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第一章 観察日記
10 押入れに籠もりたい
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『十月三十一日 晴れ 健康状態◯? 膝下まで出てくる。残りはあと三十センチほどか。一週間程度で全身が出きると予想される。葉の枚数が減ってきており、前ほどの張りがない様に見える。本人は何ともないとの回答だが、大丈夫だろうか。要観察』
通販で頼んでおいた大きめサイズの浴衣を三枚、足のサイズが分からなくて男性用の下駄も購入したので、もういつでも出てきて大丈夫だ。
だけど、本当にゴラくんはこの先歩くのか。それに、根っこから養分を吸収出来なくなったら、どうやって栄養を取り込むのか。人間と同じ姿形といえど、れっきとしたマンドラゴラだ。どの文献を見ても歩き始めたマンドラゴラの食事については記載がないので、経口摂取の場合は試行錯誤を繰り返していくしかないだろう。
でも、正直不安だった。万が一食べてはいけない物を口にして病気になってしまった場合、一体何の医者に見せればいいのか。
「ゴラくん、私のおうちにゴラくんの新しい服が届いたよ」
新たに出てきて土まみれになっている部分を拭き取りながら、太陽を背負うゴラくんを見上げる。ゴラくんの身長は一五五センチ程度。私とほぼ変わらない身長にまで伸びた。よくぞここまで平穏無事にすくすくと育ってくれたものだ、と涙が出そうになる。
今からこんなでは、ゴラくんが歩き出したら号泣するんじゃないか。そんな私を驚いた顔で見るのかなあと思うと、今から照れくさい。
いつもこんなど田舎に荷物を届けてくれる宅配便のお兄さんが、送り元の呉服屋の名前を見て「どなたか来られるんですか? この辺り、祭りありましたっけ」と興味深げに尋ねてきたのは、ここがあまりにも田舎過ぎるからだろう。夏祭りしようにも、人がいない。でも、町に出れば祭りはある。だから町の祭り用だと答えればよかったけど、顔見知りとはいえ、大して親しくない異性なことに代わりはない。
緊張してうまい返しが思いつかず、「いや、これは自前用で」と愛想笑いを浮かべると、名札に『名雲』とあるお兄さんは微妙な笑みを返してきた。会話を続けにくい奴だと思ったのだろう、とその時は思った。
お兄さんが去った後にもう一度配送伝票を見ると、品名に『男性用浴衣、男性用下駄』とある。あの微妙な表情は、これが原因だったらしい。
こんなど田舎に一人で暮らす枯れた女が、男性用の浴衣を買う必要などあるのかと思われたのか。化粧気もなく色気もない女に、男性用の浴衣の需要がある筈がない。その為のあの微妙な表情だったと察すると、途端に真っ暗な押し入れに閉じこもって泣きたくなってしまった。
だけど、考えてみれば周りには誰もいない。押し入れに入ることは止め、そのままそこで暫し思考停止することで、辛うじて劣等感に染まりそうなその場を乗り切った。
そんなちょっぴり恥ずかしい、出来れば思い出したくないエピソードがあるゴラくんの浴衣だけど、浴衣に罪はない。ゴラくんを見ていると自然に溢れてくる笑みのお陰で、ゴラくんも目が合うと笑顔を見せてくれる。それを見てまた私も笑顔になると、あれだって私の思い過ごしかもしれないと思えてくるから不思議だ。
「ゴラくん。もし歩ける様になったら、うちの子になるんだよ。私がちゃんとゴラくんが独り立ち出来る様になるまでしっかり面倒を見るから、心配しなくていいからね」
ゴラくんにそう話しかけた。彼は理解しているのかいないのか、頷きとも傾げとも取れる微妙な角度に首を曲げる。
「まあ、それはその時に話そうか」
ゴラくんにとって、外は未知の世界だ。幸いここにはゴラくんに余計な興味を示す他の人間はいないから、彼にはゆっくり少しずつ外の世界のことを伝えていけばいい。
「あ、そろそろお昼の時間だ」
