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第一章 観察日記
1 土に人が埋まっている
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一人きりの、早朝散策。
放射線状に生えた瑞々しい葉の下に見えたのは、土にまみれた人間の額だった。
朝露に濡れた土に根の如く張りつく黒髪が、葉の僅かな隙間から覗く。額から下は、完全に地面に埋もれていた。
頭頂部分から、元気一杯に植物を生やしながら。
「……ひっ」
これは、確かに死体だ。刺激が苦手な私は、その場でへなへなと腰を抜かしてしまった。
どうして死体の頭部がこんな所に埋まっているのか。焦りながら考えてみる。遺体を遺棄するには抜群の田舎具合だからだ。すんなりと納得した。田舎は田舎でも、相当な田舎だ。間違いない。
「ほ、仏様を踏んづけちゃってごめんなさい……」
ひとまず頭部に向かって手を合わせ、ろくに知らない念仏を南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と唱えてみる。
秋野美空、二十三歳。今いる場所は、自宅の裏側にある山の麓だ。家の裏側からくねくねとした木漏れ日が眩しい山道をえっちらおっちらと登り、十分ほど歩いた場所に、緑色が鮮やかな木々にぐるりと囲まれた陽だまりの空間がぽっかりと空いている。万事覇気がないと言われる私の、数少ない趣味と実用を兼ねた朝の散策ルートだった。
そのお決まりのコースをいつも通り鳥のさえずりを聞きつつ歩いていたら、突然昨日までは多分なかった葉を踏んでしまった。弾力のある踏み応えに違和感を覚え、飛び退る。朝日が差し込み始めた空間の中心に誇らしげに生えたそれを、じっくりと観察し始めたという訳だ。
地面に這いつくばる様に放射線状に広がる、青々とした緑の葉。中央には紫色の花が咲いており、葉の芯の色も紫色だから、ナスみたいだ。
その葉をぺらりとめくってみたところ、人間の額とご対面したのだった。
私は、毎日読書ばかりしている。読書しかしてないと言っても過言ではない、所謂活字中毒者だ。でもそれだけだと、身体がなまる。そう考えて、散策を日課に取り入れた。それがまさか死体に出会ってしまうとは、一体誰が想像しようか。
それにしても、こんなものが生えていたら普通は気付くだろうに。日頃からいかに自分がぼうっと生きているのかが、これで分かるというものだった。
自分の覇気のなさだけは、コントロールしようもない。頑張って入学した三流大学も、周りの派手な雰囲気が苦痛で居心地が悪すぎて、二年で挫折。中退し実家に引きこもり、シングルマザーの母の脛を齧っていたところ、母が何の前触れもなく唐突に再婚してしまった。
青天の霹靂とは、正にこのことだ。自堕落ではないけど何に於いても活力の足らない私にとって、母がいなくなる生活は不安そのものだった。
でも、案外慣れるものだ。実家に一人暮らしという環境下、ど田舎の所為で働き口も見つからずにいたけど、お陰で大好きな活字をひたすら読める日々を満喫している。
実家は古い民家で、ど田舎だから固定資産税は微々たるもの。それは土地の所有者の母が今も払っている。衣食住に必要な毎月の生活費は、母の再婚相手である町長の山崎さんが毎月きちんと仕送りしてくれていた。完全なるすねかじりだ。
昔はもてまくったと豪語していた母が、言っては悪いけどただ人が良さそうな雰囲気だけが唯一の好印象の、小柄でハゲのおじさんと何故再婚するに至ったのかは謎だ。どうやら幼馴染みらしく、再会してあれこれあったらしい。だけどそこは自分の母のことなので、それ以上の生々しいことは聞けずここまできてしまっていた。
そんな訳で、私の日課は朝の散策、そして残りの時間はひたすら読書。父が残した書斎には壁三面に本が並んでおり、私はそれらを貪る様に片っ端から読んでいる毎日だった。
――もう一度、ちゃんと確認しよう。人間の頭部だと思ったけど、よく見たら球根だったという可能性だってある。
最初は驚いたけど、基本死体は動かない。生きている人間が一番怖いと思っている私は、とにかく真偽を確かめた方がいいという結論に達した。
再度、こわごわと葉をめくってみる。頭頂から植物を生やした人間の頭部の内、額部分までが見えた。やはり死体だ。
