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第82話 黒縁眼鏡さん
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管制塔通信室に流れていた緩い空気が、黒縁眼鏡さんの目が真剣なものに変わった瞬間に引き締まった。
気弱そうな雰囲気は一瞬で消え、シスを凝視する。
シスは眉間に皺を寄せると、私の腰を更に引き寄せた。それを見た黒縁眼鏡さんは、口の端を小さく上げると私に向き直る。
『ええと、君は済世区の小町さん、つまりヒトっていう認識でいいのかな?』
「はい。『神の庭物語』を聞いて、病気の弟を助けたくてここまで来ました」
『病気? 詳しく話を聞かせてもらっていいかな』
「――はい!」
伝説の神の子は、名前の様に神々しくも、超越した存在でもなかった。見る限り、私と同じただのヒトだ。察するに黒縁眼鏡さんは、済世区でいうところの環境研究施設の職員の様な立場にいる人なんじゃないか。万年平社員という台詞から、何となく彼の立場が窺えた。
隠して得することは何もないように思えたので、順を追って説明を始める。η因子処理不良と診断された弟を助ける為に済世区を飛び出してきたこと。亜人に襲われて食べられそうになった時、隣にいるシスが助けてくれたことを。
すると黒縁眼鏡さんは、眼鏡の奥にある目をまんまるにして、シスを見た。
『やっぱり……彼はヒトじゃないよね? 牙が発達してるから、亜人かなとは思ったんだけど』
ムスッとしたまま答えないシスの代わりに、私が答える。サーシャさんとタロウさんの時に見せたのと同じ、絶賛警戒中というやつだろう。
「はい。彼はシスっていうんですけど、亜人の吸血鬼という種族なんです」
黒縁眼鏡さんが、目を輝かせた。
『吸血鬼! うわあ、本当にいるんだねえ! いや、ヒトの情報は手に入るんだけど、如何せん亜人の情報があまりにも少なくて』
「え?」
ヒトの情報は手に入る? それはもしかして、ヒトの町が情報提供しているってことかな。でも、ヒトの町と『神の庭』が通じてるなんて聞いたこともない。
もし済世区と『神の庭』が繋がってるなら、私のこの長旅はなんだったんだろう。一瞬、本気で絶望しかけて――隣のシスの息遣いを感じ、ううん、無駄なんかじゃなかったと思い直せた。
黒縁眼鏡さんは立ち上がるとシスの方に向かってきて、ホログラムの姿が途切れた。最初に黒縁眼鏡さんを椅子に座らせた男性の声が、『馬鹿! 映ってないだろ!』と叱る。ちょっとおっちょこちょいな人なんだろうか。
黒縁眼鏡さんは慌てて駆け戻ると、椅子に座り直して頭を掻いた。
『いやあごめん、ちょっと近くで見たいなって思ってね』
「シス、近寄ってあげたら?」
くいっと腕を引っ張ったけど、シスは微動だにしなかった。断るということらしい。まあそうだよね。
黒縁眼鏡さんは微妙な笑みを浮かべつつ、私に尋ねた。
『小町さん。貴女は亜人に襲われたと言ったね。それでも吸血鬼の彼のことは随分と信頼しているみたいだけど、それはそちらではよくあることなのかな?』
質問の意図がよく分からなかったけど、とりあえず素直に答える。
「いえ、基本的に亜人とヒトは敵同士で、亜人が捕食者でヒトが被食者になります。ただ、亜人街ではヒトと亜人が夫婦になったりもあるみたいですけど、ペットとして飼われている場合もあったりして」
『へえ……なるほど、その話は初めて聞いたな……』
黒縁眼鏡さんが、口の中でぶつぶつと呟いた。ふいっと目線を私に戻すと、興味津々と顔に書きながら尋ねる。
『それで、シスさんは護衛としてここまで来たということでいいのかな?』
