女の方が好みなことを、私はよく知っていた。アンジェリカも、胸とお尻が立派なタイプなのである。臥せってから大分痩せてしまったからとはいえ、それでもきっと私の貧乳具合には負けるだろうことは用意に想像が出来た。そんなこと競ってもどうだとも思ったが、対アルフレッド対策としては非常に効果的である。

 私がアルフレッドの婚約者で、アルフレッドが私を襲おうとした時以降は、私は積極的にスキル『消化』を使用して、絶対に太らない様に心掛けた。万が一にも、次の機会が起こらない様に。

 扉の外が再び静かになったところで、私は目をつむった。希望を捨てるのはやめよう。最後まであらがってみせようという気持ちが湧き上がり、そしてすぐに自分の身体がそれまで持つだろうかという暗い不安に襲われる。

 ひとりでずっと閉じ込められているから、余計なことばかり考えてしまうのだろう。

 寝て、明日目が覚めたら、きっとエミリが今起きていることを説明してくれる筈だ。だから、それまでは夢の世界でレオンの家に行くのだ。

 私が、レオンの家の調理台を思い浮かべ始めたその時。

 コンコン

 と音がした。

 私は思わず恐怖を覚えつつ扉の方を見て待ったが、誰も開ける様子はない。

 すると、再びコンコン、と音がするではないか。――後ろから。

「えっ?」

 私はがばっと起き上がると、急な動きでクラクラする視界に耐えながら、あり得ない影をそこに見た。


 格子こうしの先の窓には、なんとレオンがいた。
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