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第74話 シス一色に
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シスにスプレーを噴射した時は泣きながらのたうち回っていたけど、数分で回復していた。
あの時は、オニオンパウダーとガーリックパウダーを溶かした水を使った。今回ロウに噴射したのは、そこに更に唐辛子を足したものだ。
ヒトでさえも、この唐辛子入りは悶絶すると聞いている。相手が亜人だったら、効果はてきめんな筈。少なくとも十分か、他の亜人より鼻がいい分それ以上に回復に時間が掛かるんじゃないか。
それに、ロウが私を追うのに使うのは、多分主に嗅覚だ。それが狂わされている間は、ロウは私の居場所を特定出来ないだろう。
ならば、時間はそれなりにあるんじゃないか。出来ればロウの回復前に、管制塔のあるエリアまで辿り着きたかった。
街の外側を環状に走る大通りから、管制塔がある中央に続く通りへ入る。
昨日シスに飲ませた血の量は、とてもじゃないけど一日じゃ回復出来なかった。足が重くて上がり辛いのが貧血の症状なのは明らかだったけど、このまま身体が辛いからと諦めたら、確実にロウの毒牙にかかる。
だから、どんなに辛くても足を止めることはしたくなかった。お願いだから、足、動いて。
気を抜くと引き摺りそうになる足に意識が集中しているのもよくないのかもしれない。
そうだ、別の楽しいことを考えよう、と思いついた。
すると、ポンと当然の様に脳裏に現れたのは、屈託のないシスの笑顔。私の中のシスは、いつだって笑顔で私を見ている。
小町、小町と楽しそうに笑いながら私を呼ぶシスのお陰で、ひとりだったら苦しかっただろうここまでの道のりは、全く苦じゃなかった。
「う……っ」
駄目だと分かっているのに、涙が頬を伝う。考えるのは、シスのことばかりだ。いつの間に、全てがこんなにシス一色に染まっていたんだろう。
シスは今、何を考えているんだろうか。私に捨てられたと思って、泣きまくってるかな。喜怒哀楽がはっきりしているシスのことだから、沢山涙を流して大声で泣いているのかもしれない。
ごめん、シスを悲しませたい訳じゃないの。だけど、私は自分の所為でシスを死の淵まで追いやった事実が許せなかった。
好きだよ。大好きなんだよ。でも、またシスを危険な目に遭わせるかもしれないと思ったら、耐えられなかった。
シスを守りたい、そんな気持ちで離れたと思っていた。だけどそうじゃない。あのままシスを受け入れてたら、またいつかシスは私の為に命を投げ出そうとするんじゃないか。その時私は、正気でいられる気が全くしなくて、それでシスから逃げたんだ。
全力で逃げないと、きっとシスはすぐに私を捕まえてしまうから。次に捕まったら、多分もう私はシスを突き放そうなんて思えないだろうから。
「はあ……っ! はあ……っ!」
ネクロポリスは広い。大勢のヒトが住む済世区ですら、その縮尺でしかないんだろう。それでも、足を動かし続けていればいずれ到達出来る。
この先の突き当たりを右に折れれば、管制塔エリアに続く路地へ入る。あとちょっとだから、頑張れ私。
ゼェ、ゼェと切れそうになる息を繰り返しながらひた走っていると。
アオオオオオーン! という遠吠えが、思ったよりも近くから聞こえた。途端、サアッと血が下がっていく感覚に襲われる。
ロウが復活した……!
