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第一章 観察日記
6 品種が判明する
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『十月五日 晴れ 健康状態◎ 顎の半ばまで成長。顎が地面に固定されている為、口が開かないらしい。何やらモゴモゴと口を動かしてはこちらをじっと見ている。その様子はまるでインプリンティング、所謂刷り込み現象された雛鳥の様だ。この世に生まれて目を開いた先にいたのが私なので、その可能性は十分にあり得る。今後の経過観察で要確認』
昨日は、両耳の土をほじり取った。鼻の穴はうまく耳掻きが入らず断念。今日になってようやく地面との距離が開いたので、レジャーシートの上に仰向けになりつつ、植物くんの鼻の穴に詰まる土の除去作業を施した。勿論出てきた他の部分は、赤ちゃん用のおしり拭きシートで丁寧に拭き取り済だ。
「ちょーっとくすぐったいかもしれないけど我慢ねー」
口調は、どうしても子供向けのそれになる。地面から顔だけが飛び出し、その頭には立派な放射線状に生え揃った葉と、紫の可愛らしい花が生えている。その顔面のすぐ前に仰向けになり、鼻をほじる私。
傍から見たら、明らかに異様な光景だ。でも、繰り返すけどここはど田舎なので誰かに見られる恐れはない。
そもそもこの山は秋野家の所有なので、余所者は立ち入り禁止だ。山菜やきのこ狩りで勝手に入り込む人間も時折いるらしいけど、それはもう少し町寄りの他家所有の山の話だった。
ということで、私は気にすることなく植物くんの鼻をほじる。植物だからか、呼吸をしている様子はない。恐らくは植物と同様、光合成を行ない酸素を吐き出しているのだろう。そうなると、この鼻と口はどう機能するのか。
耳も目もしっかりと機能している様なので、胎盤の中で泳いでいる胎児と同じ感覚なのか。植物くんの鼻をほじりつつ考えた。
母親の体内にいる胎児は、生まれてくるまでは肺呼吸をしない。外気に触れた途端、体内から羊水を吐き出し肺呼吸を開始する。正に生命の神秘だ。もしかしたら植物くんも同様で、根っこと繋がっている今はまだ、母親の体内にいる状態なのかもしれない。
土が、ぼとぼとと落ちる。しっかりと鼻毛が生えており、そのお陰で喉の方までは入り込んでいない様だ。清潔な綿棒を取り出す。もう一度くるくると鼻の中を拭き、最後におしり拭きで鼻下を拭く。
顔を丁寧に拭いてあげると、植物くんは決まって気持ちよさそうに目を細めつつ、目で私を追う。こんなに間近でまじまじと顔を見られることなんて経験がなかったけど、嫌そうな目線ではないので悪い気はしなかった。
「はい、完成! 綺麗になったよ!」
起き上がって笑いかけると、根っことくっついている所為で頬が下に引っ張られてぎこちなさ感は否めないけど、紫色の目で笑い返してくれた。
この日から、私は日中の殆どをこの場所で過ごす様になった。
◇
『十月十三日 曇り 健康状態◎ 胃の高さまで成長。腕は地面に繋がっており動かすことが出来ないが、首を動かして辺りを観察する様子が見られる様になった。こちらの言葉を理解しているのか、私が話しかけると頷いたり首を傾げたりといった反応を示す。イエスノー方式で何か質問をしてみたいと思う』
観察日記を付け始めてから、十日が過ぎた。植物くんの成長速度は、大体一日五センチ程度だ。肩が剥き出しになり、寒そうだった。
植物くんはがっしりとした肩と筋肉が程よい胸筋の持ち主で、背中側は肩甲骨のラインが美しい。こんな立派な体躯の人は、なかなかお目にかかれないだろうというほどの肉体美だ。
私は自分の細い身体を恥じた。華奢といえば聞こえはいいけど、ど田舎の一人暮らしでパワーが少ないと、あまりいいことはない。エンゲル係数が低めに抑えられることくらいか。
これだけ逞しい身体があったら、私だって覇気のある活発な生活を今すぐにでも送れそうだ。
「植物くん、寒くない? 大丈夫?」
