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第二章 事件発生
17 宅配業者の名雲さん
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ゴラくんが我が家に来てからというもの、正直言って、散財しまくっている。だけど、これまで食費以外の使い道はほぼなかったので、義理の父親である山崎さんから送金されてくるお金は結構な額が溜まっていた。年を取ってから縁あって娘となった私のことが心配の様で、しょっちゅう母を介して一人で不自由していないかと連絡を入れてくる、お人好しの義父だ。
その娘が、振り込んだお金を男の為にバンバン使っていることを知ったら、きっと卒倒するに違いない。
これは言えない。口が裂けても言えない。だけど、毎年年末年始はあちらの家で過ごすことになっているので、そろそろゴラくんの存在をどう公表するかも考えねばならない時期に来ていることも確かだ。
「美空?」
「はっ」
どうやら私は、ゴラくんに手をスリスリちゅっちゅされながら、また思考の波に流されその他の活動を停止していたらしい。
「ごめんごめん。じゃあ、二人共一旦休憩して温まろうか」
「うん」
嬉しそうに微笑むゴラくん。紫眼は本当に綺麗で、いつもそれを食い入る様に見てしまう。今もそうだ。ゴラくんが私から目を逸らさないから、視線を逸らすタイミングを逃している。ゴラくんが、ゆっくりと私を引き寄せ――。
ピンポーン、と古臭いチャイムの音が鳴った。
「あ! 多分宅配便だ!」
多分じゃなくて、絶対宅配便の名雲さんだ。それ以外、この家を訪れる人は皆無だから。
手を引っこ抜き、ゴラくんに背中を向けつつ伝える。
「そうしたら、ゴラくんはお湯を沸かしておいてくれる? お茶の時間にしよう」
「うん、分かった」
にっこり笑顔のゴラくんが台所に向かっていった。私は玄関に向かいながら、ドキドキ高鳴る心臓を上から押さえ、落ち着け、落ち着けと自分に言い聞かせる。ゴラくんのあれは、親に甘える子供のそれだ。私はゴラくんの母代わりであり、彼の健やかなる成長を見守る義務がある。
孵ったばかりの雛の如く純粋無垢なゴラくんが見せる態度を、勘違いしてはならない。そして勘違いさせてもならない。彼には無数の未来の選択肢がある筈で、私がそれを阻害する訳にはいかないのだから。
「秋野さーん? いらっしゃいませんかー?」
やっぱり名雲さんの声だ。ゴラくんと同居を開始した結果、毎日発声することで大分音量が出る様になった声を、出来るだけ張り上げる。
「います! ちょっと待って下さい!」
玄関でスリッパを脱ぎ、外用のサンダルに履き替える。硝子板にアルミの縦の格子が入った昭和な玄関扉を横にガラガラと引くと、雪の中、荷物を持っていない名雲さんが立っていた。寒さからか、鼻の頭を赤くして、人の良さそうな笑顔を見せる。
「あの、お荷物が大量に来ているんですけど、間違いがないかトラックまで確認に来てもらっていいですか?」
「え? あ、はい」
大きなダンボールに詰め込まれてきたのかもしれない。あまりにも大きいと、雪の中一人で持つのは大変だろう。明細が合っているのを確認した後、中身を小分けにして運ぶつもりに違いない。
表に出ると、結構な強さで雪が降っていた。そして風が冷たい。
「大分降ってきましたねえ」
「道も大分白くなってきましたよ」
当たり障りのない会話も、以前より大分緊張せず出来る様になった。それもこれも、全てゴラくんのお陰だ。ゴラくんは、私を急かさない。私が待たせてしまっても、ずっとニコニコしてくれている。焦らなくていい、そのままでもいい。そう言われている気がして、抵抗なく他の人間、いや植物だけど、と過ごせる様になってきていた。
名雲さんが、トランクを開ける。大きなダンボールが一つと、小さめのダンボールが一つある。これのことだろう。
「送り主様はお間違いないですか?」
名雲さんは、そう言って外箱に貼られている伝票を剥がして私に見せた。例の作業服サイトの名前で間違いない。
「はい、合ってます」