拙い、まだ管制塔までは距離がある。このままじゃ、ロウに追いつかれちゃう。
「いや……っやだ、シス……!」
自分で置いてくることを選んだ癖に、こんな時だけシスの名前を呼ぶなんて卑怯すぎる。分かってはいても、涙と共に溢れるシスを求める声は、もう止められなかった。
「シス……ッごめん、うう、助けて、シス……ッ」
もしロウに捕まらずにこのまま管制塔に入り、『神の庭』にコンタクトが取れたら。小夏を何とか助けてもらえることになったら、その時はもう一度シスに求婚してもいいかな。
好きだって。済世区でマッチングなんてしなくていいから、このまま貴方のお嫁さんにして下さいって言ってもいいかな。
あまりにも身勝手な願いとは分かっていても、例えその答えが否だったとしても、伝えるくらいは許してもらえるんじゃないか。シスは優しいから。いつも私を大事に扱ってくれていたから。
ならば、希望がまだある限り、諦めたくはなかった。諦めたら、きっともう足は動かなくなるから。
「はあ……っ! はあ……っ!」
突き当たりに出た。右に折れると、崩れた石材と土砂が入り混じった障害物が道を塞いでいる。
「……っ!」
意を決して、土砂の上を登っていく。石に手を掛けた直後、指に鋭い痛みが走った。先が尖っていたのか、切れて血が出ている。
「……ちっくしょおおおっ!」
乙女らしからぬ言葉を口にしつつ、私は目の前の小山をどんどん登っていった。涙を腕で拭いながら上まで登り切ると、細い路地が通れそうだということが見て分かる。
「……よし!」
なるべく何も考えない様にして、勢いよく駆け降りた。あちこちに尖った杭やコンクリート片が土砂から顔を覗かせていたけど、ここで躊躇してロウに捕まったら、きっともう小夏を助けることも出来ない。
ロウは、私を番にと言ってはいるけど、支配する気でいるのは明白だ。無理やり番にされたら、もう私の願いなんて聞き入れてはくれないだろう。彼にとって大事なのは、負かされた相手であるシスの獲物を奪い、それを自分の巣に持ち帰り再び跡目の座に返り咲くことなんだから。
そうなったらもう、シスに改めて好きだと伝えることも出来なくなる。
――だからビビるな、小町!
意を決して一気に下まで降りると、尻餅をつきそうになりながらも何とか地面まで辿り着くことが出来た。ペンライトを点灯すると、暗く細い路地へと足を踏み入れる。
「――やってやる……!」
重くて軽く上げることすら辛い足を前に出すと、最後の直線を精一杯の力を振り絞って走り始めた。
あの時は、オニオンパウダーとガーリックパウダーを溶かした水を使った。今回ロウに噴射したのは、そこに更に唐辛子を足したものだ。
ヒトでさえも、この唐辛子入りは悶絶すると聞いている。相手が亜人だったら、効果はてきめんな筈。少なくとも十分か、他の亜人より鼻がいい分それ以上に回復に時間が掛かるんじゃないか。
それに、ロウが私を追うのに使うのは、多分主に嗅覚だ。それが狂わされている間は、ロウは私の居場所を特定出来ないだろう。
ならば、時間はそれなりにあるんじゃないか。出来ればロウの回復前に、管制塔のあるエリアまで辿り着きたかった。
街の外側を環状に走る大通りから、管制塔がある中央に続く通りへ入る。
昨日シスに飲ませた血の量は、とてもじゃないけど一日じゃ回復出来なかった。足が重くて上がり辛いのが貧血の症状なのは明らかだったけど、このまま身体が辛いからと諦めたら、確実にロウの毒牙にかかる。
だから、どんなに辛くても足を止めることはしたくなかった。お願いだから、足、動いて。
気を抜くと引き摺りそうになる足に意識が集中しているのもよくないのかもしれない。
そうだ、別の楽しいことを考えよう、と思いついた。
すると、ポンと当然の様に脳裏に現れたのは、屈託のないシスの笑顔。私の中のシスは、いつだって笑顔で私を見ている。
小町、小町と楽しそうに笑いながら私を呼ぶシスのお陰で、ひとりだったら苦しかっただろうここまでの道のりは、全く苦じゃなかった。
「う……っ」
駄目だと分かっているのに、涙が頬を伝う。考えるのは、シスのことばかりだ。いつの間に、全てがこんなにシス一色に染まっていたんだろう。