私がそう尋ねると、植物くんはにっこりと笑って頷く。肺呼吸をしていないからだろう。彼はもう幾度も歯並びのいい口腔内を惜しげもなく見せてくれたけど、そこから声を発したことは一度もない。彼が喋ったら、どんな声なのか。もし喋るとしたら、一番初めに喋る言葉は何だろう。
身長はかなり高そうなので仮に百八十センチとすると、一日五センチの成長として三十六日かかる。私が見た時にはすでに額まで出ていたことを考えると、あと二十日ちょっとで完全に成長し、歩き出す計算だ。歩き出したら、どこかに行ってしまうのか。そのことは不安だったけど、植物くんが喋れない以上、詳しいことは分からない。
「じゃあ、今日は何しようか。お話を読む? それとも質問していい?」
私が尋ねると、植物くんが困った様に首を傾げた。そりゃそうだ、イエスノーで返事が出来ない質問をしてしまっている。
「あ、ごめん。一つずつ聞くね。ええと、お話読む?」
私の質問に、植物くんは可愛らしく小首を傾げたまま暫く考え込む。やがてフルフルと首を横に振った。今日はお話の気分ではないらしい。
実はここ数日間、どこまで会話を理解しているかを確認する為、絵本から始め、児童書に移り、そして大人向けの本を読み聞かせたのだ。家にあった本を適当に持ってきたら、宮沢賢治の注文の多い料理店は彼には刺激が強過ぎたらしい。途中で首をぶるぶると振り、もう聞きたくないとアピールされてしまった。
大人の話もその内容の恐ろしさも理解出来ることが判明した訳だけど、怯えた様に目を潤ませたのを見て、もう少し考えてから行動に移せばよかったと激しく後悔をしたのはつい昨日の話だ。
「じゃあ、植物くんに質問していい?」
レジャーシートの上で膝を抱え、すぐ横に生えている植物くんを見つめる。日光の下での穏やかな時間が、ゆったりと流れた。植物くんは、そもそも移動が出来ないし、喋ることも出来ない。だから私から逃げようがないけど、にこにこしているから嫌がってはいないと信じたかった。
「えーとじゃあ……植物くんて、植物ですか?」
我ながら馬鹿な質問だけど、彼の本質を知るには必要なことだ。私はノートを取り出すと、今の質問を書き留めた。
私の質問に、植物くんは微妙な表情を浮かべて首を傾げている。暫くして、ゆっくりと頷いてみせた。次の質問だ。
「植物くんは、男の子ですか?」
植物だったら、性別がないこともあり得る。するとこれにはすぐに頷いてみせた。『性別・男』と記載する。
「ええと……名前はありますか?」
いい加減植物くんと呼ぶのも可哀想になってきたところだ。もし名前があるのなら、それを優先してあげたい。
するとまた、考える様に右へ左へと首を傾げる。見た目は私と同い年か少し上くらいの男性が見せる可愛らしい仕草は、否が応でも私の庇護心を掻き立てた。
植物くんが、ゆっくりと口を開く。
ぱくぱくぱく。口が動く。よく分からない。今度は私が首を傾げると、植物くんは今度はゆったりと口を動かし始めた。
ぱか。
「ま?」
ぱあ、と花が咲く様な笑顔を浮かべる。ん、の口になった。これは分かる。
「ん、でしょ?」
これまた正解だった様で、植物くんは嬉しそうだ。再び口がぱかっと開く。……何だろう。
「お?」
今度は不正解だったらしく、ふるふると首を横に振られた。
「こ? そ? と? の? ほ? も? よ? ろ?」
ふるふるふるふると首を横に振り続けられる。目が回らないかと心配になった。
「濁音かな? ご? ぞ? ど?」
こくこくこく! と激しい肯定を見せる。次いでぱかっと口を開けた。この口の動きは、明らかにあれだ。
「ら……」
まさかな、と思いついた単語を否定する。確かにその可能性は、以前考えた。でもあれは、根っこが人型に見える代物な筈だ。彼の場合、根っこは地面の下に埋まっている。だけど、念の為確認だ。
「マンドレイク……?」
ふるふる、と首を横に振る。
「じゃあ……マンドラゴラ?」
聞いた途端、植物くんは首がもげそうな勢いで縦に頭を振りまくった。すると、やはり目が回ったのだろう。目の焦点が合わなくなって、ふらふらし始める。
「大丈夫?」
慌てて頬を支えると、植物くんがくしゃりと照れた様に笑った。……可愛い。
