マンドラゴラの王様

ミドリ

文字の大きさ
上 下
25 / 48
第三章 根子神様

25 観察日記を見せてみる

しおりを挟む
 ――根子神様? ゴラくんが? そもそも根子神様が何かも知らないけど。

 根っこのバリケードの隙間から、小柄な山崎さんがぴょんぴょん跳ねている。だけど、ゴラくんは私を守ろうと必死なのか、私を山崎さんから遠ざけようとしており、視界が邪魔されてよく見えない。

「あの、ゴラくん、あの人は大丈夫だよ。お母さんの旦那さん。ええと――夫婦!」
「そうなの?」

 ようやく、ゴラくんの身体の強張りが取れてきた。私の言葉で、山崎さんの敵認定は解除されたらしい。そして母は何をしているかというと、こたつに入って一人ずずず、とお茶を啜っていた。こういう人なのだ。

「じゃあ止める」

 ゴラくんはそう言うと、どういう原理なのか、シュルシュルと身体のあちこちから生えた根を引っ込め始めた。だけどここで、問題が起きる。バリケードを作る際に隙間なく根を絡めてしまったので、根が複雑に絡まったままのだ。収集される内に、ゴラくんの身体がキュッと絞められていく。私を腕の中に包み込んだまま。

「美空! 助けて!」

 何とも間抜けな半泣きの顔でそんなことを言われては、最近活発に活動している私の母性本能が、これでもかと擽られてしまう。またもや苦しくなる心臓を、拳で上から押さえた。密着するゴラくんの腕の中で、本気で息苦しくなってきた圧迫に耐えながら、問い返す。

「どうしたらいいの!」
「どこかにさっきの子の葉っぱがあるから、取って!」

 なるほど。分かり易い。私は片腕を引っこ抜くと、ゴラくんの頭に生えている葉っぱをピン! と一気に引き抜いた。

 途端、絡んでいた根はみるみる内に皺々に枯れ果て、ゴラくんとの接続部から落ちていく。こういう仕組みになっているのかと感心していると、枯れた根のバリケードの向こうから、興奮気味の山崎さんの顔が覗いた。



 人数分のお茶を用意して、小さなこたつに入るともうぎゅうぎゅうだ。

 母が、お茶のお代わりを美味しそうに飲みつつ言う。

「美空、こたつちょっと小さいんじゃない?」
「そうなんだよね。そう思って、大きいのに買い換えようとして大掃除をしていたら、名雲さんが来て大騒ぎになったんだよ」

 名雲さんと聞いて、山崎さんのこめかみがピクリと震えた。名前はセンター長から聞いているのだろう。

「よりによって由紀ちゃんの大事な美空ちゃんをそんな目に合わせるなんて、不届き千万だ!」
「ゴラくんだっけ? がいてよかったわねえ、美空」
「うん、そうだね」

 母親ならもう少し慌てるとか何とかあって然るべきだと思うけど、その点母は楽観主義というか、済んでしまったことはまあいいかな人なので、娘の心配もあまりしない。そもそも心配する様な母だったら、再婚する時に私を無理矢理にでも町に連れて行っていただろう。

 本人曰く、「逞しく生きろ。人生は一度きりだ」だそうだ。我が母ながら、その辺の男性よりも遥かに逞しい信念だ。

 今はもう連絡も完全に途絶えた級友達は、よく彼女たちの母親の過干渉を嘆いていたけど、私に限ってはそれはない。でも、放置されていた訳でもない。好きな様に選択させてもらっていた、と言った方が正しいだろう。

 大学の雰囲気にどうしてもついていけなくなった時、悩み悩んで母にようやく打ち明けた中退したいという願いは、「後悔しないならいいんじゃない?」のひと言であっさりと受理された。どうしてだとか、努力はしたのかとか、私を責める様な言葉は一つもその口からは出て来なかった。

 だから、甘えていると思われそうだったけど、今はこの場所でゆっくりと過ごしたいと伝えると、一応一度はあった町へ一緒に行くかの声掛けはもう二度となかった。

 去る母の後ろ姿を見送るのは、寂しくなかったと言えば嘘になる。孤独を感じてしまい、落ち込んだのもまた事実だ。

 だけど、ここから離れてはいけないという焦燥感が、私の中には常にあった。

 私の居場所はここしかなく、ここから動くことは精神的な死を意味すると思えるくらい、この地から離れるのが恐ろしかった。

 もしかすると、大学でうまくやれなかったのも、根底にこの思いがあったからじゃないかと思っている。

「ちなみに、どこでどう出会ったんだい?」

 山崎さんは、興味津々だ。彼がどうして根子神様という存在を知っていたかの話は、まだ聞かされていない。山崎さんは先祖代々この地に住んでいるそうなので、伝承か何かにあるんだろうか。