「ああ、ええとそれはその……」
私がどう説明しようかと逡巡した隙に、シスが胸を張ってふんぞり返りながらきっぱりと言い切った。
「小町は俺の番だ!」
『つ、番……!』
「小町の為なら俺は何でもする! でも小町以外の奴の為には何もしない!」
『うわお……』
何故か黒縁眼鏡さんが拍手する。その後、確認するような視線を私に向けた。そんな堂々と言わなくたっていいのに……まあ、嬉しいけど。
シスをちらりと見上げて、ボソボソと言う。
「ええと、私の夫、です」
シスの嬉しそうな顔ったら。
黒縁眼鏡さんが、苦笑しながら問いかけてきた。
『なるほどね。よく分かったよ。ありがとう』
「それで……! 小夏を、弟を助けることは出来るんでしょうか!」
黒縁眼鏡さんが、口を真一文字に結ぶ。そんな彼に対して、ホログラムには映っていない男性が声をかけた。
『ドクター橋本。すでに諦めかけていた我々の研究所に熱意を持ち込んでくれたのは、君だ。だから、君がベストだと思う判断をしてほしい』
『所長……!』
黒縁眼鏡さんは弾けた様に顔を上げると、ごくんと喉を鳴らした後、姿勢を正した。
『……小町さん』
「はい!」
何だろう。私は今から何を語られるんだろう。首の後ろにゾワゾワするものを感じながら、私も彼を真似てピシッと立つ。
『助けることは、技術的には可能だと思う』
「本当ですか!?」
助けることが出来る!? 聞いた瞬間嬉しくて笑顔になったけど、黒縁眼鏡さん、もといドクター橋本の表情が硬いままなので、私の笑顔も凍りついた。
ドクター橋本が、重々しく続ける。
『でも、船を一台出すには相当な労力が必要になる。上を動かすには明らかな前進が見られないと叶わないんだ』
「前進……?」
眉を顰めた私に、ドクター橋本が頭を下げた。
『小町さん、我々の事情も聞いてほしい。そこで僕らがお互いにどこまで協力し合えるか、それを話し合いたいんだ』
「き……聞きます……」
他に選択肢はない。頷き返すと、ドクター橋本は『神の庭物語』の真実を語り出した。
気弱そうな雰囲気は一瞬で消え、シスを凝視する。
シスは眉間に皺を寄せると、私の腰を更に引き寄せた。それを見た黒縁眼鏡さんは、口の端を小さく上げると私に向き直る。
『ええと、君は済世区の小町さん、つまりヒトっていう認識でいいのかな?』
「はい。『神の庭物語』を聞いて、病気の弟を助けたくてここまで来ました」
『病気? 詳しく話を聞かせてもらっていいかな』
「――はい!」
伝説の神の子は、名前の様に神々しくも、超越した存在でもなかった。見る限り、私と同じただのヒトだ。察するに黒縁眼鏡さんは、済世区でいうところの環境研究施設の職員の様な立場にいる人なんじゃないか。万年平社員という台詞から、何となく彼の立場が窺えた。
隠して得することは何もないように思えたので、順を追って説明を始める。η因子処理不良と診断された弟を助ける為に済世区を飛び出してきたこと。亜人に襲われて食べられそうになった時、隣にいるシスが助けてくれたことを。
すると黒縁眼鏡さんは、眼鏡の奥にある目をまんまるにして、シスを見た。
『やっぱり……彼はヒトじゃないよね? 牙が発達してるから、亜人かなとは思ったんだけど』
ムスッとしたまま答えないシスの代わりに、私が答える。サーシャさんとタロウさんの時に見せたのと同じ、絶賛警戒中というやつだろう。
「はい。彼はシスっていうんですけど、亜人の吸血鬼という種族なんです」
黒縁眼鏡さんが、目を輝かせた。
『吸血鬼! うわあ、本当にいるんだねえ! いや、ヒトの情報は手に入るんだけど、如何せん亜人の情報があまりにも少なくて』
「え?」