掘り出してあげた方がいいんだろうか。見たところ、土まみれの肌はまだ瑞々しい弾力を保っている様に見受けられる。死後からまだ大して経過していないのかもしれない。これが時間が経つと、ベロンと皮膚が剥がれ落ちるなんてよくミステリー小説で描写されているけど、さすがにそれは見たくなかった。
「あ」
ミステリー小説で思い出す。現場は、発見当時をそのまま保存しておかないといけない筈だ。危ない、危ない。
土に埋まった死体を目の前にしているには、我ながら冷静な思考をしていると思う。だけど、これは多分、あまりのことに感覚が麻痺してしまっている所為だろう。非現実感というやつだ。あとで考えたらぞっとする様なことも、パニックの只中にいる時はあまり気付かないと言うし。
第一発見者、秋野美空とか新聞に載るんだろうか。それともあれは、実名は報道されなかったか。新聞やテレビに載ったからといって心配して連絡を寄越す様な濃い友情を一切育んでこなかった立場としては、出来れば名前なんて出ないに越したことはない。そういう報道を見て連絡を寄越す人間は、大抵面白半分に近付いてきて人を弄ぶだけ弄んで飽きたら去っていく人種だ。
それにしても、何だってこんな場所に埋められて、しかも頭から花を咲かしてしまったんだろう。死んでから間抜けな姿を晒していると生前のこの人が知ったら、己の情けなさを嘆くに違いない。
そんなことをつらつらと考えながら葉を持ち上げて死体をただ見ていると、土まみれの額の皮膚がぴくりと動いた。
「うわっ」
驚いて、土の上に尻もちをつく。朝の地面はしっとりと冷たかった。ああ、これは中まで濡れたなと思ったけど、それどころじゃない。動いた。つまり、――生きている?
「あの……っ大丈夫ですか!」
まずはこの邪魔な花を退けてしまおうと葉をむんずと掴んではみたものの、頑丈でびくともしない。
「……ふんぬうううっ!」
手から葉がつるんと抜け、もう一度尻もちをついた。どうもこれは、本当にこの頭から直接生えているらしい。だけど、そんなことがあるのか。
生きているなら、呼吸が必要だ。そう思い、思い切って額をペチペチと叩く。温かい。生きているのは確かな様だ。とにかく顔側だけでも空気を確保出来れば。そう思い、地面に爪を立てると。
「――いたっ」
ガリ、と爪と指の間に入り込んできたのは、地面すれすれまで伸びた根だった。
放射線状に生えた瑞々しい葉の下に見えたのは、土にまみれた人間の額だった。
朝露に濡れた土に根の如く張りつく黒髪が、葉の僅かな隙間から覗く。額から下は、完全に地面に埋もれていた。
頭頂部分から、元気一杯に植物を生やしながら。
「……ひっ」
これは、確かに死体だ。刺激が苦手な私は、その場でへなへなと腰を抜かしてしまった。
どうして死体の頭部がこんな所に埋まっているのか。焦りながら考えてみる。遺体を遺棄するには抜群の田舎具合だからだ。すんなりと納得した。田舎は田舎でも、相当な田舎だ。間違いない。
「ほ、仏様を踏んづけちゃってごめんなさい……」
ひとまず頭部に向かって手を合わせ、ろくに知らない念仏を南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と唱えてみる。
秋野美空、二十三歳。今いる場所は、自宅の裏側にある山の麓だ。家の裏側からくねくねとした木漏れ日が眩しい山道をえっちらおっちらと登り、十分ほど歩いた場所に、緑色が鮮やかな木々にぐるりと囲まれた陽だまりの空間がぽっかりと空いている。万事覇気がないと言われる私の、数少ない趣味と実用を兼ねた朝の散策ルートだった。
そのお決まりのコースをいつも通り鳥のさえずりを聞きつつ歩いていたら、突然昨日までは多分なかった葉を踏んでしまった。弾力のある踏み応えに違和感を覚え、飛び退る。朝日が差し込み始めた空間の中心に誇らしげに生えたそれを、じっくりと観察し始めたという訳だ。
地面に這いつくばる様に放射線状に広がる、青々とした緑の葉。中央には紫色の花が咲いており、葉の芯の色も紫色だから、ナスみたいだ。
その葉をぺらりとめくってみたところ、人間の額とご対面したのだった。
私は、毎日読書ばかりしている。読書しかしてないと言っても過言ではない、所謂活字中毒者だ。でもそれだけだと、身体がなまる。そう考えて、散策を日課に取り入れた。それがまさか死体に出会ってしまうとは、一体誰が想像しようか。
