可愛がっても美形吸血鬼には懐きません!~だからペットじゃないってば!

ミドリ

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第83話 真実

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 かつて栄華を極めた人間は、突如として空気中に含まれる様になったηイータ因子によって衰弱の一途を辿ることになった。

 一体どこからきたものなのか。地中から湧いて出たのか、それとも真空から侵略してきたのか。原因不明なまま人間は少しずつ弱って死んでいき、メガロポリスと呼ばれた世界政府の中枢の人口は、僅か数十年の間に最盛期の半分以下となってしまった。

 ηイータ因子が入り込まない様対処しても、ηイータ因子は満遍なく空気中に含まれており、完全除去は叶わない。

 ηイータ因子を取り除いた酸素を吸う生活は、人間の活発な活動を奪っていった。

 それと同時に、亜人と呼ばれる亜種が世に蔓延る様になる。メガロポリスに住んでいたのは富裕層や研究職、政府関係者などの高職にある者たちが殆どだった。メガロポリスの恩恵を受けられなかった地方に住う一般市民たちも、メガロポリスの住人同様に死んでいった。

 その中から、少しずつだがηイータ因子に耐性を持つ者らが現れ始めた。それは見捨てられた動植物も同様で、やがて彼らは亜人や亜獣として広い世界を闊歩する様になる。

 メガロポリスの研究所は彼らを調べたがったが、既に敵対関係にあった亜人に協力を求めたところで、ろくな見返りを与えられない人間は見向きもされなかった。

 その為人間は、自分たちの未来の為に亜人を捕らえて実験台にし始めたのだ。

 激化する人間と亜人の争いは、亜人に人間は悪だという概念を植え付ける。やがて亜人たちは、人間を捕らえて不足しがちな食料の補填としていく様になった。

 科学者は、捕らえた亜人と人間を掛け合わせてみた。だが、結果は芳しいものではなく、優勢遺伝子である亜人の子供が生まれただけだった。

 メガロポリスでは、兼ねてから進められていた火星移住計画を急ピッチで押し進めていた。政府機関と富裕層は火星移住を推進し、研究者たちは研究を重ね、やがて亜人の中に共通する因子――ηイータ因子を無害化する因子を発見したのだ。

 だが、ηイータ因子無害化因子は、人間にとっては劇薬に近かった。無毒化しようにも上手くいかず、対応ワクチンの研究を進めるも、研究者たちの衰弱死に研究は左右される。

 そんな中、ひとりの科学者が禁忌とされていた研究を密かに行なっていたことが判明した。人間のクローニングだ。彼の実験の為に失った造られた命は、数百とも数千とも言われる。人々は、彼を責めた。だが同時に、そこにこそ活路はないものかと昏い期待を寄せていた。

 そしてとうとうその科学者は、亜人化しないままηイータ因子を無害化出来る個体を生み出したのだ。彼は新たに生み出された彼らを『ヒト』と呼んだ。ヒトは、人間と同様の知能を持つ人間とほぼ同じ存在だった。科学者はヒトと人間を掛け合わせる実験を行なった。結果は、ηイータ因子無害化因子を持たない人間の誕生だった。

 もう自分たちも、自分の子供たちもこの地には住めないのか。人々は絶望し、次々に火星へと移住する宇宙船が飛び立っていく中、人間として認められない実験台のヒトと、亜人と人間の間に作られた子が番い、子供を生んだ。

 この研究を始めた研究者は、もうすでに自力で立てないほどに弱り切っていた。だけど、最後の望みを賭け、その赤子を検査した。

 そして判明したのが、ηイータ因子無害化因子が効果があるまま無毒化されていたことだった。亜人の要素は半減していた。これを使ってワクチンを作れば、きっと人間は再びこの地上で繁栄することが出来るのでは。メガロポリスに残っていた科学者たちは、興奮にざわめいた。

 だけど、とその研究者は考えた。本当にそれは正しいことなのかと。富裕層と政府関係者で占められた火星移住団は、かつての同胞である一般市民を見殺しにした。科学者たちにしても、亜人を実験台として散々利用してきたから、同罪ではないか。

