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(30)マヨネーズ研究の日々
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マヨネーズの乳化に成功し、はや半月。
世間は王太子アルフレッドと新たな婚約者であるアンジェリカ・クリムゾン侯爵令嬢との婚約祝いを口実に盛り上がったりもしていたが、私達は粛々とマヨネーズの調合について更に詳しく研究を進めていっていた。お祭りが終わった後は店には再び泡立て器が並んでいたが、レオンが寂しそうな顔をするので新たに購入するのは控えたのは余談である。
とにかく、ひたすら実験の日々である。現在は、お酢と食塩を足す量とタイミングについての考察を行なっていた。
スプーンでマヨネーズを掬って舐めたレオンが、顔を顰める。
「うーん……なんか随分酸っぱいんだが、こういうものなのか?」
「ちょっといいかしら?」
私はレオンのスプーンに付いたマヨネーズに顔を近付け、匂いを嗅いだ。いわゆるお酢の匂いがする。それに少し、油っぽい匂いもした。
これまでの実験で、卵と油を混ぜただけではマヨネーズは固まり切らず、大分しゃびしゃびな状態になってしまうことが判明した。お酢は腐食防止の効果を狙っている筈、と重要視していなかったのだが、しゃびしゃびマヨネーズにお酢を足したところ、なんと前世で散々食したあのもってりとしたマヨネーズの固さを再現することに成功したのだ。
だが、その後が苦戦していた。
「うーん?」
匂いだけでは分からない。私はレオンの手を掴むと、スプーンに付いていたマヨネーズを舌でぺろりと舐めた。
「あっ!?」
レオンがビクッとする。そんなに奪われたくなかったのだろうか。私がちろりと軽く睨むと、レオンは口をアワアワ震わせたが、それ以上何も言わなかった。
ホルガーは、これまで付けた記録をまとめているところだ。勤勉な奴である。マヨネーズが完成すると同時に、立派なレシピも完成するだろうことが予想出来た。
「うーん。食感はマヨネーズなんだけど、ちっとも美味しくない……」
「やっぱりこれじゃないんだよな? よかった、ナタがこれを美味しいと思ってたら、何て言っていいか分からなかったんでな」
「人を味覚バカみたいに言わないでくれる?」
「料理は最高に美味いから、俺はナタを信じていたぞ」
しれっと言いつつ笑いかけるレオン。こいつもすっかり私達と打ち解けた。あのホルガーとも普通の会話を交わす様になっているのだから、慣れというものは恐ろしい。
「調子いいんだから、全く……」
私がぶつぶつと呟いていると、レオンはスプーンの残りのマヨネーズをパクリと食べてしまった。そして、スプーンは流しに置く。一旦口を付けた物は使わないという私の教えを、しっかりと守っているのだ。
あれ、今のってもしや間接キスとかいうやつじゃないかとも思ったが、考えてみたら自分が真っ先にしていたので、それについては言及を控えた。
あれから、私はレオンの為に夕飯のおかずも作って置いていく様になった。一人分なら一品で十分なので、グラタンやら玉子サラダやらオムライスやら中身を変えたキッシュやら卵焼きやら、それはもう色んな物を作っては置いていった。玉子料理ばかりも可哀想なので、普通の料理も作った。それをいちいち翌日になるとレオンがいかに美味しかったのかを事細かに説明してくれるので、――まあ、悪い気はしない。
どう考えても、これまで一切料理をしたことがなかった公爵令嬢が作る物としてはおかしい料理も多かったが、その辺りの違いは、普段調理場に入らない人間には分からないのだろう。どうもこれまでレオンは、自分では調理せず従者に適当な物を作らせていたらしく、てっきり自炊していると思ったがそれは私の勘違いだった様だ。考えてみればあの不器用さである。料理など、出来る筈もなかった。
何故知ったか。この間、ぽろっと「あいつはどうも雑でいかん」と零していたのだ。多分、例のナッシュ・チェスターのことだろう。レオンよりは不器用ではなさそうだったが、せっかちそうではあった。
「これは、油が美味しくないんじゃないか?」
マヨネーズを口の中で味わっていたレオンが、意見を述べた。私もそれには同意見だった。
「油が古いか、質がよくないのかもしれないわね」
私はそう言いながら一斗缶を見下ろした。どう考えても酸化してそうだ。
「じゃあいい油を探しに行きましょうか?」
「お酢もいいものが欲しいな。――ホルガーはどうする?」
レオンがテーブルで紙とにらめっこしているホルガーに尋ねた。
「ちょっとここまできっちりとまとめたいから、二人で行ってきてくれ。ナタのことは、くれぐれもよろしく」
「当たり前だ、任せてくれ」
「頼んだぞ」
ここも、半月の間に変わったところだ。レオンが私に変なことをしないということが分かったのだろう、ホルガーはレオンを信用するようになってきていた。どうも私とレオンが男女の色恋沙汰に突入するのではないかと心配していたフシもあるが、私達に共通するのがひたすらマヨネーズへの探究心だけなのが分かったのだろう。
