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第四章 マンドラゴラの王様
31 見知らぬ訪問者
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人間の町についても一通りの説明はしたけど、百聞は一見に如かずだ。吾郎くんがいずれここから出て行くことも視野に入れると、本格的な冬が来て外出しにくくなる前に、町に何度か足を運びたい。
支度をして、家を出る。私の隣をご機嫌で歩く吾郎くんを見上げた。
吾郎くんが生まれた時の姿について、疑問があった。山崎さんの知る伝承がその通りだったとしたら、根子神様は少年の姿をしている筈だ。だけど吾郎くんは、どう見ても成人男子だ。これはどういった違いによるものか。
町へは、徒歩だとかなりかかる。私は自転車に跨ったけど、吾郎くんは徒歩だ。よって、話す時間はたっぷりあった。
「ねえ吾郎くん。吾郎くんには、その根子神様の時の記憶ってあるの?」
かつての根子神様と吾郎くんが同一人物ならば、彼が初めから言葉を理解していたことにも説明がつく。外界を怖がる素振りを見せたことに関しては謎だけど、久々に見た光景だったから忘れていた可能性はないか。
だけど、私の考えはあっさりと否定された。
「僕は僕だよ。山崎さんが言ってた根子神様は、僕とは違うマンドラゴラだと思う」
「え? そうなの?」
根子神様の再降臨とか言っていたので、てっきり同じ人かと思っていた。
「じゃあ、吾郎くんの記憶はいつから始まってるの?」
「いつ……」
質問が難しかったか。吾郎くんは暫くうーんと唸った後、ぽんと手を叩いた。最近は漫画も読める様になった彼の動作は、大分いまどきの人達に近いものになってきている。観るものも、そろそろ大人向けのテレビドラマに移ろうかと考えている段階だった。
「美空の声が聞こえた」
「え、私?」
まだ山の中に生っている植物くんだった頃の彼を、時系列に思い返す。額だけが出ていて、やがて瞼が出てきた。それから耳が出てきて、耳掻きをしてあげたことが懐かしい。
今でも時折、耳掻きをして、と私の膝にころんと寝転がることがある。あれはもしかしてあの時の記憶を思い返しているのか。
「うん、美空が笑ってた。なんて言ってたかな? 綺麗になったね、だったかな」
そんなことを言っただろうか。記憶になかったけど、多分耳掃除をしながら喋っていたんだろう。なんせあの頃から独り言は得意技だ。私が首を傾げていると、吾郎くんが幸せそうに笑う。
「その声を聞いたら、凄い嬉しくなったんだ。急に周りが明るくなったみたいだった。でも何も見えなくてね。だから、誰が喋ってるのか見たくなった。見たいなって思ったら、目が開いたんだ」
私もその時のことは覚えている。吾郎くんの顔を押さえながら耳掻きをしていたら、手を濡らすものがあった。初めて瞼を開いたことによる生理的な涙だろうけど、涙に濡れる紫色の虹彩を見た時の感動は忘れられない。それが、細められて笑みの形になったことも。
私があの時のことを思い返していると、吾郎くんがハンドルを握る私の手を上から握り、笑いかける。
「美空。僕は、美空が喜ぶことがしたい」
吾郎くんが、熱の篭った目で私の目を遠慮なく覗き込む。私の奥にいる臆病な私に問いかける様に。怖くないよ、出ておいで。私が初めて目を開けた彼に伝えた時と同じ、いやそれ以上に熱心なそれは、私を外の世界へと誘う。だけど私は――。
何も答えられないでいると、吾郎くんが私の頭を撫でた。
やはり私は、何も答えることが出来なかった。
◇
食料品をこれでもかと買い込んだ帰路は、興奮気味の吾郎くんに相槌を打つので精一杯だった。
正直言って大して栄えておらず、どちらかと言わなくてもかなり過疎化が進んでいる町の商店街なんて、はっきり言ってしょぼい。だけど、そこに目を付けたのが大型チェーン店だ。広大な駐車場が用意され、町中の人が集結しても停められそうな収容力がある。そこでは一通りの物が全て揃う為、あちこち彷徨くほどの体力がない私は、真っ直ぐにこの場所へ向かった。