ヒトの情報は手に入る? それはもしかして、ヒトの町が情報提供しているってことかな。でも、ヒトの町と『神の庭』が通じてるなんて聞いたこともない。
もし済世区と『神の庭』が繋がってるなら、私のこの長旅はなんだったんだろう。一瞬、本気で絶望しかけて――隣のシスの息遣いを感じ、ううん、無駄なんかじゃなかったと思い直せた。
黒縁眼鏡さんは立ち上がるとシスの方に向かってきて、ホログラムの姿が途切れた。最初に黒縁眼鏡さんを椅子に座らせた男性の声が、『馬鹿! 映ってないだろ!』と叱る。ちょっとおっちょこちょいな人なんだろうか。
黒縁眼鏡さんは慌てて駆け戻ると、椅子に座り直して頭を掻いた。
『いやあごめん、ちょっと近くで見たいなって思ってね』
「シス、近寄ってあげたら?」
くいっと腕を引っ張ったけど、シスは微動だにしなかった。断るということらしい。まあそうだよね。
黒縁眼鏡さんは微妙な笑みを浮かべつつ、私に尋ねた。
『小町さん。貴女は亜人に襲われたと言ったね。それでも吸血鬼の彼のことは随分と信頼しているみたいだけど、それはそちらではよくあることなのかな?』
質問の意図がよく分からなかったけど、とりあえず素直に答える。
「いえ、基本的に亜人とヒトは敵同士で、亜人が捕食者でヒトが被食者になります。ただ、亜人街ではヒトと亜人が夫婦になったりもあるみたいですけど、ペットとして飼われている場合もあったりして」
『へえ……なるほど、その話は初めて聞いたな……』
黒縁眼鏡さんが、口の中でぶつぶつと呟いた。ふいっと目線を私に戻すと、興味津々と顔に書きながら尋ねる。
『それで、シスさんは護衛としてここまで来たということでいいのかな?』
「ああ、ええとそれはその……」
私がどう説明しようかと逡巡した隙に、シスが胸を張ってふんぞり返りながらきっぱりと言い切った。
「小町は俺の番だ!」
『つ、番……!』
「小町の為なら俺は何でもする! でも小町以外の奴の為には何もしない!」
『うわお……』
何故か黒縁眼鏡さんが拍手する。その後、確認するような視線を私に向けた。そんな堂々と言わなくたっていいのに……まあ、嬉しいけど。
シスをちらりと見上げて、ボソボソと言う。
「ええと、私の夫、です」
シスの嬉しそうな顔ったら。
黒縁眼鏡さんが、苦笑しながら問いかけてきた。
『なるほどね。よく分かったよ。ありがとう』
「それで……! 小夏を、弟を助けることは出来るんでしょうか!」
黒縁眼鏡さんが、口を真一文字に結ぶ。そんな彼に対して、ホログラムには映っていない男性が声をかけた。
『ドクター橋本。すでに諦めかけていた我々の研究所に熱意を持ち込んでくれたのは、君だ。だから、君がベストだと思う判断をしてほしい』
『所長……!』
黒縁眼鏡さんは弾けた様に顔を上げると、ごくんと喉を鳴らした後、姿勢を正した。
『……小町さん』
「はい!」
何だろう。私は今から何を語られるんだろう。首の後ろにゾワゾワするものを感じながら、私も彼を真似てピシッと立つ。
『助けることは、技術的には可能だと思う』
「本当ですか!?」
助けることが出来る!? 聞いた瞬間嬉しくて笑顔になったけど、黒縁眼鏡さん、もといドクター橋本の表情が硬いままなので、私の笑顔も凍りついた。
ドクター橋本が、重々しく続ける。
『でも、船を一台出すには相当な労力が必要になる。上を動かすには明らかな前進が見られないと叶わないんだ』
「前進……?」
眉を顰めた私に、ドクター橋本が頭を下げた。
『小町さん、我々の事情も聞いてほしい。そこで僕らがお互いにどこまで協力し合えるか、それを話し合いたいんだ』
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