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遭遇

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 私達は、線路の遥か上を風に乗って飛んでいく。

 眼下には、音を立てて通り過ぎる電車。人のざわめきはここまでは届かず、渋谷駅に近い辺りから立ち昇っているかの様に見える明かりが、何故か私に淋しさを覚えさせた。

 私もあの場所で働いている人間のひとりだから、あの喧騒を構成している一部なのは間違いないのに、感じるのはちょっとした疎外感とノスタルジックな感傷だった。私の心の中だけの毒舌も、ちょっとなりを潜める程度には。

 ぎゅ、とソラの首にしがみつくと、ソラが耳元で尋ねる。

「ハル? 怖い?」
「……うん、ちょっとだけ」

 ソラがいるから、空を飛んでいくのはちっとも怖くない。この子は私を離さない、会ったばかりだけどそんな安心感を与えてくれる不思議な雰囲気を持った子だ。だから怖いのはそこではない。狼達に追いかけられるのは怖いが、あれだって私の家まで辿り着けばどうにかなりそうだと思えた。

 怖いのは、孤独感を覚えたことに対してだ。世界には、私しか存在しない。ずっとそんな気持ちで生きてきた。
 
 怪異は私の目にしか映らず、唯一の仲間でもあった母はその怪異に食われて死んだ。怪異は私を襲ってくることはなかったが、今こうしてようやく同じ物を目にすることが出来るソラを、怪異が私から再び奪おうとしている。そのことが、何よりも恐ろしかった。

 ――ソラ自身も、怪異のひとりであるにも関わらず。

「ごめんな、ハルを巻き込んじゃって」
「ううん、違うの、そうじゃないんだ」

 ソラは少しずつ降下していく。井の頭通りを超え、渋谷のハローワーク周辺上空を漂う。冷静になって考えてみると、どんな状況だこれ。傘を持ってたら、メリーさんになれるかもしれない。よく知らないけど。家庭教師だっただろうか。

「ソラ、一緒に家に帰ろう」

 ソラが私に向けた好意は、もしかしたら恋じゃないかもしれない。保護してもらえるかもしれないという期待、甘いという私の血の匂い、それらが起因しているんじゃないか。

「……ああ、帰ろう」

 だけど、私の想いだって、似たようなものだ。初めからソラには惹かれたけど、ソラとなら分かち合える世界がある、そのことに私は固執してしまっている。

 世界は私ひとりじゃなかった、ソラがいる。

 ソラの言葉に、私の目には涙がじんわりと浮き出てきた。心からの安堵を覚える。ひとりで頑張らなくていいんだ、一緒に笑える人がいるんだ、そのことが、私の背中を押した。

「私も、ソラが好きだよ」

 たった数時間前に会ったばかりの相手に告白など、数時間前以前の私が聞いたら「ばっかじゃねーの」と鼻で笑うだろうが、だってもうそう思ってしまったのだ、仕方がないだろう。数時間前の私だって、同じ立場になったらきっと分かる。

 初対面の男の子に告白する阿呆はここにいるよ! と。

「ハル……!」

 明日からもどうなってしまうか分からない今のこの状況だが、それでもいいと思った。私達は下降しながら、再び唇を合わせる。私も、今度は抵抗しなかった。ああやばい、真面目なハルは今日で卒業しました、卒業祝いはキスです、なんてそれこそ阿呆な言葉が頭の中を流れる。

 ソラの舌が私の唇をぺろりと舐めたところで、ソラが言う。

「そろそろ降りるよ。家の場所を教えて。後は走るから」
「家は、あっちの方。案内する」

 私が暗い大きな穴と見紛う代々木公園の手前辺りを指差すと、ソラはこくりと頷き笑った。瞳が、爛々と紅く輝き始める。

「あいつら、ハルのことを知ってたな」
「うん……何なんだろ。私はどっちも知り合いじゃないのに」
「ハルの母親のことも知ってたみたいだな」

 段々と、地面が近付いてくる。ソラが飛び乗ろうとしているのは、マンションの屋上の様だった。

「お母さんは、私が高校生になったばっかの時に、アパートの階段で黒い大きな影に襲われたの」
「もしかして、さっきの人狼の仲間かな?」
「あの言い方だと、そうだったんだと思う。黒い毛むくじゃらの大きな人って曖昧な記憶しかなくて」

 現場を目撃した私がどうやって助かったのか、黒い影がどこに行ってしまったのかも、血まみれの母の姿がショック過ぎて全く覚えていなかった。

「気が付いたら、大家さんの部屋で寝かされてて」
「……そうなんだ」
「うん。そうそう、ハスキー犬みたいな灰色っていうか銀色の犬が私の頭の所に丸くなって寝ててね、大家さんちの犬なのかなあなんて思ったんだけど、次に目が覚めた時にはいなくって」
「犬?」
「うん。大家さん、犬なんて飼ってないよって。それは普段は目に見えないハルちゃんの守り神なのかもね、なんて慰めてもらったな」
「守り神、ねえ……」

 ソラは、眉をしかめながらボソリと呟いた。

 母の遺体は激しく損傷され、唯一綺麗だった顔だけ対面することが許された。葬儀も何もかも、呆然としている私の代わりに、大家さんが全て手配してくれた。だから私は、ただ座っていただけだ。後で聞いたところによると、母に万が一のことがあった時の為に、大家さんに頼んでいたらしい。

 ボロいアパートに住んでいたとは思えない程の資産を母が所有していることが判明したのは、相続する時になってからだ。私の母、ナツカは若い頃に色々と大変な目に遭って、いずれ私に話さないとな、と大家さんに言っていたそうだ。だが、それももう母亡き今は叶わない。

 大家さんはまだ何か知っていそうだったが、事件の後は私に刺激を与えない為か、花をお供えする時以外は母のことには一切触れなくなってしまった。

 五・六階建てのマンションの屋上はアンテナが並び、ソラはその上にトンと降りたのに、それはひしゃげることもない。

 とその瞬間。

 ガン!! と激しい音と共に、足場のアンテナが横に吹っ飛んだ。

「ソラ!」
「掴まって!」

 マンションの屋上から飛び出したアンテナは、弧を描いて道路へと落下していく。ソラが異能力で重力を操作したのか、私達は急に地面に勢いよく落下すると、着地したところを狙って黒い影が飛び込んで来た。

「ツ……ッ!」

 すれ違い様にソラの足を削って行ったそれが屋上の縁で止まると、クルリとこちらを向く。先程の二匹よりも大分小さいが、それこそシベリアンハスキー程の大きさはある狼だ。ジリ、とこちらの様子を窺う様に警戒しているそれが首に黒いスカーフの様なものを巻いているのが、ちょっと可愛らしい。

「ソラ!」
「大丈夫、掠っただけ」

 ソラはケロッとしてそう言った。爽やかな表情に、私は安堵を覚える。

 チビ狼が、ソラに向かって吼えた。

「この外来種、ハルさまを離せー!」
「さ、さま?」

 思ったよりも可愛らしい声のその言葉の内容に、私は驚き聞き返した。
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