それにしても、こんなものが生えていたら普通は気付くだろうに。日頃からいかに自分がぼうっと生きているのかが、これで分かるというものだった。
自分の覇気のなさだけは、コントロールしようもない。頑張って入学した三流大学も、周りの派手な雰囲気が苦痛で居心地が悪すぎて、二年で挫折。中退し実家に引きこもり、シングルマザーの母の脛を齧っていたところ、母が何の前触れもなく唐突に再婚してしまった。
青天の霹靂とは、正にこのことだ。自堕落ではないけど何に於いても活力の足らない私にとって、母がいなくなる生活は不安そのものだった。
でも、案外慣れるものだ。実家に一人暮らしという環境下、ど田舎の所為で働き口も見つからずにいたけど、お陰で大好きな活字をひたすら読める日々を満喫している。
実家は古い民家で、ど田舎だから固定資産税は微々たるもの。それは土地の所有者の母が今も払っている。衣食住に必要な毎月の生活費は、母の再婚相手である町長の山崎さんが毎月きちんと仕送りしてくれていた。完全なるすねかじりだ。
昔はもてまくったと豪語していた母が、言っては悪いけどただ人が良さそうな雰囲気だけが唯一の好印象の、小柄でハゲのおじさんと何故再婚するに至ったのかは謎だ。どうやら幼馴染みらしく、再会してあれこれあったらしい。だけどそこは自分の母のことなので、それ以上の生々しいことは聞けずここまできてしまっていた。
そんな訳で、私の日課は朝の散策、そして残りの時間はひたすら読書。父が残した書斎には壁三面に本が並んでおり、私はそれらを貪る様に片っ端から読んでいる毎日だった。
――もう一度、ちゃんと確認しよう。人間の頭部だと思ったけど、よく見たら球根だったという可能性だってある。
最初は驚いたけど、基本死体は動かない。生きている人間が一番怖いと思っている私は、とにかく真偽を確かめた方がいいという結論に達した。
再度、こわごわと葉をめくってみる。頭頂から植物を生やした人間の頭部の内、額部分までが見えた。やはり死体だ。
掘り出してあげた方がいいんだろうか。見たところ、土まみれの肌はまだ瑞々しい弾力を保っている様に見受けられる。死後からまだ大して経過していないのかもしれない。これが時間が経つと、ベロンと皮膚が剥がれ落ちるなんてよくミステリー小説で描写されているけど、さすがにそれは見たくなかった。
「あ」
ミステリー小説で思い出す。現場は、発見当時をそのまま保存しておかないといけない筈だ。危ない、危ない。
土に埋まった死体を目の前にしているには、我ながら冷静な思考をしていると思う。だけど、これは多分、あまりのことに感覚が麻痺してしまっている所為だろう。非現実感というやつだ。あとで考えたらぞっとする様なことも、パニックの只中にいる時はあまり気付かないと言うし。
第一発見者、秋野美空とか新聞に載るんだろうか。それともあれは、実名は報道されなかったか。新聞やテレビに載ったからといって心配して連絡を寄越す様な濃い友情を一切育んでこなかった立場としては、出来れば名前なんて出ないに越したことはない。そういう報道を見て連絡を寄越す人間は、大抵面白半分に近付いてきて人を弄ぶだけ弄んで飽きたら去っていく人種だ。
それにしても、何だってこんな場所に埋められて、しかも頭から花を咲かしてしまったんだろう。死んでから間抜けな姿を晒していると生前のこの人が知ったら、己の情けなさを嘆くに違いない。
そんなことをつらつらと考えながら葉を持ち上げて死体をただ見ていると、土まみれの額の皮膚がぴくりと動いた。
「うわっ」
驚いて、土の上に尻もちをつく。朝の地面はしっとりと冷たかった。ああ、これは中まで濡れたなと思ったけど、それどころじゃない。動いた。つまり、――生きている?
「あの……っ大丈夫ですか!」
まずはこの邪魔な花を退けてしまおうと葉をむんずと掴んではみたものの、頑丈でびくともしない。
「……ふんぬうううっ!」
手から葉がつるんと抜け、もう一度尻もちをついた。どうもこれは、本当にこの頭から直接生えているらしい。だけど、そんなことがあるのか。
生きているなら、呼吸が必要だ。そう思い、思い切って額をペチペチと叩く。温かい。生きているのは確かな様だ。とにかく顔側だけでも空気を確保出来れば。そう思い、地面に爪を立てると。
「――いたっ」
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