これまで見たこともない様々な物が棚に陳列されているのを見た吾郎くんは非常に感激し、あれなに? これなに? なになになに? と私を質問攻めにした。イートインコーナーでは、これなにこれなに、とたこ焼きをはふはふ口に頬張り、大興奮のまま帰路に着いて現在に至る。
とても楽しそうな吾郎くんを見ていたら、やはりあの寂れた場所に彼を縛り付けておくのはもう限界だと感じた。子供は好奇心の塊だし、吾郎くんは子供に毛が生えた程度だ。外にもっともっと広い世界があることが、これで少しは実感出来ただろう。
外の世界を見て、それでも私の様にあの地に戻ってくるなら、それはそれでいい。だけど、今の私が吾郎くんにやっている行為。世界を見せずに本人が気付かないまま縛り付けておくことは、あまりに卑劣に思えた。
行きとは違い、帰りは早かった。重い荷物なんてものともせず、ずっと楽しそうに喋り続ける吾郎くん。吾郎くんは、あちら側にいるべき人間、まあマンドラゴラだけど、だと思えてくる。ならばもう、彼を外に出してあげよう。いつまでもぐちゃぐちゃと私一人が悩んでいても、仕方がない。
吾郎くんにちゃんとした戸籍が出来たら、山崎さんに相談すればいい。彼は町長なだけあって、顔が広い。きっとこれから、吾郎くんを更に先へと導くことも出来るだろう。
そうと決めたら、心が少し軽くなった。寂しいのは最初だけだ。すぐに慣れる。父の時がそうだった様に。母の時もそうだった様に。
「――美空」
家の近くまで来た時、それまで夢中になってお喋りをしていた吾郎くんが、急に警戒する様な声を出した。
「何? どうしたの?」
あまりの真剣さに、小心者の私は思わず身を強ばらせる。
「……誰かいる」
「え?」
センター長か。いや、今は配送待ちの物はない。とすると、山崎さんと母か。いや、今は平日の真っ昼間だ。来る筈がない。二人共、平日は働いている。
「……誰だろう?」
「車が停まってるよ」
「本当だ」
林道を抜け、家の前のスペースが視界に入る。確かに吾郎くんが言う通り、見覚えのない白い小型車が停車していた。
支度をして、家を出る。私の隣をご機嫌で歩く吾郎くんを見上げた。
吾郎くんが生まれた時の姿について、疑問があった。山崎さんの知る伝承がその通りだったとしたら、根子神様は少年の姿をしている筈だ。だけど吾郎くんは、どう見ても成人男子だ。これはどういった違いによるものか。
町へは、徒歩だとかなりかかる。私は自転車に跨ったけど、吾郎くんは徒歩だ。よって、話す時間はたっぷりあった。
「ねえ吾郎くん。吾郎くんには、その根子神様の時の記憶ってあるの?」
かつての根子神様と吾郎くんが同一人物ならば、彼が初めから言葉を理解していたことにも説明がつく。外界を怖がる素振りを見せたことに関しては謎だけど、久々に見た光景だったから忘れていた可能性はないか。
だけど、私の考えはあっさりと否定された。
「僕は僕だよ。山崎さんが言ってた根子神様は、僕とは違うマンドラゴラだと思う」
「え? そうなの?」
根子神様の再降臨とか言っていたので、てっきり同じ人かと思っていた。
「じゃあ、吾郎くんの記憶はいつから始まってるの?」
「いつ……」
質問が難しかったか。吾郎くんは暫くうーんと唸った後、ぽんと手を叩いた。最近は漫画も読める様になった彼の動作は、大分いまどきの人達に近いものになってきている。観るものも、そろそろ大人向けのテレビドラマに移ろうかと考えている段階だった。
「美空の声が聞こえた」
「え、私?」
まだ山の中に生っている植物くんだった頃の彼を、時系列に思い返す。額だけが出ていて、やがて瞼が出てきた。それから耳が出てきて、耳掻きをしてあげたことが懐かしい。
今でも時折、耳掻きをして、と私の膝にころんと寝転がることがある。あれはもしかしてあの時の記憶を思い返しているのか。