シスは今、何を考えているんだろうか。私に捨てられたと思って、泣きまくってるかな。喜怒哀楽がはっきりしているシスのことだから、沢山涙を流して大声で泣いているのかもしれない。
ごめん、シスを悲しませたい訳じゃないの。だけど、私は自分の所為でシスを死の淵まで追いやった事実が許せなかった。
好きだよ。大好きなんだよ。でも、またシスを危険な目に遭わせるかもしれないと思ったら、耐えられなかった。
シスを守りたい、そんな気持ちで離れたと思っていた。だけどそうじゃない。あのままシスを受け入れてたら、またいつかシスは私の為に命を投げ出そうとするんじゃないか。その時私は、正気でいられる気が全くしなくて、それでシスから逃げたんだ。
全力で逃げないと、きっとシスはすぐに私を捕まえてしまうから。次に捕まったら、多分もう私はシスを突き放そうなんて思えないだろうから。
「はあ……っ! はあ……っ!」
ネクロポリスは広い。大勢のヒトが住む済世区ですら、その縮尺でしかないんだろう。それでも、足を動かし続けていればいずれ到達出来る。
この先の突き当たりを右に折れれば、管制塔エリアに続く路地へ入る。あとちょっとだから、頑張れ私。
ゼェ、ゼェと切れそうになる息を繰り返しながらひた走っていると。
アオオオオオーン! という遠吠えが、思ったよりも近くから聞こえた。途端、サアッと血が下がっていく感覚に襲われる。
ロウが復活した……!
拙い、まだ管制塔までは距離がある。このままじゃ、ロウに追いつかれちゃう。
「いや……っやだ、シス……!」
自分で置いてくることを選んだ癖に、こんな時だけシスの名前を呼ぶなんて卑怯すぎる。分かってはいても、涙と共に溢れるシスを求める声は、もう止められなかった。
「シス……ッごめん、うう、助けて、シス……ッ」
もしロウに捕まらずにこのまま管制塔に入り、『神の庭』にコンタクトが取れたら。小夏を何とか助けてもらえることになったら、その時はもう一度シスに求婚してもいいかな。
好きだって。済世区でマッチングなんてしなくていいから、このまま貴方のお嫁さんにして下さいって言ってもいいかな。
あまりにも身勝手な願いとは分かっていても、例えその答えが否だったとしても、伝えるくらいは許してもらえるんじゃないか。シスは優しいから。いつも私を大事に扱ってくれていたから。
ならば、希望がまだある限り、諦めたくはなかった。諦めたら、きっともう足は動かなくなるから。
「はあ……っ! はあ……っ!」
突き当たりに出た。右に折れると、崩れた石材と土砂が入り混じった障害物が道を塞いでいる。
「……っ!」
意を決して、土砂の上を登っていく。石に手を掛けた直後、指に鋭い痛みが走った。先が尖っていたのか、切れて血が出ている。
「……ちっくしょおおおっ!」
乙女らしからぬ言葉を口にしつつ、私は目の前の小山をどんどん登っていった。涙を腕で拭いながら上まで登り切ると、細い路地が通れそうだということが見て分かる。
「……よし!」
なるべく何も考えない様にして、勢いよく駆け降りた。あちこちに尖った杭やコンクリート片が土砂から顔を覗かせていたけど、ここで躊躇してロウに捕まったら、きっともう小夏を助けることも出来ない。
ロウは、私を番にと言ってはいるけど、支配する気でいるのは明白だ。無理やり番にされたら、もう私の願いなんて聞き入れてはくれないだろう。彼にとって大事なのは、負かされた相手であるシスの獲物を奪い、それを自分の巣に持ち帰り再び跡目の座に返り咲くことなんだから。
そうなったらもう、シスに改めて好きだと伝えることも出来なくなる。
――だからビビるな、小町!
意を決して一気に下まで降りると、尻餅をつきそうになりながらも何とか地面まで辿り着くことが出来た。ペンライトを点灯すると、暗く細い路地へと足を踏み入れる。
「――やってやる……!」
重くて軽く上げることすら辛い足を前に出すと、最後の直線を精一杯の力を振り絞って走り始めた。
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