気が付けば、太陽は真上を通り過ぎている。ゴラくんと過ごしていると、半日があっという間に過ぎていくのだ。
私の言葉を聞くと、途端にゴラくんは悲しそうな顔になる。形のいい眉毛が八の字になり、笑顔が消えるのだ。
「ゴラくんが寝泊まり出来る場所も作らないとだから。ね?」
シュンとしてしまったゴラくんの頬を撫でながら伝えると、小さく笑って頷いてくれた。家に来るなら、彼の部屋を用意せねばならない。幸い部屋は狭いながらも余っているけど、換気をしたりずっと押入れにしまっていた布団を干したりと、なかなかにやることが多いのだ。
もっと早い段階からやっておけばよかったけど、直前になって気付くのが如何にも私らしい。
「ゴラくんが使う歯ブラシや下着も、今日買ってくるから」
歯ブラシも下着も、きっとマンドラゴラには何のことやらだろうけど、ゴラくんは私の言葉に素直に頷いてくれた。
「……じゃあ、また明日」
離れ難いのは、ゴラくんの表情が寂しそうだからか、それとも私が寂しいと思っているからか。だけど、いつまでもこうしている訳にもいかない。やることは山積みだ。ゴラくんのすべすべの頬から手を離すと、そのまま手を振った。
「また明日――うわっ!」
私の腕を掴んだゴラくんが、私を引き寄せ肩を抱く。身長は同じ程度なので、ゴラくんの頬に私の頬が触れた。
「ゴラくん? 寂しくなったの?」
この場から動けないゴラくんは、私が来ない限りずっとここに一人だ。追いかけたいと思っても追いかけられない。それはどれほど辛いことか。
ゴラくんの腕の力は、緩まない。
どうしよう。どうしたら安心して離してくれるんだろう。こういった経験は皆無だったけど、幸いにしてこれまで読書で培ってきた物語の登場人物の擬似体験がある。安心させたい場合は、ハグだ。よく言うじゃないか。
ゴラくんの背中に、恐る恐る腕を回す。すると、ゴラくんがピク、と身体を反応させた。ぎゅ、と思い切ってしがみつき背中をトントンと叩くと、ゴラくんの全身が安堵した様に弛緩するのが肌越しに伝わる。やはりハグは有効だった様だ。
段々と冬に近付く北風の中、私達は長い間、そうして互いを慰める様に抱き締め合っていた。
通販で頼んでおいた大きめサイズの浴衣を三枚、足のサイズが分からなくて男性用の下駄も購入したので、もういつでも出てきて大丈夫だ。
だけど、本当にゴラくんはこの先歩くのか。それに、根っこから養分を吸収出来なくなったら、どうやって栄養を取り込むのか。人間と同じ姿形といえど、れっきとしたマンドラゴラだ。どの文献を見ても歩き始めたマンドラゴラの食事については記載がないので、経口摂取の場合は試行錯誤を繰り返していくしかないだろう。
でも、正直不安だった。万が一食べてはいけない物を口にして病気になってしまった場合、一体何の医者に見せればいいのか。
「ゴラくん、私のおうちにゴラくんの新しい服が届いたよ」
新たに出てきて土まみれになっている部分を拭き取りながら、太陽を背負うゴラくんを見上げる。ゴラくんの身長は一五五センチ程度。私とほぼ変わらない身長にまで伸びた。よくぞここまで平穏無事にすくすくと育ってくれたものだ、と涙が出そうになる。
今からこんなでは、ゴラくんが歩き出したら号泣するんじゃないか。そんな私を驚いた顔で見るのかなあと思うと、今から照れくさい。
いつもこんなど田舎に荷物を届けてくれる宅配便のお兄さんが、送り元の呉服屋の名前を見て「どなたか来られるんですか? この辺り、祭りありましたっけ」と興味深げに尋ねてきたのは、ここがあまりにも田舎過ぎるからだろう。夏祭りしようにも、人がいない。でも、町に出れば祭りはある。だから町の祭り用だと答えればよかったけど、顔見知りとはいえ、大して親しくない異性なことに代わりはない。
緊張してうまい返しが思いつかず、「いや、これは自前用で」と愛想笑いを浮かべると、名札に『名雲』とあるお兄さんは微妙な笑みを返してきた。会話を続けにくい奴だと思ったのだろう、とその時は思った。
