上 下
22 / 73

(22)足を掴んではいけません

しおりを挟む
 レオンは、私に興味が湧いたと宣言した。

「は?」

 私が思い切り睨みつけると、レオンはにやりと笑った。

「異端な公爵令嬢ってのも面白い」

 人を、珍獣の様に言わないで欲しい。

「はい? ちょっと、人のことを面白いとか……」

 私が文句を言おうとしたその時、ようやくホルガーが水が入ったバケツを持って部屋に入ってきた。

「ナタごめん! 井戸端にいたおばちゃん達に捕まっちゃって!」
「ホルガー! 遅いわよ!」

 私が半泣きになってホルガーに言った。ホルガーが私とレオンの近すぎる距離にすぐさま気付き、それまでの柔和な笑顔が一変、こんな顔出来たんだ、という位恐ろしい顔になる。こめかみの血管がびきびきいっているのが、実に怖い。般若面みたいだ。

「レオン! 君はまたナタにそんなに近付いて……!」
「ホルガー、いいところに来た。お前も手伝ってくれ」
「は?」

 レオンは強メンタルの持ち主の様で、ホルガーの凄んだ姿などスルーし、当たり前の様にホルガーを呼び寄せた。

「お前は前を持ってくれ。俺はこいつの首からエプロンを外す」
「え? あ、ああ」

 ホルガーが、素直にレオンの手から内側に折り畳まれたエプロンを受け取る。ホルガー、素直過ぎるんじゃないか? さっきこいつは、私の首をもてあそんでいたんだぞ。そう伝えようかとも思ったが、こいつが所持する泡立て器は必須だ。それに元々ホルガーは、レオンに対し好印象を持っていない。

 私は小さく溜息をついて、ホルガーに愚痴ることを諦めた。代わりに、レオンに掴まれていた手を剥ぎ取り、自分の胸元に引き寄せた。その時の、レオンのからかう様な目つき。正直むかついたが、私はレオンの顔に泡立て器を当てはめることで、その怒りをやり過ごした。レオンは泡立て器、レオンは泡立て器だ。ついでに撹拌担当。

 レオンは今度は肌に触れないように両手を使って私の首からエプロンを外すと、汚れたそれをホルガーに押し付けた。

「井戸で洗ってきてくれ」
「わ、分かった」

 素直に聞くんかい。私が背中を向けてしまったホルガーを引き留めようと手を伸ばすと、レオンが私の二の腕を掴んで引き止めた。

「お前はその足をどうにかしないと駄目だ」
「じゃ、じゃあ井戸で洗ってくるわ」
「歩いて行って、俺んちの床を油まみれにする気か?」
「……」

 私は黙った。

「椅子を持ってくるから、動くな」

 レオンはそう言うと、私の返事も待たずに居間に向かってしまった。その俺んちの床を油まみれにする原因を作ったのはレオンな筈だが、いつの間にか私の所為になっている様な気がするのは、気の所為だろうか。

 レオンはすぐに椅子を持って戻ってくると、私を座らせた。ホルガーが汲んできた水入りのバケツを私の目の前に運んでくると、私の正面にしゃがみ込み、なんと私の足首を持ってしまった。そして。

「ちょちょちょちょちょっと!」
「うるせえな」

 この世界では、淑女たるものふくらはぎなんて男性に見せちゃいけない。見せていいのはせいぜい足首までだ。前世では足なんかガンガン出していたが、私は記憶を持つだけで基本この世界の人間だ。十六年間公爵令嬢として生きてきた私にとって、足を男性にさらけ出すなど、あり得ないことだった。

 それを、この男は膝までスカートの裾を思い切り捲くり上げたのだ。私は慌ててスカートを押さえると、足を引っこ抜きにかかる。ああもう、びくともしない。またもや顔だけでなく耳も首も猛烈に火照ほてってきた。

 そうこうしている間に、レオンは私の靴を脱がせて脇に置くと、私の足を引っ張ってバケツの中に突っ込んでしまった。

「こら、暴れるな」
「レオン! いくらなんでもこれはちょっとないからっ!」

 レオンは手で油を洗い流していく。指の間に指が入り込んでくるのが、いやこれは首よりもゾワゾワくるかもしれない。

 そして、レオンは人の話なんざ聞いちゃいなかった。

「ほっそい足だなあ。お前はもっと食え。な?」
「余計なお世話よ! 言われなくても食べますから!」
「本当意地っ張りだよな」
「人のスカートを捲くりながら何言ってんのよ!」
「人聞きの悪いことを言うなよ。俺がお前を襲ってるみたいじゃないか」
「襲っ……」