「うちの山が裏にあるんですけど、そこに生えてたんです」
「生えてた! へえー! どんな風にだい?」

 前も思ったけど、写真の一枚でも撮っておけばよかったと本当に後悔した。日頃誰ともやり取りをしない携帯は、私の部屋にほぼ常駐している。だから、それもあって、写真を撮ろうという考えがあの時は起こらなかったのだ。

 額が地面から飛び出ているあの姿は衝撃以外の何物でもなかったけど、それを記録として残しておけば、物的証拠として、その根子神様とやらを知らない人にも信じてもらい易かったんじゃないか。

 だけど、時既に遅し。ゴラくんがこうして人間と同じ様に過ごす存在となった以上、今さっきの様に不思議な現象を見せてくれない限り、最早誰も信じないだろう。

 逆に、何故山崎さんがこうもすんなりと信じたかの方が不思議だ。まあ、この柔軟性がなければ、母と結婚なんてそもそも無理だったかもしれないけど。

「あ、観察日記があるので読みますか?」
「観察日記? 書いたの?」
「はい」

 私が真面目な顔で答えると、母は可笑そうにケラケラと笑った。山崎さんはどう反応すべきか戸惑っているのか、微妙な笑いを浮かべている。だけど、興味はあるらしい。狭いこたつ板の上に身を乗り出すと、人の良さそうな笑顔に変わる。

 部屋から観察日記を持ってきて手渡すと、時に目を見開きながら、時にくすりと笑いながら、熱心に最後まできちんと読んでくれた。
しおりを挟む
感想 61

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

【完結】失いかけた君にもう一度

暮田呉子
恋愛
偶然、振り払った手が婚約者の頬に当たってしまった。 叩くつもりはなかった。 しかし、謝ろうとした矢先、彼女は全てを捨てていなくなってしまった──。

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

子持ちの私は、夫に駆け落ちされました

月山 歩
恋愛
産まれたばかりの赤子を抱いた私は、砦に働きに行ったきり、帰って来ない夫を心配して、鍛錬場を訪れた。すると、夫の上司は夫が仕事中に駆け落ちしていなくなったことを教えてくれた。食べる物がなく、フラフラだった私は、その場で意識を失った。赤子を抱いた私を気の毒に思った公爵家でお世話になることに。

傲慢令嬢は、猫かぶりをやめてみた。お好きなように呼んでくださいませ。愛しいひとが私のことをわかってくださるなら、それで十分ですもの。

石河 翠
恋愛
高飛車で傲慢な令嬢として有名だった侯爵令嬢のダイアナは、婚約者から婚約を破棄される直前、階段から落ちて頭を打ち、記憶喪失になった上、体が不自由になってしまう。 そのまま修道院に身を寄せることになったダイアナだが、彼女はその暮らしを嬉々として受け入れる。妾の子であり、貴族暮らしに馴染めなかったダイアナには、修道院での暮らしこそ理想だったのだ。 新しい婚約者とうまくいかない元婚約者がダイアナに接触してくるが、彼女は突き放す。身勝手な言い分の元婚約者に対し、彼女は怒りを露にし……。 初恋のひとのために貴族教育を頑張っていたヒロインと、健気なヒロインを見守ってきたヒーローの恋物語。 ハッピーエンドです。 この作品は、別サイトにも投稿しております。 表紙絵は写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

絶対に間違えないから

mahiro
恋愛
あれは事故だった。 けれど、その場には彼女と仲の悪かった私がおり、日頃の行いの悪さのせいで彼女を階段から突き落とした犯人は私だと誰もが思ったーーー私の初恋であった貴方さえも。 だから、貴方は彼女を失うことになった私を許さず、私を死へ追いやった………はずだった。 何故か私はあのときの記憶を持ったまま6歳の頃の私に戻ってきたのだ。 どうして戻ってこれたのか分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。 私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。

処理中です...