私の体重が大分元に戻ってきているのも、ホルガーの肩の力が抜けた理由のひとつかもしれない。
「じゃあ戸締まりはしっかりな」
「分かった」
玄関を潜ってドアを閉じると、レオンが腰に手を当てて私を見下ろした。さて、とでも言いたそうな顔だ。
「……なに? 早く行きましょうよ」
「いや、うん、まああれだ」
「はい?」
私が片眉を上げた瞬間、レオンが私の手を握った。そして、ぐいっと私を引っ張りつつ往来へ出た。ホルガーよりも、かなり強引な歩みだ。
「えっちょっとちょっとレオン!」
私が驚いてレオンの背中に向けて言うと、レオンが振り返って横目で私を見た。
「……ホルガーとはいつも繋いでるじゃないか」
「いや、まあ、あれは迷子防止だし、ホルガーは従兄弟だし」
「じゃあ別に俺とだって構わないだろ」
そう言うと、前を向いてしまった。
いや、構うよな? そりゃあ初対面の時に酒樽の様に運ばれたり肩を抱かれたり、腕を組まれたり、二日酔いの時はあーんして食べさせたりとかもしましたけど。
ほんのりレオンの耳が赤い気がするのは、気の所為……な筈だ。
私は頭をかきむしりたくなった。
ああ、やめてくれ。私はもう誰かを好きになったりなんてしないんだから。恋愛脳へのシフトチェンジはしたくないんだから、勘違いするような態度を取られては困るのだ。
勘違いして期待するなんて、あんな気持ちはもう二度と味わいたくはないのだから。
私は俯いて、唇を噛み締めた。この先、私の愛情は全てマヨネーズに捧げると決めたのだ。いずれ野合はするかもしれないが、それも老後対策のひとつに過ぎない。
レオンの広い背中を見上げる。こいつは、これまで人に恵まれなかったのだろう。だから、今はこの研究の日々に新鮮味を感じているだけだろうが、従者がいるような立場の人間だ。いずれは祖国ウルカーンに戻り、家督を継ぐに違いない。私よりも年上だろうし、それなりの立場の人間ならば、向こうには婚約者もちゃんと用意されているのではないか。
だから、私も勘違いさせるような態度は避けなければならない。マヨネーズのレシピが完成した暁には、私はそれを有効活用してこの世界にマヨネーズを広め、マヨネーズ令嬢として時の人となってみせるのだ。
そうだ、と私はいいことを思いつく。その際には、隣国ウルカーンへの販路への足がかりとして、レオンにも協力を仰ごう。ウルカーンは強国だから、きっといい顧客になる。
何だか未来に光が見えてきた様に思えた私は、もう一度唇をギュッと噛んだ後は、顔をまっすぐ上げて前を見ることにしたのだった。
世間は王太子アルフレッドと新たな婚約者であるアンジェリカ・クリムゾン侯爵令嬢との婚約祝いを口実に盛り上がったりもしていたが、私達は粛々とマヨネーズの調合について更に詳しく研究を進めていっていた。お祭りが終わった後は店には再び泡立て器が並んでいたが、レオンが寂しそうな顔をするので新たに購入するのは控えたのは余談である。
とにかく、ひたすら実験の日々である。現在は、お酢と食塩を足す量とタイミングについての考察を行なっていた。
スプーンでマヨネーズを掬って舐めたレオンが、顔を顰める。
「うーん……なんか随分酸っぱいんだが、こういうものなのか?」
「ちょっといいかしら?」
私はレオンのスプーンに付いたマヨネーズに顔を近付け、匂いを嗅いだ。いわゆるお酢の匂いがする。それに少し、油っぽい匂いもした。
これまでの実験で、卵と油を混ぜただけではマヨネーズは固まり切らず、大分しゃびしゃびな状態になってしまうことが判明した。お酢は腐食防止の効果を狙っている筈、と重要視していなかったのだが、しゃびしゃびマヨネーズにお酢を足したところ、なんと前世で散々食したあのもってりとしたマヨネーズの固さを再現することに成功したのだ。
だが、その後が苦戦していた。
「うーん?」
匂いだけでは分からない。私はレオンの手を掴むと、スプーンに付いていたマヨネーズを舌でぺろりと舐めた。
「あっ!?」
レオンがビクッとする。そんなに奪われたくなかったのだろうか。私がちろりと軽く睨むと、レオンは口をアワアワ震わせたが、それ以上何も言わなかった。
ホルガーは、これまで付けた記録をまとめているところだ。勤勉な奴である。マヨネーズが完成すると同時に、立派なレシピも完成するだろうことが予想出来た。
「うーん。食感はマヨネーズなんだけど、ちっとも美味しくない……」
「やっぱりこれじゃないんだよな? よかった、ナタがこれを美味しいと思ってたら、何て言っていいか分からなかったんでな」
「人を味覚バカみたいに言わないでくれる?」
「料理は最高に美味いから、俺はナタを信じていたぞ」
しれっと言いつつ笑いかけるレオン。こいつもすっかり私達と打ち解けた。あのホルガーとも普通の会話を交わす様になっているのだから、慣れというものは恐ろしい。
「調子いいんだから、全く……」