 とうとう、涙が溢れてしまった。可憐な十六歳の女性に向かって、こいつは言いたい放題、やりたい放題が過ぎる。

 レオンは丁寧に私の足を洗っていたが、黙り込んでしまった私に気付くと、私を見上げた。そして、しまった、という顔になった。

「あー……泣くなよ。これは本当に洗いたかっただけなんだって」
「もう離してよ」
「怒るなって。俺が汚したから、これでも一応気を使ったんだぞ」

 そうだったのか。にやにやしたりしてるから、てっきり面白がっているのだと思ったが。

 すると、レオンが余計なことを呟いた。

「まあ眼福は眼福だがな、俺としてはもうちょい肉が付いている方がそそるかな」
「レオーン……?」

 私が思い切り低い声を出しつつ睨むと、レオンが「ははっ」と引きつり笑いをしながら、足をタオルで拭き始めた。そういえば、こいつは育ちが良さそうな割に、大して知らない女の足を洗ったりする程度には気位が低い。

「……変な人」

 思わず呟くと、レオンが顔を上げて鮮やかな青い瞳を少しだけ笑わせつつ、答えた。

「お互い様だろ」

 マヨネーズ開発に突き進む公爵令嬢と、場所と道具提供だけでなく手伝いも買って出る隣国の育ちの良さそうな男性。――まあ、変だ。

 レオンが足を拭き終わると、バケツを横にどけてスカートを降ろした。ポン、と私の膝を軽く叩き、立ち上がる。

「お前の靴を買わないとだな。ホルガーの奴、ちっとも戻ってこないから二人で行くか?」

 またそういうことを言う。私がレオンを軽くめつけると、レオンが笑いながら井戸の方へと向かって行った。

「俺もこれを洗ってくるから、ついでにお前の憐れなお守り役を呼んでくるさ」

 そう言って、私の返事も待たずに消えてしまった。

「憐れ? ホルガーが?」

 私のホルガーの扱いは、そんなに乱雑だろうか。一応気は使って……いないな、と頷く。まあ確かにはたから見ても、いいようにこき使われている様にしか見えないのだろう。

 私はその場で二人が戻ってくるのを待つ間、ホルガーの立場改善にはどうすべきかと頭を悩ませたのだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

私のお母様に惚れた?私のお母様はお義母様で、お父様なのよ

京月
恋愛
ジークはレレイナのお母様に恋をしてしまった。 しかし、お母様には秘密があった。

だってお義姉様が

砂月ちゃん
恋愛
『だってお義姉様が…… 』『いつもお屋敷でお義姉様にいじめられているの!』と言って、高位貴族令息達に助けを求めて来た可憐な伯爵令嬢。 ところが正義感あふれる彼らが、その意地悪な義姉に会いに行ってみると…… 他サイトでも掲載中。

平凡令嬢は婚約者を完璧な妹に譲ることにした

カレイ
恋愛
 「平凡なお前ではなくカレンが姉だったらどんなに良かったか」  それが両親の口癖でした。  ええ、ええ、確かに私は容姿も学力も裁縫もダンスも全て人並み程度のただの凡人です。体は弱いが何でも器用にこなす美しい妹と比べるとその差は歴然。  ただ少しばかり先に生まれただけなのに、王太子の婚約者にもなってしまうし。彼も妹の方が良かったといつも嘆いております。  ですから私決めました!  王太子の婚約者という席を妹に譲ることを。  

私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?

新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。 ※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!

【完結】公爵令嬢はただ静かにお茶が飲みたい

珊瑚
恋愛
穏やかな午後の中庭。 美味しいお茶とお菓子を堪能しながら他の令嬢や夫人たちと談笑していたシルヴィア。 そこに乱入してきたのはーー

愛せないと言われたから、私も愛することをやめました

天宮有
恋愛
「他の人を好きになったから、君のことは愛せない」  そんなことを言われて、私サフィラは婚約者のヴァン王子に愛人を紹介される。  その後はヴァンは、私が様々な悪事を働いているとパーティ会場で言い出す。  捏造した罪によって、ヴァンは私との婚約を破棄しようと目論んでいた。

記憶がないので離縁します。今更謝られても困りますからね。

せいめ
恋愛
 メイドにいじめられ、頭をぶつけた私は、前世の記憶を思い出す。前世では兄2人と取っ組み合いの喧嘩をするくらい気の強かった私が、メイドにいじめられているなんて…。どれ、やり返してやるか!まずは邸の使用人を教育しよう。その後は、顔も知らない旦那様と離婚して、平民として自由に生きていこう。  頭をぶつけて現世記憶を失ったけど、前世の記憶で逞しく生きて行く、侯爵夫人のお話。   ご都合主義です。誤字脱字お許しください。

王太子が悪役令嬢ののろけ話ばかりするのでヒロインは困惑した

葉柚
恋愛
とある乙女ゲームの世界に転生してしまった乙女ゲームのヒロイン、アリーチェ。 メインヒーローの王太子を攻略しようとするんだけど………。 なんかこの王太子おかしい。 婚約者である悪役令嬢ののろけ話しかしないんだけど。

処理中です...