可愛がっても美形吸血鬼には懐きません!~だからペットじゃないってば!

ミドリ

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第84話 求愛の香り

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 ドクター橋本が語ってくれた壮大な話の前では、一介のヒトである私はあまりにも無力だ。なのに彼は一体、そんな私に何を求めるんだろう。

 小夏を助ける為だったら、出来る限りのことはしたい。だけど、私ひとりに何が出来るのか、正直言って不安しかなかった。

『とにかく、弟さんの病気は治せるものではないのはこれで分かったと思う』

 ドクター橋本の言葉に、私は頷いた。

「弟の症状は、人間の症状と全く一緒。先祖返りした状態で生まれた以上、今の段階では地上にいたら死に向かうだけ……そういうこと、ですよね?」
『うん、そういうことだ。しかも弟さんがもう立てない状態であれば、残された時間は短い。たとえ遺伝子の特効薬があったとしても、回復は難しい時期に入っていたと思う』

 特効薬。亜人とヒトの子供から作り出すことが出来るのではないか、とドクター橋本が説明してくれたワクチン。彼の祖先である科学者が必死で隠匿しようとした可能性だ。

 だけど、たとえそれを今から作り出そうとしたところで、まず該当する子供をこの広い地上から探し出すだけでもひと苦労だろう。それに、子供を見知らぬ人間にさあどうぞと差し出す亜人がいるとは思えない。仮にヒトの方が協力してくれたとしても、地上での検証が難しい以上、個体は火星へと連れて行かれることになるんじゃないか。そんなことを受け入れる親がいるのか。

 しかも、そこからようやく実験の開始となる。対象はひとりでは足りないだろうし、現実的な方法ではないように思えた。それこそ、かつて地上で起きた様な種族間の争いが勃発することは目に見えている。

 もしうまく対象者を火星に連れ出せても、人間に害がないものを作り出すまで一体どれだけの年月が必要となるのか。

 気が遠くなりそうな話だった。分かるのは、ただひとつ。

「小夏を火星に連れていってもらわないと、あと数年で死ぬ。そういうことですね」
「……うん、そうだ。生かす為の選択肢はそれしかない」

 先程からドクター橋本が船と言っているのは、宇宙船のことだろう。童話の中に時折出てくるから存在は知っていても、実在するとは思っていなかったけど。

 彼は閑職だと言っていたので、火星の人間が地上への興味を失いつつあることは間違いない。そんな立場の弱そうな研究所の依頼で、膨大な燃料と労力を使って小夏ひとりを迎えにいくメリットはないだろう。それぐらいは、私にだって分かった。

 俯いてしまった私を見て、シスが慰める様に頭に頬を寄せる。

 すると、ドクター橋本が再び話し始めた。

『実はね、僕の祖先の科学者の彼なんだけど、最後のヒトを作り出した際に、特殊な情報を組み込んだんだ』
「特殊?」

 いきなり話が変わり、私は首を傾げた。

 私が訝しげな表情をしたからか、ドクター橋本がおかしそうに笑う。

『そう。当時すでに、亜人は人間を敵と見ていたからね。プロトタイプのヒトには組み込まれなかった因子を、最後の子たちに組み込んだ。うまくいくかどうかは賭けだったらしいけどね』
「ええと……?」
『ヒトが恋をした時、亜人が出す求婚の香りと似た香りが出る様に組み替えたんだよ』
「え」