「マンドラゴラ、なんだ」
頬を支えたまま尋ねると、植物くん、もといマンドラゴラくんが、熱の籠った紫の瞳でじっと見つめてきた。
ぱくぱくぱく。その形のいい男らしい唇が、三文字の言葉を音なく紡ぐ。
『みそら』。そう言っている様に見えた。
昨日は、両耳の土をほじり取った。鼻の穴はうまく耳掻きが入らず断念。今日になってようやく地面との距離が開いたので、レジャーシートの上に仰向けになりつつ、植物くんの鼻の穴に詰まる土の除去作業を施した。勿論出てきた他の部分は、赤ちゃん用のおしり拭きシートで丁寧に拭き取り済だ。
「ちょーっとくすぐったいかもしれないけど我慢ねー」
口調は、どうしても子供向けのそれになる。地面から顔だけが飛び出し、その頭には立派な放射線状に生え揃った葉と、紫の可愛らしい花が生えている。その顔面のすぐ前に仰向けになり、鼻をほじる私。
傍から見たら、明らかに異様な光景だ。でも、繰り返すけどここはど田舎なので誰かに見られる恐れはない。
そもそもこの山は秋野家の所有なので、余所者は立ち入り禁止だ。山菜やきのこ狩りで勝手に入り込む人間も時折いるらしいけど、それはもう少し町寄りの他家所有の山の話だった。
ということで、私は気にすることなく植物くんの鼻をほじる。植物だからか、呼吸をしている様子はない。恐らくは植物と同様、光合成を行ない酸素を吐き出しているのだろう。そうなると、この鼻と口はどう機能するのか。
耳も目もしっかりと機能している様なので、胎盤の中で泳いでいる胎児と同じ感覚なのか。植物くんの鼻をほじりつつ考えた。
母親の体内にいる胎児は、生まれてくるまでは肺呼吸をしない。外気に触れた途端、体内から羊水を吐き出し肺呼吸を開始する。正に生命の神秘だ。もしかしたら植物くんも同様で、根っこと繋がっている今はまだ、母親の体内にいる状態なのかもしれない。
土が、ぼとぼとと落ちる。しっかりと鼻毛が生えており、そのお陰で喉の方までは入り込んでいない様だ。清潔な綿棒を取り出す。もう一度くるくると鼻の中を拭き、最後におしり拭きで鼻下を拭く。
顔を丁寧に拭いてあげると、植物くんは決まって気持ちよさそうに目を細めつつ、目で私を追う。こんなに間近でまじまじと顔を見られることなんて経験がなかったけど、嫌そうな目線ではないので悪い気はしなかった。
「はい、完成! 綺麗になったよ!」
起き上がって笑いかけると、根っことくっついている所為で頬が下に引っ張られてぎこちなさ感は否めないけど、紫色の目で笑い返してくれた。
この日から、私は日中の殆どをこの場所で過ごす様になった。
◇
『十月十三日 曇り 健康状態◎ 胃の高さまで成長。腕は地面に繋がっており動かすことが出来ないが、首を動かして辺りを観察する様子が見られる様になった。こちらの言葉を理解しているのか、私が話しかけると頷いたり首を傾げたりといった反応を示す。イエスノー方式で何か質問をしてみたいと思う』
観察日記を付け始めてから、十日が過ぎた。植物くんの成長速度は、大体一日五センチ程度だ。肩が剥き出しになり、寒そうだった。
植物くんはがっしりとした肩と筋肉が程よい胸筋の持ち主で、背中側は肩甲骨のラインが美しい。こんな立派な体躯の人は、なかなかお目にかかれないだろうというほどの肉体美だ。
私は自分の細い身体を恥じた。華奢といえば聞こえはいいけど、ど田舎の一人暮らしでパワーが少ないと、あまりいいことはない。エンゲル係数が低めに抑えられることくらいか。
これだけ逞しい身体があったら、私だって覇気のある活発な生活を今すぐにでも送れそうだ。
「植物くん、寒くない? 大丈夫?」
私がそう尋ねると、植物くんはにっこりと笑って頷く。肺呼吸をしていないからだろう。彼はもう幾度も歯並びのいい口腔内を惜しげもなく見せてくれたけど、そこから声を発したことは一度もない。彼が喋ったら、どんな声なのか。もし喋るとしたら、一番初めに喋る言葉は何だろう。