 見捨てた同胞をまたもや自分たちの利益だけの為に実験台にし、生き物としての尊厳を奪い続けるのか。これまで自分が行なってきたことが善行だと言えなかった科学者は、死の間際になって自分の行ないを悔いた。なんという命の冒涜をしてきたのだと。それを再び繰り返すのかと。

 だが幸いなことに、亜人とヒトのあいのこである個体は数少なかった。本当に彼らがηイータ因子無害化因子の無毒化ができるのかは、もっと多数のサンプルがなければ実証出来ない。ただし、あいのこと人間が番えば、優勢遺伝子であるηイータ因子無害化因子は恐らくはほぼ子孫に継承されることは推測されていた。

 人間がηイータ因子無害化因子を持てない最大の理由は、亜人と人間の血が相容れないことだった。ηイータ因子無害化因子だけでなく、亜人化を促す因子が人間を否定していた。だがそれも、亜人とヒトが交じることで、その子孫が人間との橋渡しをする。

 この事実は、新たな火種を生むだけだ。なんとしてでも隠匿しなければならない。

 そこで科学者は、既に火星に移住を済ませた政府機関に伝えた。「ヒトと亜人のあいのこと人間の間に生まれた子供は、再び地上に降り立つことが出来るだろう」と。現時点で人間である彼らに再び地上に立てる機会は訪れないが、子孫にはその可能性があるのだと。

 科学者は、ヒトの彼らにメガロポリスの縮尺版の町を用意した。人の町をAIに管理させ、データをメガロポリスの管制塔研究施設に集約させることにした。データを集め、分析し、世に亜人とヒトのあいのこが溢れたその時には、メガロポリスの管制塔からコンタクトを取り、地上へと降り立つ許可を地上の覇者から得ようと決めた。その為の法整備は、僅かながら政府機関内にもいた賛同者が行ない、地上は不可侵の楽園となった。

 自分たちが忘れ去られない様、『神の庭物語』を作り、あちこちに現実とリンクするようなヒントを散りばめた。地上の彼らがその目的を忘れても、何かの機会で『神の庭』の力を必要とした時に繋がることが出来る様に。それはあまりにも勝手な願いではあったが、そうまでしても人間は故郷から切り離されたくはなかったのだ。

 火星に降り立ち、何百年か経った。当初蔓延していた選民意識は、その後の意識改革や実質的な革命によって塗り替えられた。地上への復帰は時折話題には上ったが、一向に亜人とヒトのあいのこは増えない。地上へはもう二度と降り立てないのではないかと言う絶望は、徐々に地上へ再び降り立つ人間の夢を薄れさせていき、研究施設の立場は弱体化の一途を辿った。

 そんな中、ひとりの若者が研究施設に入ってきた。それが、ドクター橋本だ。大罪を犯した科学者は、彼の祖先だった。ドクター橋本は、廃れていた研究と解析を再び再開させた。これまで閑職と言われていた研究施設に活気が戻ってきたのは、ひとえにドクター橋本の熱意によるものだという。

 所長とドクター橋本に説明を受けた私が最初に疑問に思ったことは、これだ。

「ドクター橋本は、なんで研究を再開させようと思ったんですか?」

 私の問いかけに、ドクター橋本ははにかんだ笑顔を浮かべながら頭を掻いた。

「僕の祖先である科学者は、最期まで地上に残ったんだ。青い空も夕焼けも、死ぬその時まで自分の目で見たいと言って」
「……」
「彼が犯した罪は重い。だけどね、大罪だと分かっていても尚、見たいと願った空ってどんなに綺麗なんだろう。僕は、子供の頃からその空に憧れ続けていた」

 だから、死ぬ直前に自分の子孫の顔を見に行くがてら、本物の空を見たいと思ったんだ。

 ドクター橋本の言葉は、悪意や作意なんてまるで感じられないものだった。

 私には、空がない世界なんて想像がつかない。だけど、きっと彼には、空のある世界の方が想像つかないんだろう。

「小町さん、君が訪れてくれたのは、僕にとって僥倖なんだよ。だからできる限り協力させてもらいたい。だけど、ただで船を動かせないのは分かってくれるかな」

 申し訳なさそうに頭を掻くドクター橋本に、私はしっかりと頷いてみせた。
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