クリスマスイブは勿論バイトですが文句ないよねだってこれはあんたのせいだ(改)

ミドリ

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8 ご機嫌ななめ

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 その日の放課後。

 つくづく今日ほど、カイトとクラスが別でよかったと思ったことはなかった。

 今日は、隣の教室の静かなことこの上なかった。カイトの不機嫌さがクラス全体の雰囲気を押し下げていたらしい、と由美が情報を仕入れてきて、そのことを知る。

 クラスを自分の雰囲気だけで黙らせるなんてある意味物凄いカリスマ性だけど、マイナスな方に引っ張っていってどうするんだとは思った。

 普段はそこで助け舟を出すシンは、今日に限って傍観。二人が喧嘩したんじゃないかという噂も飛び交ったらしいけど、時折会話はする。クラスメイトは相当戸惑ったに違いない。

 ――これは早々に消えよう。

 幸い隣のクラスの出来事だから、私には関係ない。

 授業終了のチャイムが鳴ると同時に立ち上がると、支度を済ませて教室から猛ダッシュで出ていった。逃げ足、脱兎の如し。

 どうせ今日は、バイト先に直行だ。夜ご飯は今朝のうちに仕込んであって、後はいる人間が温め直せばいい程度になっている。

 帰宅する頃にはカイトもきっと機嫌がよく……と思い、今日もカイトがバイト先に迎えに来ることになっていたのを思い出した。
 
 バイト終了は九時。流石にシンはもうその時間にはいないと思うけど、バッティングしたら一体どうなるのか。

 ならいっそのことシンに来ないでと連絡した方が、と思ったら、そもそも連絡先など知らないことに今更気が付いた。

 二人の争いに巻き込まないで欲しい。迷惑以外の何ものでもない。

 だって、カイトは私の義兄だ。シンはその義兄の親友だ。それ以上でも以下でもない。

 だから、頼むから私の心を巻き込まないで。

 そう、切に願った。





「こんにちは」

 カランカラン、と入り口の鐘を鳴らして、言っていた通りシンが店にやってきた。

 時刻は五時。さすがにどんなに長居しても、これならカイトとはバッティングしないだろう。そう思い、ホッとした。ホッとした後、いやいや何調子に乗ってんだ自分、と自分を戒める。

 シンは、珍種見たさに私の周りを彷徨いているだけだ。そしてカイトはきっと、私がカイトの生存区域に侵入してくるのが嫌なだけ。きっとそうに違いないから。

「あ、カウンターあるんだね」
「いらっしゃい、カウンターでもいいよ」

 この時間帯は大して客もいない。この後少しすると仕事終わりのサラリーマンたちが増えるけど、まあまだ大丈夫だろう。

「制服可愛いね」

 ウェイトレスというよりも事務員風の制服を見て、シンがそう言った。これのどこに褒めポイントがあるのかが分からないから、人を褒めるのが趣味なのかもしれない。

「どうも」

 私服のシンは、また一層イケメン度を増していた。少し短めのパンツにクシュッとした靴下が覗き、上は色味控えめのモノトーンにジャケットを羽織っている。これだけ着る物がなんでも似合うと、選択も楽だろう。少し羨ましい。

「オススメなに?」

 片肘をついて、シンがにこっと聞いてきた。私は水の入ったコップをシンの前に置く。

 すると、シンが私の手をいきなり握った。

「は? ちょっと」

 抗議しようとすると、シンは私の手をじっと眺めながら言った。

「痛そう」

 私の指の節に出来た傷を指でそっと撫でながら、呟いた。ああ、あかぎれのことを言っているのか。私は納得した。

 元々肌が弱い私は、冬場に食器洗いの時にお湯を使うと、それもまた響く。ゴム手袋を着用してはいても、外した時もつい水に触れてしまう。結果冬の私の手はあかぎれだらけだ。保湿剤を塗っても塗っても追いつかない。そしてゴム手袋自体もしばらく触れていると荒れる。困ったものだ。

「ちょっと肌弱くて、はは」

 そう言って手を引っ込めると、シンは素直に手を離した。

「代わってあげたいな」

 アイドルみたいな顔をしたキラキラ男子が囁き声でそんなセリフを言ってきたら、そいつを好きでもなんでもなくてもまあ顔は火照るだろう。

 そして私の肌はすぐに赤くなるのだ。

「あすみちゃん可愛い」

 またシンが、囁くように言った。





 シンはしばらくのんびり珈琲を飲んだ後、「明日ね」と言って去っていった。

 カイトとバッティングはしなかった。それにとりあえずはホッとひと息つき、次いで明日シンに会う予定がないのを伝えるのを忘れていたことに気が付く。

 私の役割は賄いおばちゃんだ。料理を作って次の仕事に向かう。

 あのカースト上位チームの中には入らない。入らないし、そもそも入れない。あの中に私の居場所はない。

 まあ、家に来て私がいなければいないで、話題にも上がらずに済むだろう。そう考えれば、会わないで済む方がいいと思えた。

 他のキラキラ女子を見ている内に、珍種への興味も段々と失せてくるに違いないから。

 周りを見渡すと、客はもう全員はけてしまった。

 気弱な雰囲気が漂うマスターが、私に声を掛ける。

「あすみちゃん、今日はもう終わりでもいいよー」
「お給料ちゃんと出ます?」
「……はい、ちゃんとするから」

 私は相当がめついと思われているんだろう。マスターが半ば呆れ顔で返した。呆れられようが、その言葉が貰えれば問題はない。

 店の壁に掛かっている時計を見ると、八時半。急いで連絡すれば、カイトと入れ違いになることもなさそうだ。

「では上がります!」
「はい、お疲れ様ー」

 更衣室に行くとさっさと着替えをし、それからカイトにメッセージを送った。『早く終わったからお迎え不要』と。

 すると、瞬時に電話がかかってきた。カイトだ。

「はい?」

 電話を取ると、いきなり怒鳴り声が聞こえてくる。

『はい、じゃねえ! いいから店から出るな!』

 スマホから耳を遠ざけた。声でかいってば。

「いや、だってまだ8時半だし」
『駄目だ! いいから待て!』

 急いで支度をしているのか、バタバタしている音がする。急かしていると思われるのも嫌だ。だからわざわざ連絡したのに。

「大丈夫だよ、まだ人通りも多いし」
『いいからそこにいろ! 怒るぞ!』

 すでに怒っている声で、怒るぞと言われた。何だかなあと思ったけど、これ以上食い下がってまた明日も機嫌が悪いとそれはそれで面倒くさい。

「……分かった、待たせてもらう」
『すぐ行くから。じゃあな』

 ブー、ブー、と通話が切れた音がした。更衣室の中にある小さな椅子に座り込み、頭を抱える。

 参った。

 抑えていたものが吹っ飛びそうだった。これは卑怯だ、狡かった。

 私はしばらく立ち上がれず、そのまま頭を抱え続けた。
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