身長はかなり高そうなので仮に百八十センチとすると、一日五センチの成長として三十六日かかる。私が見た時にはすでに額まで出ていたことを考えると、あと二十日ちょっとで完全に成長し、歩き出す計算だ。歩き出したら、どこかに行ってしまうのか。そのことは不安だったけど、植物くんが喋れない以上、詳しいことは分からない。
「じゃあ、今日は何しようか。お話を読む? それとも質問していい?」
私が尋ねると、植物くんが困った様に首を傾げた。そりゃそうだ、イエスノーで返事が出来ない質問をしてしまっている。
「あ、ごめん。一つずつ聞くね。ええと、お話読む?」
私の質問に、植物くんは可愛らしく小首を傾げたまま暫く考え込む。やがてフルフルと首を横に振った。今日はお話の気分ではないらしい。
実はここ数日間、どこまで会話を理解しているかを確認する為、絵本から始め、児童書に移り、そして大人向けの本を読み聞かせたのだ。家にあった本を適当に持ってきたら、宮沢賢治の注文の多い料理店は彼には刺激が強過ぎたらしい。途中で首をぶるぶると振り、もう聞きたくないとアピールされてしまった。
大人の話もその内容の恐ろしさも理解出来ることが判明した訳だけど、怯えた様に目を潤ませたのを見て、もう少し考えてから行動に移せばよかったと激しく後悔をしたのはつい昨日の話だ。
「じゃあ、植物くんに質問していい?」
レジャーシートの上で膝を抱え、すぐ横に生えている植物くんを見つめる。日光の下での穏やかな時間が、ゆったりと流れた。植物くんは、そもそも移動が出来ないし、喋ることも出来ない。だから私から逃げようがないけど、にこにこしているから嫌がってはいないと信じたかった。
「えーとじゃあ……植物くんて、植物ですか?」
我ながら馬鹿な質問だけど、彼の本質を知るには必要なことだ。私はノートを取り出すと、今の質問を書き留めた。
私の質問に、植物くんは微妙な表情を浮かべて首を傾げている。暫くして、ゆっくりと頷いてみせた。次の質問だ。
「植物くんは、男の子ですか?」
植物だったら、性別がないこともあり得る。するとこれにはすぐに頷いてみせた。『性別・男』と記載する。
「ええと……名前はありますか?」
いい加減植物くんと呼ぶのも可哀想になってきたところだ。もし名前があるのなら、それを優先してあげたい。
するとまた、考える様に右へ左へと首を傾げる。見た目は私と同い年か少し上くらいの男性が見せる可愛らしい仕草は、否が応でも私の庇護心を掻き立てた。
植物くんが、ゆっくりと口を開く。
ぱくぱくぱく。口が動く。よく分からない。今度は私が首を傾げると、植物くんは今度はゆったりと口を動かし始めた。
ぱか。
「ま?」
ぱあ、と花が咲く様な笑顔を浮かべる。ん、の口になった。これは分かる。
「ん、でしょ?」
これまた正解だった様で、植物くんは嬉しそうだ。再び口がぱかっと開く。……何だろう。
「お?」
今度は不正解だったらしく、ふるふると首を横に振られた。
「こ? そ? と? の? ほ? も? よ? ろ?」
ふるふるふるふると首を横に振り続けられる。目が回らないかと心配になった。
「濁音かな? ご? ぞ? ど?」
こくこくこく! と激しい肯定を見せる。次いでぱかっと口を開けた。この口の動きは、明らかにあれだ。
「ら……」
まさかな、と思いついた単語を否定する。確かにその可能性は、以前考えた。でもあれは、根っこが人型に見える代物な筈だ。彼の場合、根っこは地面の下に埋まっている。だけど、念の為確認だ。
「マンドレイク……?」
ふるふる、と首を横に振る。
「じゃあ……マンドラゴラ?」
聞いた途端、植物くんは首がもげそうな勢いで縦に頭を振りまくった。すると、やはり目が回ったのだろう。目の焦点が合わなくなって、ふらふらし始める。
「大丈夫?」
慌てて頬を支えると、植物くんがくしゃりと照れた様に笑った。……可愛い。
「マンドラゴラ、なんだ」
頬を支えたまま尋ねると、植物くん、もといマンドラゴラくんが、熱の籠った紫の瞳でじっと見つめてきた。
ぱくぱくぱく。その形のいい男らしい唇が、三文字の言葉を音なく紡ぐ。
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