上 下
35 / 73

(35)忍び寄る影

しおりを挟む
 レオンの家に戻ると、私達は記録係のホルガーに、購入した材料の説明を始めた。

 正直、私もレオンもホルガーほど優れた記憶力は持ってはいないことが判明したので、記憶が失せる前にこれを済ませておかないと、分からなくなってしまうのだ。マヨネーズの実験を繰り返す内に、その事実が鮮明に浮き彫りにされた。だから、私は言い訳はしない。無理だ。

「――はい、これでいいね」

 油が入った瓶にラベルを貼ったホルガー。偉い。偉すぎる。私は感動で涙が出そうになった。

「じゃあ、再び実験ね!」

 私が笑みを抑えることが出来ずにニタニタしながら宣言すると、レオンが私を手で制した。

「待て、ナタ。先にホルガーにも情報共有すべきだろう」
「あ、そうだった」

 マヨネーズのことで、頭が一杯になっていた。しょうがないだろう。だってもうあと少しで、狂おしい程食べたかったマヨネーズを作れそうなんだから。

「情報共有? 何のことだ?」

 ホルガーは優しげな表情を浮かべ、訳が分からぬまま微笑んでいる。

 レオンが、重々しい面持ちでホルガーに告げた。

「王国騎士団の連中に、尾行されていた」

 それを聞いたホルガーの眉が、思い切り歪む。

「王国騎士団? あいつらは基本王都勤務な筈だぞ。王族の命令なしに、勝手な行動は取ることを禁じられている。本当に奴らだったのか?」

 王族の命令、というホルガーの言葉に、私はヒヤリとしてしまった。騎士団についてはよく知らなかったが、そうなのか。だとすると、私達の跡を付けていた騎士達は、一体どの王族に何と命令され私達の様子を窺っていたのだろう。

「王国騎士団の指輪を身に付けていたそうだ」
「指輪を……なら、本物の可能性は高いな」

 ふむ、とレオンが腕組みをして続けた。

「奴らの目的ははっきりしていないが、俺の部下が、そいつらがナタの名を呼んでいるのを聞いたそうだ」
「ナタの名を!? 一体何の為にナタを!」

 ホルガーが、レオンの両腕を掴んだ。レオンは、静かに首を横に振る。

「分からない。引き続き部下に調査はさせるが、ホルガーの方でも王都から何か情報を聞き出せないか?」
「王都……そうだな、叔父様なら知っているかもしれない。帰ったら早速確認を取ってみる」

 ホルガーの叔父、つまり私の父は、ホルガーの父親の兄にあたる。父は王の下に位置する元老院げんろういんの主要メンバーで、三家存在する公爵家が一年毎に持ち回りで長を務めており、昨年は父がその役割を担っていた。

 元老院のメンバーである貴族本人は、中立性を保つ為、自宅以外の領地を所有することを許されていない。その為、スチュワート家の領主の座は、弟であるホルガーの父親が跡を継いだ。

 このシラウスの地も、ホルガーの父親の所有である。だから、ホルガーはゆくゆくは領主となる立場の人間なのだ。

 私の弟のオスカーは、スチュワート家の長男ではあるが、いずれ父の跡を継いで元老院のメンバーになる、というのが流れだ。

 なので、王都のことは私の父の方が詳しいというホルガーの判断は、正しい。

 ホルガーの言葉に、レオンが頷いた。

「そうしてくれ。後、これからは行き帰りは俺も屋敷までついて行くことにする。俺の護衛が、ナタも一緒に護れるからと提案してきたんだ」

 レオンの言葉に、考え込んでいたホルガーが顔を上げる。

「護衛? そういえばさっき部下って言ってたけど、それが君の護衛なのか?」

 ホルガーは、ナッシュの存在を知らない。私とて殆ど知らないに等しいが、実際に目の前で話したことがあるかどうかだけでも、感じ方は違うだろう。

 なので、私は言った。

「ヘラヘラした人だけど、腕は立つみたいよ」
「へ、ヘラヘラ?」
「そう。ヘラヘラしてて言うことも薄っぺらいけど」

 私がそう言うと、横でレオンが腕組みしながらうんうんと何度も頷いている。余程思い当たる節があるのだろう。レオンの背後でレオンに向かって親指で差してたなんて聞いたら、レオンはどう思うのだろうか。ちょっと気になったが、聞いたら長くなりそうなので止めておいた。

「で、そのヘラヘラした人が腕の立つ護衛で、その護衛の人が私達を護衛する為にレオンに屋敷まで送り迎えさせろって言うから」
「……その護衛、ご主人様をいいように使ってないか?」