私がぶつぶつと呟いていると、レオンはスプーンの残りのマヨネーズをパクリと食べてしまった。そして、スプーンは流しに置く。一旦口を付けた物は使わないという私の教えを、しっかりと守っているのだ。
あれ、今のってもしや間接キスとかいうやつじゃないかとも思ったが、考えてみたら自分が真っ先にしていたので、それについては言及を控えた。
あれから、私はレオンの為に夕飯のおかずも作って置いていく様になった。一人分なら一品で十分なので、グラタンやら玉子サラダやらオムライスやら中身を変えたキッシュやら卵焼きやら、それはもう色んな物を作っては置いていった。玉子料理ばかりも可哀想なので、普通の料理も作った。それをいちいち翌日になるとレオンがいかに美味しかったのかを事細かに説明してくれるので、――まあ、悪い気はしない。
どう考えても、これまで一切料理をしたことがなかった公爵令嬢が作る物としてはおかしい料理も多かったが、その辺りの違いは、普段調理場に入らない人間には分からないのだろう。どうもこれまでレオンは、自分では調理せず従者に適当な物を作らせていたらしく、てっきり自炊していると思ったがそれは私の勘違いだった様だ。考えてみればあの不器用さである。料理など、出来る筈もなかった。
何故知ったか。この間、ぽろっと「あいつはどうも雑でいかん」と零していたのだ。多分、例のナッシュ・チェスターのことだろう。レオンよりは不器用ではなさそうだったが、せっかちそうではあった。
「これは、油が美味しくないんじゃないか?」
マヨネーズを口の中で味わっていたレオンが、意見を述べた。私もそれには同意見だった。
「油が古いか、質がよくないのかもしれないわね」
私はそう言いながら一斗缶を見下ろした。どう考えても酸化してそうだ。
「じゃあいい油を探しに行きましょうか?」
「お酢もいいものが欲しいな。――ホルガーはどうする?」
レオンがテーブルで紙とにらめっこしているホルガーに尋ねた。
「ちょっとここまできっちりとまとめたいから、二人で行ってきてくれ。ナタのことは、くれぐれもよろしく」
「当たり前だ、任せてくれ」
「頼んだぞ」
ここも、半月の間に変わったところだ。レオンが私に変なことをしないということが分かったのだろう、ホルガーはレオンを信用するようになってきていた。どうも私とレオンが男女の色恋沙汰に突入するのではないかと心配していたフシもあるが、私達に共通するのがひたすらマヨネーズへの探究心だけなのが分かったのだろう。
私の体重が大分元に戻ってきているのも、ホルガーの肩の力が抜けた理由のひとつかもしれない。
「じゃあ戸締まりはしっかりな」
「分かった」
玄関を潜ってドアを閉じると、レオンが腰に手を当てて私を見下ろした。さて、とでも言いたそうな顔だ。
「……なに? 早く行きましょうよ」
「いや、うん、まああれだ」
「はい?」
私が片眉を上げた瞬間、レオンが私の手を握った。そして、ぐいっと私を引っ張りつつ往来へ出た。ホルガーよりも、かなり強引な歩みだ。
「えっちょっとちょっとレオン!」
私が驚いてレオンの背中に向けて言うと、レオンが振り返って横目で私を見た。
「……ホルガーとはいつも繋いでるじゃないか」
「いや、まあ、あれは迷子防止だし、ホルガーは従兄弟だし」
「じゃあ別に俺とだって構わないだろ」
そう言うと、前を向いてしまった。
いや、構うよな? そりゃあ初対面の時に酒樽の様に運ばれたり肩を抱かれたり、腕を組まれたり、二日酔いの時はあーんして食べさせたりとかもしましたけど。
ほんのりレオンの耳が赤い気がするのは、気の所為……な筈だ。
私は頭をかきむしりたくなった。
ああ、やめてくれ。私はもう誰かを好きになったりなんてしないんだから。恋愛脳へのシフトチェンジはしたくないんだから、勘違いするような態度を取られては困るのだ。
勘違いして期待するなんて、あんな気持ちはもう二度と味わいたくはないのだから。
私は俯いて、唇を噛み締めた。この先、私の愛情は全てマヨネーズに捧げると決めたのだ。いずれ野合はするかもしれないが、それも老後対策のひとつに過ぎない。
レオンの広い背中を見上げる。こいつは、これまで人に恵まれなかったのだろう。だから、今はこの研究の日々に新鮮味を感じているだけだろうが、従者がいるような立場の人間だ。いずれは祖国ウルカーンに戻り、家督を継ぐに違いない。私よりも年上だろうし、それなりの立場の人間ならば、向こうには婚約者もちゃんと用意されているのではないか。
だから、私も勘違いさせるような態度は避けなければならない。マヨネーズのレシピが完成した暁には、私はそれを有効活用してこの世界にマヨネーズを広め、マヨネーズ令嬢として時の人となってみせるのだ。
そうだ、と私はいいことを思いつく。その際には、隣国ウルカーンへの販路への足がかりとして、レオンにも協力を仰ごう。ウルカーンは強国だから、きっといい顧客になる。
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