答えながら顔を上げると、思ってもみない近さに名雲さんの顔が迫っていた。
「秋野さん。ここに『男性用衣料・他』って書いてありますけど」
雪がビシバシと身体に当たる中、互いの体温が感じられそうなほどの近距離で、名雲さんが私を見下ろしている。宅配の仕事をしているからだろう、身体は無駄なく引き締まっている。何か困ったことがあったら言って下さい、いつでもやりますよ。なんて目を細めて笑顔でそう言われることもあったけど、今はその顔に笑みは浮かんでいない。
私に批評されたら心外かもしれないけど、物凄くいい男という訳じゃない。だけど、人の良さが窺える優しい顔立ちで好感が持てる人だ。
だからか、必要以上に警戒することもなくこれまで接することが出来ていた。
その目が、じっと私を見ている。これまで、こんな熱が込められた眼差しで彼に見られたことがなくて、私は大いに戸惑っていた。
名雲さんは一体どうしたのか。突然の雪で、熱でも出たのかもしれない。
「は、はい、そうですけど……」
「誰に買ってあげてるんですか?」
「え? いや、あの……」
男っ気どころか私以外の人の気配すらない家に住んでいる枯れた女が、せっせと買い込む男物の服。それを毎回運んでくれた名雲さんは、もしや私が誰かに騙されて買わされていると思っているのかもしれない。だけど、ゴラくんのことを一体どうやって説明すればいいのか。山で生えてたのを採ってきたんですなんて言える訳がない。言ったところで信じはしないだろうけど。
「僕、秋野さんのことが心配なんです。騙されてやしないかって」
やはり名雲さんの懸念はそこだったらしい。私の洞察力も、なかなかのものだ。
「だ、騙されてはないと思いますけど」
私は、ゴラくんがゆっくりと上に生えてくるところをしっかりとこの目で観察してきている。観察日記だって存在しているし、これに関して嘘偽りはない。でも、だからと言って、あの観察日記を名雲さんに見せたところで彼が信じると思えないのもまた事実だ。
「じゃあ、どこの誰に買ってあげてるんですか」
「あ、あのお……」
こういう時、咄嗟に機転を利かせ、あることないことを上手く組み合わせ相手を納得させる能力が欲しい。私に欠けている能力の一つだ。名雲さんはいい人だ。純粋に私のことを心配してくれている。それがひしひしと伝わってくるだけに、安心させてあげられる言葉が出てこないのが悔しかった。
その娘が、振り込んだお金を男の為にバンバン使っていることを知ったら、きっと卒倒するに違いない。
これは言えない。口が裂けても言えない。だけど、毎年年末年始はあちらの家で過ごすことになっているので、そろそろゴラくんの存在をどう公表するかも考えねばならない時期に来ていることも確かだ。
「美空?」
「はっ」
どうやら私は、ゴラくんに手をスリスリちゅっちゅされながら、また思考の波に流されその他の活動を停止していたらしい。
「ごめんごめん。じゃあ、二人共一旦休憩して温まろうか」
「うん」
嬉しそうに微笑むゴラくん。紫眼は本当に綺麗で、いつもそれを食い入る様に見てしまう。今もそうだ。ゴラくんが私から目を逸らさないから、視線を逸らすタイミングを逃している。ゴラくんが、ゆっくりと私を引き寄せ――。
ピンポーン、と古臭いチャイムの音が鳴った。
「あ! 多分宅配便だ!」
多分じゃなくて、絶対宅配便の名雲さんだ。それ以外、この家を訪れる人は皆無だから。
手を引っこ抜き、ゴラくんに背中を向けつつ伝える。
「そうしたら、ゴラくんはお湯を沸かしておいてくれる? お茶の時間にしよう」
「うん、分かった」
にっこり笑顔のゴラくんが台所に向かっていった。私は玄関に向かいながら、ドキドキ高鳴る心臓を上から押さえ、落ち着け、落ち着けと自分に言い聞かせる。ゴラくんのあれは、親に甘える子供のそれだ。私はゴラくんの母代わりであり、彼の健やかなる成長を見守る義務がある。
孵ったばかりの雛の如く純粋無垢なゴラくんが見せる態度を、勘違いしてはならない。そして勘違いさせてもならない。彼には無数の未来の選択肢がある筈で、私がそれを阻害する訳にはいかないのだから。
「秋野さーん? いらっしゃいませんかー?」