「うん、美空が笑ってた。なんて言ってたかな? 綺麗になったね、だったかな」
そんなことを言っただろうか。記憶になかったけど、多分耳掃除をしながら喋っていたんだろう。なんせあの頃から独り言は得意技だ。私が首を傾げていると、吾郎くんが幸せそうに笑う。
「その声を聞いたら、凄い嬉しくなったんだ。急に周りが明るくなったみたいだった。でも何も見えなくてね。だから、誰が喋ってるのか見たくなった。見たいなって思ったら、目が開いたんだ」
私もその時のことは覚えている。吾郎くんの顔を押さえながら耳掻きをしていたら、手を濡らすものがあった。初めて瞼を開いたことによる生理的な涙だろうけど、涙に濡れる紫色の虹彩を見た時の感動は忘れられない。それが、細められて笑みの形になったことも。
私があの時のことを思い返していると、吾郎くんがハンドルを握る私の手を上から握り、笑いかける。
「美空。僕は、美空が喜ぶことがしたい」
吾郎くんが、熱の篭った目で私の目を遠慮なく覗き込む。私の奥にいる臆病な私に問いかける様に。怖くないよ、出ておいで。私が初めて目を開けた彼に伝えた時と同じ、いやそれ以上に熱心なそれは、私を外の世界へと誘う。だけど私は――。
何も答えられないでいると、吾郎くんが私の頭を撫でた。
やはり私は、何も答えることが出来なかった。
◇
食料品をこれでもかと買い込んだ帰路は、興奮気味の吾郎くんに相槌を打つので精一杯だった。
正直言って大して栄えておらず、どちらかと言わなくてもかなり過疎化が進んでいる町の商店街なんて、はっきり言ってしょぼい。だけど、そこに目を付けたのが大型チェーン店だ。広大な駐車場が用意され、町中の人が集結しても停められそうな収容力がある。そこでは一通りの物が全て揃う為、あちこち彷徨くほどの体力がない私は、真っ直ぐにこの場所へ向かった。
これまで見たこともない様々な物が棚に陳列されているのを見た吾郎くんは非常に感激し、あれなに? これなに? なになになに? と私を質問攻めにした。イートインコーナーでは、これなにこれなに、とたこ焼きをはふはふ口に頬張り、大興奮のまま帰路に着いて現在に至る。
とても楽しそうな吾郎くんを見ていたら、やはりあの寂れた場所に彼を縛り付けておくのはもう限界だと感じた。子供は好奇心の塊だし、吾郎くんは子供に毛が生えた程度だ。外にもっともっと広い世界があることが、これで少しは実感出来ただろう。
外の世界を見て、それでも私の様にあの地に戻ってくるなら、それはそれでいい。だけど、今の私が吾郎くんにやっている行為。世界を見せずに本人が気付かないまま縛り付けておくことは、あまりに卑劣に思えた。
行きとは違い、帰りは早かった。重い荷物なんてものともせず、ずっと楽しそうに喋り続ける吾郎くん。吾郎くんは、あちら側にいるべき人間、まあマンドラゴラだけど、だと思えてくる。ならばもう、彼を外に出してあげよう。いつまでもぐちゃぐちゃと私一人が悩んでいても、仕方がない。
吾郎くんにちゃんとした戸籍が出来たら、山崎さんに相談すればいい。彼は町長なだけあって、顔が広い。きっとこれから、吾郎くんを更に先へと導くことも出来るだろう。
そうと決めたら、心が少し軽くなった。寂しいのは最初だけだ。すぐに慣れる。父の時がそうだった様に。母の時もそうだった様に。
「――美空」
家の近くまで来た時、それまで夢中になってお喋りをしていた吾郎くんが、急に警戒する様な声を出した。
「何? どうしたの?」
あまりの真剣さに、小心者の私は思わず身を強ばらせる。
「……誰かいる」
「え?」
センター長か。いや、今は配送待ちの物はない。とすると、山崎さんと母か。いや、今は平日の真っ昼間だ。来る筈がない。二人共、平日は働いている。
「……誰だろう?」
「車が停まってるよ」
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