 それって正に、シスが私に言っていたやつじゃないの。

 すると、それまでずっと黙り込んでいたシスが、私の頭の匂いをスンスン嗅ぎながら言った。

「亜人のやつよりもっと甘くて強烈だぞ。俺が近付いた時だけ強い匂いを出してる」
「えっ! そうなの?」

 シスが真面目な表情で頷く。

「小町が好きなのは俺だって分かるぞ。この匂いを他の奴に嗅がせたくないのもあって、小町に俺の匂いを付けてたのもあるしなー」

 私だけが知らなかった事実に、私はぽかんと口を開けた。つまり、私の恋心はシスだけじゃなくて周りにもだだ漏れだったってこと? ……うわあ。

 ドクター橋本がくすりと笑う。

『亜人がヒトと番うようにと、強めに出る様に組み込んだそうだよ』
「それは……亜人とヒトが混ざるのを促進する為、ですか?」

 私の問いかけに、ドクター橋本は苦笑しながら首を少し傾げた。

『勿論、その意図がなかったと言ったら嘘になるだろうね。だけど僕は、違う目的もあったんじゃないかと思うんだ』

 違う目的。なんだろう。

 ドクター橋本が、遠い目をする。

『彼は……自分が悪化させてしまった亜人と人間のいがみ合いを、少しでもなくしたかったんじゃないか。人間は地上を捨ててしまうけど、残された亜人とヒトは、人間の所為で敵対したまま地上に取り残される。だから』

 彼の言いたいことが、少しずつ私にも分かってきた。科学者であった彼は、自分が神の領域に踏み入ったことを後悔していたのかもしれない。人間という種族を守る為に、他の種族に犠牲を強いた。その人間は、争いの種を蒔くだけ蒔いて、逃げ出そうとしている。地上に住まう者たちに植え付けた火種をそのままにして。

『人間がいなくなった後、ふたつの種族がこれ以上いがみ合わず愛し合える様に、そんな願いを込めたんじゃないかと僕は思ってる』
「ドクター橋本……」
『実際に君とシスさんが互いを慈しみ合っている姿を見て、僕は彼のその選択が間違っていたとは思えないんだ』

 ここまでの話で、私はひとつ疑問を覚えていた。

「あの、それでも結局まだヒトと亜人は殆ど混ざり合ってないのには、理由があるんですか?」
『小町さん、いい質問だね』

 ドクター橋本が、生徒に対する様な表情で頷く。

『僕の祖先は、とても大事なことを見落としていたんだ』
「大事なこと?」
『そう。人間の血を受け継ぐ亜人とヒトは、基本的に習性が似通っている』

 よく分からないので、黙って頷いた。シスもまだ黙り込んでしまっている。後でちゃんと説明してあげよう。

『男性が戦い、女性が守り育てる。男性は互いの種族の男性を、自分たちが守るべき女性を脅かす存在として認識する。その為、ヒトと亜人は関わることはあっても、基本男性同士だから交わらない。……どう?』
「そのとおり……です」

 え、そんな単純なことだったの? と私は驚きを隠せないでいた。

『そうすると、当然のことながらヒトからは求愛の香りは発せられない。まあ時にはあるかもしれないけど、でもまれだろうね』
「あは、ははは……」

 私は、亜人街でご主人様にすり寄っていたヒトの男性の姿を思い出していた。まあ、まれにはあるかもしれない。

『すると、亜人はヒトを食べようとする。これは完全に僕の想像なんだけど、もしかしたら求愛の香りを生み出す仕組みを組み込んだ際、ヒトの身体全体に亜人が好む香りや味も組み込まれちゃったんじゃないかなあ』

 すると、ここでまたシスが口を開いた。

「ヒトの血は格別に美味いぞ。最初に小町の血を舐めた時、これはハマると思ったしなー」

 確かにもっと飲ませろとしつこかった。

「でも、それに求愛の香りが交じったものに比べたら雲泥の差だ。幸せな気分になれる最高のデザートなんだぞー」

 デザートデザートと言っていたのは、そういうことだったのか。単純に味が好みなだけじゃなかったと知れて、ちょっと嬉しいかも。

 微笑みながらシスが語るのを聞いていたドクター橋本が、微笑みながら続ける。

『つまり、ふたつの種族が交わらなくて争いも収まらなかった最大の理由は、単に交流不足だと思う』
「確かに、女性は町の外から出ちゃいけないって言い渡されてます。町の外での作業は、基本男性が行なうし」

 タロウさんが攫われた理由が、まさにそれだった。なるほど理にかなっているな、と納得せざるを得ない。

 ドクター橋本が、私とシスを交互に見比べた。

『小町さん。ここからは、僕の提案なんだけど』

 何を提案してくるんだろう。ドクター橋本の表情は明るいままだったから、どうしたって私は期待せずにはいられなかった。
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