 先程私が感じたものと同じ意見を、ホルガーははっきりと口にした。言語化すると、また随分と情けない感じがしてならない。

 レオンが肩を竦めてみせた。

「あいつのおかしな言動には、大分慣れた」

 主が従に合わせるとは変わった話だが、そこら辺は二人のこれまでの長い歴史があるのかもしれなかった。特に知りたくはないが。

 ホルガーが、目を細めながらレオンを見る。

「にしても、護衛の部下までつけて隣国に滞在しているって、君は一体何者なんだ?」

 すると、レオンがにやりと笑ってみせた。

「その件は、先程ナタにも言ったがな、マヨネーズが完成したらその時に伝えることにする。――楽しみにしててくれ」
「楽しみ……? まあ、分かった。いずれ話す気なら、それでいい」

 レオンの言い方では、犯罪歴ではなさそうだ。犯罪歴だったら、楽しんで話すようなものではないだろうし。

 レオンが、私達を交互に見てから言った。

「ま、そういうことだ。今日の帰りから俺が送る。明日から、卵が届けられ次第お前達の屋敷の前で待ってる」
「じゃあ門番に言っておかないとだな」
「レオンが追い払われちゃったら可哀想だものね」
「おい」

 レオンが下唇を出し、不貞腐れた顔になる。私達三人は顔を見合わせ。

「ぷっ! なんだよレオン、その顔は!」
「あはっうふふふっレオンてばすぐいじけるんだから!」
「ぶっ! ちょっと二人とも、笑わせるなよ!」

 偶然に知り合ってこの長いマヨネーズ道を辿ってきた私達に生まれた、仲間という絆。

 王国騎士団の影が彷徨く中でも、私達三人の絆は解くことは出来やしない。きっと。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが

ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。 定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──

やり直すなら、貴方とは結婚しません

わらびもち
恋愛
「君となんて結婚しなければよかったよ」 「は…………?」  夫からの辛辣な言葉に、私は一瞬息をするのも忘れてしまった。

だってお義姉様が

砂月ちゃん
恋愛
『だってお義姉様が…… 』『いつもお屋敷でお義姉様にいじめられているの!』と言って、高位貴族令息達に助けを求めて来た可憐な伯爵令嬢。 ところが正義感あふれる彼らが、その意地悪な義姉に会いに行ってみると…… 他サイトでも掲載中。

平凡令嬢は婚約者を完璧な妹に譲ることにした

カレイ
恋愛
 「平凡なお前ではなくカレンが姉だったらどんなに良かったか」  それが両親の口癖でした。  ええ、ええ、確かに私は容姿も学力も裁縫もダンスも全て人並み程度のただの凡人です。体は弱いが何でも器用にこなす美しい妹と比べるとその差は歴然。  ただ少しばかり先に生まれただけなのに、王太子の婚約者にもなってしまうし。彼も妹の方が良かったといつも嘆いております。  ですから私決めました!  王太子の婚約者という席を妹に譲ることを。  

私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?

新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。 ※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!

忘れられた妻

毛蟹葵葉
恋愛
結婚初夜、チネロは夫になったセインに抱かれることはなかった。 セインは彼女に積もり積もった怒りをぶつけた。 「浅ましいお前の母のわがままで、私は愛する者を伴侶にできなかった。それを止めなかったお前は罪人だ。顔を見るだけで吐き気がする」 セインは婚約者だった時とは別人のような冷たい目で、チネロを睨みつけて吐き捨てた。 「3年間、白い結婚が認められたらお前を自由にしてやる。私の妻になったのだから飢えない程度には生活の面倒は見てやるが、それ以上は求めるな」 セインはそれだけ言い残してチネロの前からいなくなった。 そして、チネロは、誰もいない別邸へと連れて行かれた。 三人称の練習で書いています。違和感があるかもしれません

【完結】公爵令嬢はただ静かにお茶が飲みたい

珊瑚
恋愛
穏やかな午後の中庭。 美味しいお茶とお菓子を堪能しながら他の令嬢や夫人たちと談笑していたシルヴィア。 そこに乱入してきたのはーー

【12話完結】私はイジメられた側ですが。国のため、貴方のために王妃修行に努めていたら、婚約破棄を告げられ、友人に裏切られました。

西東友一
恋愛
国のため、貴方のため。 私は厳しい王妃修行に努めてまいりました。 それなのに第一王子である貴方が開いた舞踏会で、「この俺、次期国王である第一王子エドワード・ヴィクトールは伯爵令嬢のメリー・アナラシアと婚約破棄する」 と宣言されるなんて・・・

処理中です...