やっぱり名雲さんの声だ。ゴラくんと同居を開始した結果、毎日発声することで大分音量が出る様になった声を、出来るだけ張り上げる。
「います! ちょっと待って下さい!」
玄関でスリッパを脱ぎ、外用のサンダルに履き替える。硝子板にアルミの縦の格子が入った昭和な玄関扉を横にガラガラと引くと、雪の中、荷物を持っていない名雲さんが立っていた。寒さからか、鼻の頭を赤くして、人の良さそうな笑顔を見せる。
「あの、お荷物が大量に来ているんですけど、間違いがないかトラックまで確認に来てもらっていいですか?」
「え? あ、はい」
大きなダンボールに詰め込まれてきたのかもしれない。あまりにも大きいと、雪の中一人で持つのは大変だろう。明細が合っているのを確認した後、中身を小分けにして運ぶつもりに違いない。
表に出ると、結構な強さで雪が降っていた。そして風が冷たい。
「大分降ってきましたねえ」
「道も大分白くなってきましたよ」
当たり障りのない会話も、以前より大分緊張せず出来る様になった。それもこれも、全てゴラくんのお陰だ。ゴラくんは、私を急かさない。私が待たせてしまっても、ずっとニコニコしてくれている。焦らなくていい、そのままでもいい。そう言われている気がして、抵抗なく他の人間、いや植物だけど、と過ごせる様になってきていた。
名雲さんが、トランクを開ける。大きなダンボールが一つと、小さめのダンボールが一つある。これのことだろう。
「送り主様はお間違いないですか?」
名雲さんは、そう言って外箱に貼られている伝票を剥がして私に見せた。例の作業服サイトの名前で間違いない。
「はい、合ってます」
答えながら顔を上げると、思ってもみない近さに名雲さんの顔が迫っていた。
「秋野さん。ここに『男性用衣料・他』って書いてありますけど」
雪がビシバシと身体に当たる中、互いの体温が感じられそうなほどの近距離で、名雲さんが私を見下ろしている。宅配の仕事をしているからだろう、身体は無駄なく引き締まっている。何か困ったことがあったら言って下さい、いつでもやりますよ。なんて目を細めて笑顔でそう言われることもあったけど、今はその顔に笑みは浮かんでいない。
私に批評されたら心外かもしれないけど、物凄くいい男という訳じゃない。だけど、人の良さが窺える優しい顔立ちで好感が持てる人だ。
だからか、必要以上に警戒することもなくこれまで接することが出来ていた。
その目が、じっと私を見ている。これまで、こんな熱が込められた眼差しで彼に見られたことがなくて、私は大いに戸惑っていた。
名雲さんは一体どうしたのか。突然の雪で、熱でも出たのかもしれない。
「は、はい、そうですけど……」
「誰に買ってあげてるんですか?」
「え? いや、あの……」
男っ気どころか私以外の人の気配すらない家に住んでいる枯れた女が、せっせと買い込む男物の服。それを毎回運んでくれた名雲さんは、もしや私が誰かに騙されて買わされていると思っているのかもしれない。だけど、ゴラくんのことを一体どうやって説明すればいいのか。山で生えてたのを採ってきたんですなんて言える訳がない。言ったところで信じはしないだろうけど。
「僕、秋野さんのことが心配なんです。騙されてやしないかって」
やはり名雲さんの懸念はそこだったらしい。私の洞察力も、なかなかのものだ。
「だ、騙されてはないと思いますけど」
私は、ゴラくんがゆっくりと上に生えてくるところをしっかりとこの目で観察してきている。観察日記だって存在しているし、これに関して嘘偽りはない。でも、だからと言って、あの観察日記を名雲さんに見せたところで彼が信じると思えないのもまた事実だ。
「じゃあ、どこの誰に買ってあげてるんですか」
「あ、あのお……」
こういう時、咄嗟に機転を利かせ、あることないことを上手く組み合わせ相手を納得させる能力が欲しい。私に欠けている能力の一つだ。名雲さんはいい人だ。純粋に私のことを心配してくれている。それがひしひしと伝わってくるだけに、安心させてあげられる言葉が出てこないのが悔しかった。
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