お兄さんが去った後にもう一度配送伝票を見ると、品名に『男性用浴衣、男性用下駄』とある。あの微妙な表情は、これが原因だったらしい。
こんなど田舎に一人で暮らす枯れた女が、男性用の浴衣を買う必要などあるのかと思われたのか。化粧気もなく色気もない女に、男性用の浴衣の需要がある筈がない。その為のあの微妙な表情だったと察すると、途端に真っ暗な押し入れに閉じこもって泣きたくなってしまった。
だけど、考えてみれば周りには誰もいない。押し入れに入ることは止め、そのままそこで暫し思考停止することで、辛うじて劣等感に染まりそうなその場を乗り切った。
そんなちょっぴり恥ずかしい、出来れば思い出したくないエピソードがあるゴラくんの浴衣だけど、浴衣に罪はない。ゴラくんを見ていると自然に溢れてくる笑みのお陰で、ゴラくんも目が合うと笑顔を見せてくれる。それを見てまた私も笑顔になると、あれだって私の思い過ごしかもしれないと思えてくるから不思議だ。
「ゴラくん。もし歩ける様になったら、うちの子になるんだよ。私がちゃんとゴラくんが独り立ち出来る様になるまでしっかり面倒を見るから、心配しなくていいからね」
ゴラくんにそう話しかけた。彼は理解しているのかいないのか、頷きとも傾げとも取れる微妙な角度に首を曲げる。
「まあ、それはその時に話そうか」
ゴラくんにとって、外は未知の世界だ。幸いここにはゴラくんに余計な興味を示す他の人間はいないから、彼にはゆっくり少しずつ外の世界のことを伝えていけばいい。
「あ、そろそろお昼の時間だ」
気が付けば、太陽は真上を通り過ぎている。ゴラくんと過ごしていると、半日があっという間に過ぎていくのだ。
私の言葉を聞くと、途端にゴラくんは悲しそうな顔になる。形のいい眉毛が八の字になり、笑顔が消えるのだ。
「ゴラくんが寝泊まり出来る場所も作らないとだから。ね?」
シュンとしてしまったゴラくんの頬を撫でながら伝えると、小さく笑って頷いてくれた。家に来るなら、彼の部屋を用意せねばならない。幸い部屋は狭いながらも余っているけど、換気をしたりずっと押入れにしまっていた布団を干したりと、なかなかにやることが多いのだ。
もっと早い段階からやっておけばよかったけど、直前になって気付くのが如何にも私らしい。
「ゴラくんが使う歯ブラシや下着も、今日買ってくるから」
歯ブラシも下着も、きっとマンドラゴラには何のことやらだろうけど、ゴラくんは私の言葉に素直に頷いてくれた。
「……じゃあ、また明日」
離れ難いのは、ゴラくんの表情が寂しそうだからか、それとも私が寂しいと思っているからか。だけど、いつまでもこうしている訳にもいかない。やることは山積みだ。ゴラくんのすべすべの頬から手を離すと、そのまま手を振った。
「また明日――うわっ!」
私の腕を掴んだゴラくんが、私を引き寄せ肩を抱く。身長は同じ程度なので、ゴラくんの頬に私の頬が触れた。
「ゴラくん? 寂しくなったの?」
この場から動けないゴラくんは、私が来ない限りずっとここに一人だ。追いかけたいと思っても追いかけられない。それはどれほど辛いことか。
ゴラくんの腕の力は、緩まない。
どうしよう。どうしたら安心して離してくれるんだろう。こういった経験は皆無だったけど、幸いにしてこれまで読書で培ってきた物語の登場人物の擬似体験がある。安心させたい場合は、ハグだ。よく言うじゃないか。
ゴラくんの背中に、恐る恐る腕を回す。すると、ゴラくんがピク、と身体を反応させた。ぎゅ、と思い切ってしがみつき背中をトントンと叩くと、ゴラくんの全身が安堵した様に弛緩するのが肌越しに伝わる。やはりハグは有効だった様だ。
段々と冬に近付く北風の中、私達は長い間、そうして互いを慰める様に抱き締め合っていた。
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