マンドラゴラの王様

ミドリ

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第二章 事件発生

20 雰囲気に流される

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 人間、雰囲気には流されるものだ。それは私にも例外なく適用され、押し倒されながらの初めてのキスに脳みそが溶けかかっていた私は、一向に終わらないそれに完全に意識を持っていかれていた。初めは重ねるだけだったものは段々と啄むものに変わり、部屋に響く音は、確かに私がゴラくんとキスをしてしまっていることを証明していた。

 もうどれくらいこうしているのか。ぼうっとする頭で、壁掛けの時計を見る。その途端、私は驚いて「わっ!」と声を出してしまった。ゴラくんも驚いた顔で私を見ているけど、今は勘弁してほしい。

「ゴラくん! 雪の中に人を放っておくと、凍って死んじゃうよ!」

 そう。今の今まで、すっかり名雲さんの存在を忘れてしまっていた。名雲さんがチャイムを押してから今まで、軽く一時間は経過している。荷台で襲われそうになりゴラくんが助けてくれるまで三十分も掛かっていなかっただろうから、単純計算でももう三十分以上ここでこうしていることになる。いくらなんでもやり過ぎだ。

「死んじゃったら駄目なの?」

 ゴラくんが、何がいけないんだとばかりに聞き返す。ああ、まだ基本的人権や警察にどうしたら捕まるのかとかいった辺りの勉強まではしていなかった。これから詰め込もう。

「人は殺しちゃいけません!」
「縛ってるだけだよ」
「そういうのは故意って言うの!」
「こい?」
「そう、故意っていうのはわざとって意味で、過失っていうのはわざとじゃないって意味なんだけど、――じゃなくて!」

 今は殺人の意思の有無について語っている場合じゃない。でも、ゴラくんは私を離そうとはしなかった。

「あいつは危険だから近付いちゃ駄目」
「でも、荷物が!」

 そう。まだゴラくんの服の受け取りサインもしていなければ、肝心の荷物も荷台に置かれたままだ。カードで支払ってある物を、あそこに放置しておいていい訳はない。すると、荷物についてはゴラくんも納得したらしく、こくんと可愛らしく頷いた。

「荷物は大事。一緒に取りに行こう。美空はどれか分かる?」

 ひとまず人命は置いておき、荷物を優先することにしたらしい。ゴラくんと共に、玄関へ向かう。サンダルを表に脱ぎ捨ててきてしまったので、代わりに長靴を履いた。

 もしかしたら、あれから更に積もっているかもしれない。名雲さんは凍死していないだろうか。

 人を襲うという言語道断な所業を行なった人ではあるけど、報復行為として縛り付けた上で吹雪いている外に放置するのは望まざる死を招く可能性が高いから、荷物を回収したら名雲さんの命をどうにかしなければならない。

 警察を呼ぶべきか。だけど、派出所の白髪の山内さんをここまで呼びつけるのは忍びない。それに山内さんは腰痛持ちなので、筋肉もりもりの名雲さんを連行して町まで戻るのは、至難の業だろう。
 表に一歩出ると、雪の勢いは更に増しており、ほぼ地面に平行に吹雪いている。

 これは名雲さん、ちゃんと生きているだろうか。彼が縛り付けられている方を見たけど、視界はホワイトアウト状態。何も見えない。

「美空、荷物はどれ?」

 雪が入り込んで若干積もり始めた荷台の前に立ったゴラくんが、尋ねる。名雲さんがいる方には注意も払わない。よく見ると、先程飛び出ていた葉っぱが一枚まだぴょこんと頭にくっついているので、あの木と交信出来ている状態なのかもしれない。メルヘンよりは若干ホラー色が強い。

「これ。この大きいのと、この小さいの」
「じゃあ運んじゃうね」

 私だったら抱えられない大きなダンボールも、ゴラくんは容易に運べる。いいなあ、と純粋に羨ましく思った。全体的に色んな部分が小さい私は、どうしたって大きな男性には勝てない。いつかゴラくんをきちんと独り立ちさせたらまた一人になるというのに、このままひ弱でいいものか。吹雪いてよく見えない、名雲さんがいる方向へと目を向ける。

 今回の名雲さんという顔見知りによる犯行は、私に過疎地で一人暮らしをする女の弱さというものをまざまざと見せつけた。全部の男性が力尽くで女性をどうこうしようという訳じゃないだろうけど、多かれ少なかれ征服したいという気持ちを持つのが男性脳の特徴、と聞いたことがある。

 その証拠に、先程はゴラくんも、私にそこそこ強引なキスをしたじゃないか――。

 外は吹雪いて寒いというのに、私の身体はカアアッと熱くなった。いや、でも私が抵抗したかというと、していない気もする。順繰りと思い返す。うん、抵抗していない。名雲さんが近付いてきた時は、嫌悪感で一杯になりとにかく暴れて頑張って抵抗したのに。あまり効果があったとは言えないけど。でも、そんな私がゴラくんには抵抗しなかった。……何故か。

 私は、まともな恋愛をしたことがない。恋愛をするには、あまりにも臆病で奥手過ぎた。だから、初恋は三次元ではなく、ハックルベリー・フィンだった。トム・ソーヤーやピーターパンといったヒーロー的な少年でないところに、私のちょっとひねくれた好みというのが反映されているのかもしれない。大胆で臆病でそれでいて優しいところが、無償に惹かれた。

 それがまるきりゴラくんに当てはまる項目だったことに気付いた私は、一向に戻ってこなくて心配したのだろうゴラくんが傘を差して戻ってきたというのに、見上げるだけで何も言えなかった。
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